「そうだったな。情報というのは、今朝起きたばかりの〝侵食〟とみられる現象についての最新情報と、〝侵食〟の正体についての仮説だ」
その証拠に、透は嬉々とした声色で、制服の胸ポケットから一枚の写真を取り出した。それを丁寧に俺の机に置き、彼は再度口を開いた。
「これを見てくれ。〝侵食〟を捉えた貴重な写真だ」
そこに映っているのは、何処かの島と思しき輪郭と、白い球状の何か。これが恐らく、〝侵食〟だと彼は言っているのだろう。
――〝侵食〟とは、ここ半年程世界を騒がせている、とある現象のことだ。
曰く、それが起こると、大陸が一瞬で消滅する。
曰く、それが起こると、未知の怪物が現れ、殺戮が起きる。
現象とは言ったものの、その正体は未だ謎に包まれている。〝侵食〟が未知の現象なのか、はたまた未知の生命体なのか。それとも、更に別の何かなのか――
〝侵食〟が起こる場所も時期も不定期であり、人族の技術力でも、詳しいことは何も分かっていないらしい。その被害を直接的に受けているのが、最も人口の多い人族なので、上層部は〝侵食〟現象の解明に日々躍起になっているという訳だ。
「これが〝侵食〟だっていう証拠はあるなのです?」
離れた席に座っていたリミナが、立ち上がってこちらまで来て、ひょっこりと顔を覗かせる。この、恐ろしい現象を引き起こす〝侵食〟も、俺にとっては遠い世界の出来事のようで、現実味がない。それはリミナや透も同じなのだろう。だからこうして、部活の議題に挙げられているのだ。
「ああ。この後、この物体は写真に写っている北海のラトス島を一瞬で消滅させ、瞬く間に姿を消したらしい。竜族の飛行速度を考えても不可能だろうし、エルフ族が魔法を展開した痕跡も見られない。ましてや、ドワーフ族の錬金術でもない。そして、人族の技術力では、この面積の島を一瞬で消滅させることはできない。つまり、この世界に存在する者の仕業ではないと考えられる」
いつにも増して、透の声に熱が入っている。どうやら、スイッチが入ってしまったらしい。雄弁に語る彼は、こうなるとしばらく止まらないだろう。
「次に、〝侵食〟の正体についての仮説だが、オレは、あれが単なるエネルギーの塊や現象だとは到底思えない。あれは未知の生命体だと考えている」
「何でそう言い切れるんだ?」
俺のその問いに、透は待ってましたとばかりに写真を指差す。俺はつられて、写真に目を落とした。
「この写真をよく見ると、白い球体に重なって、黒い影のようなものが見えるだろう? あの島は無人島だ、偶然他種族が映ったとは考えにくい。とすれば、〝侵食〟の中に何かが棲んでいると考える方が妥当だろう。つまり〝侵食〟とは単なる現象ではなく、何らかの生命体の生命活動であると仮定できるのだ」
紙袋で表情は見えないはずなのに、得意げな笑みを浮かべる透の顔が脳内に浮かんだ。とはいえ俺は、彼の素顔を見たことがないのだが。
透の話を反芻しながらふとリミナの方へ目を遣ると、彼女はいつの間にか席に戻っており、魔力で編んだ小動物と楽しそうに遊んでいた。どうやら、透の話にそこまで興味がそそられず、飽きてしまったらしい。リミナが大人しいこと自体はいいことなので、俺は特に触れもせずに放っておくことにした。
「〝侵食〟が生命体なら、侵略でもしに来たってことか?」
〝侵食〟が起こしてきた事象を考えると、それも筋が通るような気がする。俺の疑問に、彼は少し考えてからこう答えた。
「オレが現在持っている情報だけでは、肯定も否定もできない。〝侵食〟が生命体だというのも、あくまで仮説だしな。ただ個人的に、侵略だとすると少し引っ掛かる点がある。〝侵食〟の目的が侵略なら、もっと早い段階で我々を制圧できるはずだ。だが、それをしていない。となると、目的は何か別にあるのか……?」
俺の問いに答えている途中で一人熟考モードに入ってしまった透は、そのまま自分の思考へと没頭していくが、傍から見れば相当な不審者である。何しろ、紙袋を被った男が小声で何かぶつぶつと呟いているのだから。それも、部室の片隅に座り直しながら、である。
