けたたましいアラームの音が、静寂を突き破って部屋中にこだまする。その音から逃れるように寝返りを打つと、カーテンの隙間から差し込んだ光が顔に直撃し、その目もくらむ眩しさに俺・
アラームを止めて音が止んだというのに、まだあの甲高い音が耳の奥にこだましているような気がする。そんな幻聴に苛まれながら、俺は気力を振り絞って体を起こし、気怠さに支配された体に朝日を浴びせようとカーテンを全開にした。窓全体から差し込んだ朝日の眩しさで、視界が真っ白に染め上がる。目が慣れてくると窓の外の景色が輪郭を持ち始め、通勤途中なのだろうか、スーツ姿の人々が慌ただしく行き交う姿が目に映った。
時計に目を遣ると、時刻は午前八時前。俺は慌てて立ち上がると、寝巻きから制服に着替えてリビングへと向かった。
リビングでは、エプロン姿の母が忙しそうに弁当に料理を詰めているところだった。彼女は起きてきた俺を見遣り、おはよう、と微笑む。俺は小さく欠伸を零した。
「おはよう、母さん」
リビングにあるダイニングテーブルに腰を下ろすと、母がすぐに朝食を俺の前に置いてくれる。本日の朝食は、トーストの上にチーズと目玉焼きが載った一品だ。ほかほかと湯気が上がっているところを見ると、まだ作り立てなのかもしれない。俺は有難く手を合わせ、いただきます、と呟いた。
トーストを手に取り、一口齧り付く。さくっ、という小気味良い音と共に、口の中にチーズと半熟卵の風味が広がる。とろりと垂れた黄身を手で掬い取りながら口に運ぶと、母がおかしそうに笑った。
「んだよ?」
「いや、食べ方相変わらず下手ね」
はいお弁当、と母がテーブルの上に弁当箱を置く。俺は黄身がついた手を舐めた。
「ありがと」
ついでのように手渡された布巾を有り難く受け取り、汚れた手を拭く。噛んだ瞬間に溢れる黄身をどうにか零さずに食べようとはするのだが、慌てて食べているため、これがなかなかに難易度が高いのだ。
「美味かった。ごちそうさま」
トーストを平らげた俺は、食器を流し台に運び、洗面所へと向かう。洗面所で顔を洗って歯磨きを済ませると、少し目が覚めてきたような気がした。
時計を見ると、午前八時を少し過ぎた頃だった。俺は洗面所を後にして自室へ向かい、通学鞄を持ってリビングに戻る。ダイニングテーブルの上に置かれた弁当箱を鞄の中に入れ、いってきます、と母に言ってから、俺は家を飛び出した。
初夏の訪れを告げるように、生温い風が頬を撫でていく。教科書を詰め込んだ通学鞄がやけに重く感じ、俺は小さく息を吐いて足を速めた。まだ時間はあるが、朝の雰囲気に妙に気が急くのだ。そのおかげなのかもしれないが、俺は未だに遅刻をしたことがない。どんなにギリギリだろうと間に合う時間に目が覚めるのは、そういう体内時計が既に構築されている証拠かもしれない。
足早に住宅密集地を抜けると、すぐに見慣れた校舎が見えてくる。俺の住む地域には、他にも数か所高校があったものの、家から最も近いという理由だけで、俺はこの高校に通うことを選んだ。そのおかげで遅刻寸前まで眠っていられるというのは、利点なのか欠点なのか分からない。朝があまり得意ではない俺にとって、家のすぐ近くに学校があるのは非常に助かっていた。
正門に近づくにつれ、同じ制服を着た生徒の数が増えていく。その中に紛れて昇降口に向かい、靴を履き替えて校内に入る。高校二年生である俺の教室は二階にあり、昇降口を右に曲がったところにある階段を登っていく。ここまで来ると見知った顔にもちらほら出会い、俺は適当に挨拶を交わしながら自分のクラスの教室に入っていった。
公立人族自治区域第三高校。俺の通う高校には、そんな仰々しい名前が付けられている。人族の上層部が運営するため、このような名前が付けられている高校は、第五高校まであるそうだ。五か所に区切られた自治区域に一箇所ずつ存在しているのである。
