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1-3

 柔く西日が差し込む、放課後の静まり返った教室の中。

 微睡むにはうってつけの明るさと温もりに包まれながら、誰もいない『未解明現象研究部』の部室の机に突っ伏し、俺は夢と現の狭間をゆらゆらと揺蕩っていた。

 今日も授業で、人族である自分とは一生無縁であろう知識ばかりを頭に詰め込むことに勤しんだおかげで、酷使した脳は既に悲鳴を上げている。その後に真と少し話をし、俺はふらふらと部室にやって来たのだ。彼は今日も最終下校時刻ぎりぎりまで部活があるそうで、文化部である俺とは比べ物にならない程忙しそうだった。その忙しさの中で勉強も完璧に熟しているのだから、尊敬に値する。俺はといえば、ただ授業を受けただけで家に帰る気力すらも奪われてしまうというのに。

 俺はしばらく無人の部室で、だらだらと心地良い微睡みに浸ることを選択した。どうせ、最終下校時刻までは一時間程ある。加えて、まだ部活メンバーは誰も来ていない。ならば、俺がこうして惰眠を貪ることを選ぶのは、当然の帰結と言えるだろう。

「夜絃ー? そろそろ起きないと、おうちに帰れなくなるなのですよー?」

 突如頭上から、妙に間の抜けた甲高い声が降り注ぐ。彼女が俺に近づくまで気付けなかったところから考えるに、俺は少し眠りに落ちていたらしい。顔を上げる気力すらまだ回復していなかったので狸寝入りを決め込んだ途端、硬い棒状の何かで頭をコンコンと叩かれた。恐らく、エルフ族の生徒に支給されている木製の杖だろう。普通に痛い。

「……ってぇな、何すんだよ。つーか、また言葉遣いおかしいぞ、お前」

 それでも頭を起こさずに、俺は低く唸るようにして彼女に文句を言う。とはいえ彼女はエルフ族の交換留学生なので、人族の言葉は絶賛勉強中だそうだ。他の言葉は流暢に操る癖に、この特徴的な語尾だけがなかなか直らないのである。

「起きない夜絃が悪いなのですよ。それに、わたしは丁寧なだけなのです」

 そんな、何処か自慢気な声に、俺は諦めてのろのろと顔を上げる。えっへん、とでも言いたげに自慢げに胸を反らす少女・リミナ・エルカータは、俺の草臥れた顔を見ても、ただにこにこと笑っているだけだ。

 俺は小さく溜息をついて、リミナを見つめる。緩く波打った肩口までの長さの淡い金髪に、エルフ族特有の先の尖った長い耳。すっと鼻筋の通った、端整な顔立ち。その中でも目を引く優しげな垂れ目は桃色をしていて、彼女の白い肌を際立たせているようだ。彼女が柔く微笑めば、その聖母のような笑みに大抵の思春期真っただ中である男子高校生は恋に落ちることだろうが、彼女を知る俺はそんな見掛けにはもう騙されない。何故ならリミナは、エルフ族の特徴をそのまま詰め込んだような少女なのだ。魔法が得意で悪戯を好み、退屈を嫌う自由奔放さと共に、これは彼女だけの特性だろうが、やや嗜虐的な一面も持ち合わせている。眠る俺を自分の杖で容赦なく叩き起こすところからも、その一面は窺えることだろう。

 加えて彼女は、この教室でだらだらと過ごすことに既に飽き始めているようだった。

「それで、部活はしないなのです? せーっかくわたしが情報を持ってきてやったのに、その態度は何なのです?」

 くるくると教室内を歩き回りながら、リミナが不満げにそう零す。いや、別に俺は持ってきてくれと頼んだ覚えはない。

「その情報とは、今朝起こった〝侵食〟についてか? その情報なら、既にオレが持っている。君の情報提供は必要ない」

 突然部室内に響いた低く落ち着いた声。殆ど間を置かずに、ガラクタが置いてあるだけだと思っていた部屋の片隅から一人の男が姿を現わしたので、俺は驚いて椅子から転げ落ちそうになった。彼の姿が奇怪なのは今に始まったことではないが、ただの紙袋だと思っていたものが人型に変わる衝撃は、何度目撃しても慣れるものではない。