こうなってしまった透はしばらく現実世界には帰ってこないので、放っておくしかない。彼はじっくり考えた上で結論を出したがるタイプなのだ。
となると俺は、この部室ですることが何もなくなってしまった。この部の活動は、部長である透が持ってきた議題を話し合うことが主なのだから。とはいえ俺は、大抵聞き役に徹して、先程のように気になったことを彼に質問するくらいしか自主的には活動していない。この部活に入ったのも、オカルトの類に興味がある訳ではなく、透の性格が気に入ったのと、ここなら放課後の時間を気楽に過ごせそうだ、と思ったからだ。
日が先程よりも傾き、地平線に沈みかけているのが窓から見える。
時計を見ると、時刻は午後五時前だった。最終下校時刻も近づいてきているので、そろそろ帰ろうかと椅子から立ち上がった、その瞬間のことだった。
地響きにも似た轟音と共に、地面がぐらりと大きく揺れる。咄嗟のことに体勢を崩し、思わず再度椅子に腰掛け直すことになった俺は、周囲をぐるりと見回した。
揺れは一度では収まらず、むしろ激しさを増しているようだ。揺れのせいか、部屋の片隅に集めてあったガラクタが部屋中に散乱している。普段のにこやかな表情とは打って変わって焦った顔をしたリミナが、立ち上がって部室の扉を全開にした。
「何だ、地震か?」
揺れのせいで雪崩を起こしたガラクタの山に埋もれていた透が、ガラクタを退けながらのろのろと立ち上がる。と、血相を変えたリミナが、俺達を振り返って叫んだ。
「早く逃げるなのです!」
彼女は未熟だとはいえ、エルフ族の中でも一級に分類される優秀な魔法使いだ。そのリミナが逃げろと言う出来事に、人族である俺が太刀打ちできる訳がない。
共に教室を飛び出した俺達は、先陣を切るリミナに続いて、真っ直ぐ昇降口へと向かった。その道中に立ち尽くしていた生徒も誘導し、迷いなく進んでいくリミナの姿は、普段の様子とは比べ物にならない程頼もしく見えた。
校舎内には、非常時に流れるアナウンスの無機質な声がこだましている。アナウンスは、校舎の外に避難してください、とまるで壊れた機械のようにその言葉だけを繰り返していた。
避難の最中も当然の如く揺れは収まらず、地響きのような音も消えてはいない。揺れのせいで天井に細かな罅が入り、ぱらぱらと破片が頭上から降り注ぐ。小さな破片なら当たったところでさして問題はないが、稀に大きな破片が落ちてくるので、それに当たらないよう頭を庇いながら、俺達は階段を急いで駆け下りた。
ようやく辿り着いた校舎の外には、既に多くの生徒達が集まっていた。教師たちが生徒の点呼を取っているのが見える。皆不安げな表情で、宙に何か浮かんでいるのだろうか、一点を真剣に見つめていた。日が完全に落ちたようで、辺りは薄闇に包まれていた。
俺はつられて、生徒達が見つめる方向へ目を向ける。
――ソレは、今まで気が付かなかったのが不思議な程、存在感を持ってそこに佇んでいた。
宙に浮かぶ、白い球状の何か。それは、先程透に見せてもらった写真に写っていた、〝侵食〟と思しきモノと同じ形をしていた。
「あれは……!」
俺と同じように空を見上げた透が、歓喜とも恐怖ともとれる声を上げ、思わずといった様子で白い球体に駆け寄ろうとする。そんな彼を、リミナが強く腕を掴んで引き留めた。
「やめなさい。アレに近づいてはいけないなのです。今ここで死にたいなら、止めはしないなのですが」
見たこともない程落ち着いた、それでいて冷酷とも取れる声色で、リミナが静かにそう言う。それでも透は、やや悔しさをにじませた声で呟いた。
「しかし……今を逃せば、次いつここまで接近できるだろうか……っ」
「今近づけば、次も何もないなのです。大人しく見ていろなのです」
有無を言わせぬリミナの言葉に、透が押し黙る。