自分の席に着いた俺は、鞄を机の上に置き、ぐるりと教室内を見回した。
公立人族自治区域第三高校は、他の高校と同じく国語や数学、科学などの基本的な科目は勿論だが、それに加えて他種族の歴史や魔法なども学習するという特色を持っている。しかし、人族は魔力を保有しないため、魔法を学習しても実際に使用することはできない。あくまでそれは、他種族理解のためだ。
公立人族自治区域第三高校は更にもう一つ、他の高校と違う特色がある。
俺の目に、耳の先が鋭く尖ったエルフ族の男子生徒が目に映った。
公立人族自治区域第三高校は、希望があれば他種族の生徒の入学も許可している。それに加え、他種族の交換留学生も多く在籍している。とはいえ、この高校は地上にあるため、日光を嫌うドワーフ族の生徒はそもそも通うことができない。竜族に至っては、人族と限りなく関係が薄いので、俺は竜族の生徒がこの高校に通っているという話を聞いたことがない。そのため、他種族といっても、エルフ族のみが生徒として在籍しているのは、ある意味必然なのだろう。
鞄の中から教科書を取り出して机に仕舞うという作業を終え、俺は鞄を机の横のフックに掛けて席に着いた。人族の上層部が他種族理解を謳うのは勝手だが、それを授業の内容にまで反映しなくてもいいように思う。
俺は一限目の魔法理解の教科書を取り出し、ぱらぱらと捲ってみる。魔法を展開するための呪文は全てエルフ族の言葉で書かれており、彼らに言わせれば単純な魔法なのだろうが、俺にはさっぱり理解不能だった。この授業を担当する教師も、稀にエルフ族の生徒から指摘を受けることがある程、人族にとって魔法は難解なものなのだろう。俺は溜息をついて教科書を閉じた。
机の上に筆記用具と教科書を用意し、抜け切らない眠気に抗うことなく机に突っ伏す。俺の朝の様子は普段からこうで、クラスメイト達が元気に談笑する声をぼんやりと聞いていることが多い。話をするクラスメイトはいるにはいるが、学年が上がって一ヶ月と少し、俺はまだこの空気に馴染めずにいる。
「おはよ、夜絃! 今日も眠そうだなぁ」
快活な少年の声に、俺はのろのろと顔を上げた。寝癖がついたままの茶髪に、人懐っこそうな笑みを浮かべている。彼・
そんなクラスの人気者が何故俺に話し掛けるようになったのかというと、俺はひょんなことから彼を助けたことがあるのだ。
あれは、学年が上がって直ぐのことなので、ちょうど一ヶ月ほど前のことだ。
放課後、俺はたまたま課題が出ている科目のノートを教室に忘れてしまったことに気付き、教室まで取りに行くことになった。すると、人気のない教室で、真が通学鞄を必死に漁っている姿を見つけた。
「何してんだ?」
そう声を掛けると、真は酷く慌てた顔で俺を振り返った。いつも柔い笑みを絶やさない真のそんな表情に、俺は只事でないことをすぐに悟った。
「あ、えっと、朔月くん……」
おどおどした様子で、真が視線を彷徨わせる。俺は彼の傍に屈み込んだ。
「何か困ってんのか?」
そう尋ねると、真は泣き出しそうな表情で俺を見つめた。
「実は、部活で使う靴がなくなっちゃってさ……絶対ここに入れてたはずなんだけど……」
グラウンドの方から、運動部の元気な声が聞こえてくる。部活は既に始まっているので、真は相当慌てているのだろう。俺は、真の通学鞄をちらりと覗き込んだ。
通学鞄の中は、綺麗に整頓されていた。縦に入れられた教科書、筆記用具。その隣に水筒とタオル、運動着。鞄の中にはぽっかりと空いた不自然な空間があり、恐らくそこに靴が入っていたのだろう。ここまで綺麗に整頓された鞄の中から靴だけなくなるとは到底思えない。