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1-6

『――!』

 それとほぼ同時に、リミナが鋭い声で、エルフ族の言葉で短く何かを叫ぶ。瞬間、薄く青みを帯びたドーム状の防壁が、白い球体から全員を守るように展開された。氷柱は間一髪出現した防壁に当たって砕け、瞬く間に霧散していく。この規模の魔法を殆ど詠唱なしで咄嗟に展開するとは、流石一級の魔法使いである。

 氷柱の襲撃が止むと同時に、防壁は溶けるように消えていった。リミナの体が小さく震え、彼女はぐらりと体勢を崩してその場に倒れそうになる。慌てて彼女の体を支えると、リミナは青白い顔で俺を見上げた。この状態のエルフ族を目の当たりにするのは初めてだが、知識としては知っている。恐らく彼女は、大規模な魔法を展開したことで魔力切れを起こしたのだろう。

「おい、大丈夫か……!?」

 そう尋ねると、リミナは唇を震わせて弱々しく言葉を紡いだ。

「……早く、にげて……」

 辛うじて聞き取れる声でそれだけ呟くと、彼女は目を閉じてぐったりと脱力する。その様子に一瞬慌てたものの、彼女が規則正しく呼吸しているので、ただ意識を失っただけだろう。とはいえ、その顔色は酷く悪い。早く何か処置をしなければ、魔力切れは命にかかわるとも教わった。俺は、そっと彼女を抱き上げて立ち上がった。

 小さく息を吸って吐く。俺は、呆然とした様子で白い球体を見上げている透に向き直った。

「逃げるぞ、透。早く」

「逃げるって、何処へだ……?」

「分かんねぇ。でも、とりあえず逃げるぞ。ここで死んだら意味ねぇだろ」

そう口では言いつつも、俺は彼女を守れるなら死んでもいいと、本気で思っていた。

リミナは、一瞬とはいえこの場にいる全員を守ってくれた。今ここで彼女を死なせてはいけない。そんな思いから、俺は透を連れて、彼女を抱きかかえたまま地面を強く蹴った。

 俺は人族だ、魔法なんて便利なものは使えない。あの白い球体に立ち向かえるような手段は、何一つとして持ち得ない。だから彼女を守るには、こうして自分の足で逃げるしか方法がない。とはいえ、逃げたところで、必ず助かるという保証すらない。むしろ、あの白い球体は逃げる生徒から狙っているように見えるので、こうして動く方が死ぬ確率が上がるのかもしれない。加えて、体を鍛えている訳でもない、運動部ですらない、一介の高校生だ。人を抱えて走ったことなど、当然だがある訳がない。意識を失っている人の体がこんなに重く感じることも知らなかったし、本当は恐怖で体が震えている。死をこんなに間近に感じたこともない。まるで、首筋に死神の鎌をぴったりとあてがわれているような気分だった。

 あまりに近く迫った死への恐怖で足が強張って、つんのめりそうになる。それでも俺は、走り続けるしかなかった。あの白い球体から逃れられるまで、足を止められない。本当は誰も死なせたくないし、勿論俺も死にたくない。死ぬのは、怖い。

 背後からいくつも悲鳴が聞こえる。今、俺のすぐ背後で誰かが死んでいるのかもしれない。そう思っても、俺は恐怖で振り返ることができない。

すぐ背後で聞こえた悲鳴を振り切るように、必死で足を動かす。瞬間、足が石にでもなったかのようにぴくりとも動かなくなった。

「は……?」

 間の抜けた声が、思わず口から漏れる。

俺は、幻覚を見ているのだろうか。

それは、あまりに不可思議な光景だった。自分の腹部から、赤く血に濡れた半透明の〝手〟が突き出している。それは不思議なことに、リミナには何の傷も与えていないようで、的確に、俺の腹部だけを貫いていた。ぬらぬらと光る赤はしかし、どれほど現実味がなかろうと間違いなく、俺自身のそれだった。

「かはっ……」

 口からしぶいたのは、大量の鮮血で。最初に感じたのは、熱だった。それが次第に、痛いという表現ですら生易しいと感じる痛みへと変化する。脊髄に直接鑢を掛けられているかのような激痛に、全身が総毛立っていた。

 ずるり、と腹部から〝手〟が引き抜かれる。支えを失った俺は、がくりと膝を折ってその場に崩れ落ちた。抱えていたリミナが腕から転げ落ちるも、気遣える余裕は流石にない。ぐにゃりと視界が歪み、力が抜けた自分の体から恐ろしい速度で血液が失われていくことしか分からない。

 ああ、死ぬのか、このまま。

 喉が引き攣って、上手く呼吸ができない。咳き込む度に赤が散って、端から暗くなる視界に赤色が混じる。その色だけがやけに鮮明に見えて、ひゅーひゅーと自分の喉から漏れる呼吸音すら、今は遠くから聞こえる。透が俺を揺さぶって何かを言っているようだが、上手く聞き取れなかった。

 ――結局、守れなかったな。

 そんな思考を最後に、俺の意識は抗うこともできず呆気なく暗闇に呑まれた。


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