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第53話 依陽の不調

麗璃様の麗魏殿で話を聞いたその足で、私は隣にある清蓮様の清綾殿で女官からの話を聞いて、その後すぐに麗璃様の近侍・春明と共に不審者を目撃したという、麗魏殿のすぐ裏にある依陽様の紗陽殿の門番から話を聞たが、特段変わった証言はなかった。


誰もがしっかりとした顔を見ていないという。

宦官たちは春明が不審者を見つけて騒いだところに逃げ出した不審者を追いかけていたので顔自体は見ていないし、清蓮様の女官も清綾殿の庭でちらりと目にしてすぐに逃げてしまったという。

皆それぞれしっかりと顔も見ていないがゆえに見覚えも何もないというのだからお手上げだ。


一日で目撃者からの情報を全て聞き出してしまったが、手掛かりは無し。

とぼとぼと紗陽殿の門から出ようとした、その時だった。


バタバタバタバタ──!!


紗陽殿の建物の中で、女官たちが回廊をあわただしく描けているではないか。

その表情は焦りに道、ただ事ではないことが見て取れる。

何かあったのだろうか?

私は踵を返すと、再び紗陽殿の方へと戻って行った。


***


「医師を早く!!」

「お湯を持ってきて!!」

「布、取ってきます!!」


紗陽殿の建物の中に戻ると、女官たちの切羽詰まった声が飛び交い、私は思わずごくりと喉を鳴らし、その中の一人に声をかけた。

「あの、何があったんですか?」

「!! 蘭様……。実は、依陽様が嘔吐なされて……」

「依陽様が!?」

「今、軽食をお口になされたばかりで……突然具合が悪くなられたと……」

食事中に嘔吐。

考えたくなくとも考えてしまうのは、何かしらの毒だけれど……。

「毒味はいたのですよね?」

「はい。もちろんです。それで安全を確認しておりましたのに、どうして……」

ということは、依陽様のお身体が?

いずれにしても、あまり良い状況ではなさそうだ。

「あの、依陽様にお会いしても?」

「あ、はい。蘭様に関してはいつでもお通しするようにと言われていますし、落ち着いて医師の診察を受けられた後でしたら大丈夫かと。少し、お待ちいただくことになってしまいますが……」

「大丈夫です。待たせてください」

そうして紗陽殿の広間で依陽様の診察を待った私に面会許可が出たのは、空が茜色に染まり始めた頃だった。


***


「──いらっしゃい、蘭様。ずいぶんお待たせしてしまいましたわね。どうぞ、こちらに」

顔色は青白く、少しげっそりとしているようにも見える依陽様に、私はゆっくりと彼女の横たわる寝台へと歩み寄った。


「あの、依陽様、お加減は……?」

「そうね、お薬を飲んだら吐き気は少し収まったけれど、今は立ち上がる余力がありませんの。せっかく来ていただいたのに、こんな状態でごめんなさいね」

そう言って力なく笑う依陽様の手を、私はそっと自身の両手で包み込んだ。


冷たい。

生気がまるで感じられないその手は、彼女の具合の悪さをよく表しているようだ。


「ご病気、ですか? それとも何か毒のような?」

「医師の見立てでは、毒ではなさそうだ、とのことよ。毒味も特に何ともないようですしね。先日の“死の緑”に関しても、私はあの茶器を使っておりませんでしたし、蓄積されたという線も薄いと」


よかった。

紅蘭様からの恐ろしい贈り物──“死の緑”が使われた茶器。

あの一見後、時々出しては茶を飲んでいたという清蓮様や、大切にしまっていたという依陽様はその茶器を処分なされた。

使用頻度も少なかったためか、今のところ清蓮様のお身体に変化はないようだが、やはりあの茶器の影響は気になってしまうところだった。


「なら今日のものは依陽様の体調不良である、と?」

「えぇ。ここのところ少し体調が悪くて、気持ち悪さから食事もあまり進まず、それが余計に身体を悪くしたのかもしれませんわ。駄目ですわね。しっかり食べないと。医者の不養生、いえ、医者の娘の不養生、ですわね」

苦笑いする依陽様だが、その表情に力はない。

そういえば依陽様は医者の娘で、薬関係にも精通しているお方だ。

体調管理には人一倍気を付けていただろうに。


「少しずつでも良いので食べられるものを食べてくださいね。まずは体力をつけるところからですっ」

「ふふ。えぇ、そうですわね。もうすぐ頼んでいた薬草や薬の材料がたくさん届きますし、早く回復しなければ」

「ほ、ほどほどにしてくださいね?」

と、言っても恐らく無駄だろう。

庭や部屋にあふれる薬草を見てもわかるように、依陽様は根っからの研究者だ。

一度没頭すれば食事すら忘れてしまう種類の人間だろう。私も同じだからよくわかる。

気になる本を読んでいたり新しい暗器を手に入れたときなんかは、時間も食事も忘れてそれらに没頭してはよく姉様に呆れられ窘められていたものだ。


「蘭様。ここに来られたということは、蘭様はまた何か陛下にご依頼されたのですわよね? もし私にも何か聞きたいことなどありましたら、いつでも訪ねていらして、蘭様なら大歓迎ですから」

依陽様の中では私がすっかり学のある素敵な女性と認識されているようで、まぁ嫌われるよりは良いのだけれど、若干くすぐったくもなる。


「はい、ありがとうございます。では依陽様、お身体、ご自愛くださいね。失礼しました」

私は依陽様にそう言ってお辞儀をすると、少しだけ落ち着いた紗陽殿を後にした。








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