「お前、いつからそこに……!?」

 思わず口を衝いて出た問いに、詰襟の制服姿で頭に紙袋を被った彼・氷室透ひむろとおるは、こてん、と首を傾げた。頭に紙袋を被っている上に、彼は俺よりも背が高いすらりとした体格をしているので、そんな仕草をされても全く可愛くはない。むしろシュールだ。

「オレは、夜絃が教室に入ってくる十分程前からここにいる。情報を伝えようかと思ったのだが、疲弊していたようなので待機していた。驚かせてしまったのなら済まないな」

 紙袋で隠れているので表情は全く分からないが、声を聞く限り反省しているようだ。彼は、見た目は奇怪だが、根は酷く真面目である。透が紙袋を被っているのは、日光を浴び続けると石になってしまうドワーフ族でもないのに、肌を見せることを極端に嫌っているからだ。そのため、彼は紙袋を頭に被るだけでなく、白手袋とマフラーを年中身に着けている。

 それはともかくとして、反省する点は驚かせたことではなく、紛らわしい位置に身を潜めていたことだろう。まあ、そこは彼の定位置のようなものになっているので、俺は曖昧に頷くだけで特に何も言わない。誰しも落ち着く場所はあるものだ、仕方がない。

「気を遣ってくれたんだよな、ありがとう。俺は別に気にしてねぇよ」

 そう、彼の登場がこのように唐突なのも、今に始まったことではない。そう考え、俺は彼に柔らかく笑いかける。未解明現象研究部に入って早一年と少し、俺も彼の奇怪な言動に慣れてきてしまったのかもしれない。

 彼は俺よりも一つ上の学年である高校三年生だが、透と俺は先輩後輩というよりも、ただの友人に近い関係だった。それは、この部が元々俺と透しかメンバーがいなかったことに起因している。リミナがこの部に入ってきたのも学年が上がってからなので、ここ一ヶ月程度のことである。

「紙袋さん、いつもどうやってわたしの生命探知を逃れているなのですか? わたし、驚かされるのはすっごく不愉快なのです~」

 そう言った彼女の声を聞いた途端、ぞくっと背筋に悪寒が走り、俺はそっとリミナの顔を窺った。彼女は満面の笑みを浮かべているが、その声には間違いなく怒気が含まれている。俺はそっとリミナから距離を取ろうとしたが、今立ち上がって彼女を下手に刺激するとまずいと思い、小さく身を縮こませることしかできなかった。

 すると透は、俺に向けていた反省の態度は何処へやら、リミナに向き直るなり挑発するような口調でこう言った。

「生憎オレは、君達お得意の魔法には疎いのだが、オレが君の生命探知を逃れているのではなく、君の生命探知が杜撰なのではないか?」

 にっこりと、リミナの笑みが深くなる。俺は生きた心地がしなかった。

「いい加減黙らないと、その紙袋ごと燃やしてしまうなのですよ、紙袋さん?」

「やれるものならやってみればいい。無抵抗の者を攻撃すればどのような処罰を受けるか、知らない君ではないだろう?」

 今にも戦争が始まりそうな緊張感に、知らず固唾を吞む。しかし、優勢なのは透だろう。弁論で彼に敵う者は、この高校ではそう多くない。

 リミナも、口先だけの脅しが効かないことは分かっているのだろう、一度だけ透を鋭く睨みつけてから、空いている席に大人しく腰を下ろした。

 眼前の光景を眺め、俺は小さく溜息をつく。この二人の仲が悪いのはいつものことだが、顔を合わせる度に俺の目の前で火花を散らすのはやめてほしい。心臓に悪過ぎる。寿命が縮んでもおかしくない程だ。

「それで、その情報ってのは何だ?」

 この険悪な空気を少しでも早く吹き飛ばしたかった俺は、素早く透にそう話を振った。瞬間、彼はいつもの冷静さを取り戻したように、ふっと部活モードに切り替わった。この部活は彼が立ち上げ、彼が部長を務めている。彼はこの手の、未解明の現象やらオカルトめいた話やらが大好物なのだ。


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