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第51話 消せない記憶


「急な呼び立てをしてすまなかったな、柳蘭。人払いは出来ている。楽にせよ」


正午になってすぐ、私は景天様の女官に手伝ってもらって登朝の支度をし、陛下のもとへと参上した。


玉座には皇帝陛下。その両脇を凛さんと蓮さんが固め、あとは人払いをされていて誰もいない。

つまり、この件について知る者は一部で、大々的に話すことが憚られる内容、ということだ。


「実はな。またそなたに頼みがあって召集をかけたのだ」

「私に、ですか?」

「あぁ。後宮は基本男子禁制であることはそなたも知っておろう?」

「はい」


皇帝や妃嬪たちのクラス後宮は、その御身を守らせるため、男性の入宮は制限されている。

入ることができるのは皇帝陛下と、景天様のような入宮許可を得た陛下の家族、宮廷医師、皇帝が許可をした、男としての機能を失った宦官と呼ばれる者のみだ。


「その後宮で、知らされている男以外の顔を見たという報告が出ているのだ」

「!!」


男性が入宮する際、予め女官たちはその訪れを知らされている。

当然、後宮に入る男は限られているのだから、女官は皆顔を覚えているし、知らない顔があればすぐに気づく。


「目撃者は4人。だがはっきりと見ているわけではないようで、どれも素性の特定には至らん。だが、後宮を取り仕切る皇后、皇太后不在の中、妃嬪達を危険にさらすことはできない。そこで、柳蘭、そなたに後宮に出入りする男についての調査を頼みたい」


「私に、ですか?」

「うむ。景天は永寿の不在で仕事も山積みだろう。それに柳蘭、そなたは先の一件で妃嬪達だけでなく女官たちの信頼を勝ち得ておる。この役目にうってつけであろうと思ってな」


景天様の仕事が山積みなのは、永寿様がいない云々の前に、皇帝陛下が仕事を丸投げするからだろう。──とは思っても口にしない私。えらい。


「あの、心当たりも全くない、ということでしょうか? 目的やきっかけ、なんでも……」

「すまない。私も女官たちにも、皆目見当がつかないのだ。妃嬪が普段目にする男も、私か宮廷医、それにたまに景天が私の遣いで訪れるぐらいで、他との接点もない」


何の接点もなく、きっかけも掴めない状態……。

本当に一からの手探り調査というわけか。

これはまた、難しい案件を言いつけられたものだ。


「褒賞ついでに、桃華饅頭も好きなだけ付けよう」

「やります!! やらせてください!!」


あ……。

つい桃華饅頭につられて勢いのままに了承してしまった私に、陛下の口端が僅かに上がった。


「では柳蘭。明日より調査の程、よろしく頼んだぞ」

「……あい……」

あぁ……この人、まごうことなき景天様のお義兄様だ……。


***


「──で、また後宮の謎解き係に任命された、と?」

「…………へい……」

「どうせ桃華饅頭にでもつられたんだろう」

「………………へい」


景天様の屋敷に帰ってすぐに陛下の依頼について報告に訪れた景天様の執務室。

心なしか机の上はいつもよりも書簡の量が多いような気がするのは、早くも永寿様不在の影響が出ているということなのだろう。

とはいえ、日ごろから景天様へ持ち込まれる書簡はとてつもなく多いのだから、いかに皇帝陛下の仕事を請け負っているのかがわかる。


「はぁ……。まぁ、君にとっては姉のことを知る機会でもある。しかと励むが良い。が……無茶はしないこと。いいな?」

「はいっ!!」


なんだかんだ、この人は甘い。

だがそれは私だけに限ったことではない。

永寿様曰く、滅多に人を信用しないが、一度ご自分の懐に入れた人物には等しく甘いのだという。

その甘さは、おそらく無意識ではあるだろうが皇帝陛下にも適応されているのだろう。

でなければ、この野心にあふれた策士はすぐにでも永寿様や私に命じるはずだ。

皇帝陛下の、暗殺を──。


「……」

「? どうした?」

「!! あ、いえ、別に何でも……」

つい考え込んでしまった私を、景天様が目ざとく気づいて声を抱える。

何でもないように首を横に振るうも、景天様の目はそう簡単に誤魔化せるわけがない。


「何かあるのならばその都度言いなさい。気になってこの書簡の山を整理することができなくなる」

「うぐっ……」


それを言われたらいうしかなくなってしまう私の小心者な性格をよくわかっていらっしゃる。

逃れられないと理解した私は、意を決して、彼に先ほどの私の頭の中を口にすることにした。


「その……前に永寿様がおっしゃっていたんです。景天様は、滅多に心から人を信用することはないが、一度懐に入れたものには甘いのだと。その甘さって、皇帝陛下にも適応されてるんだろうな……って……」

「……」


ひぃっ……!! 怖い怖い怖い怖い!!!!

みるみるうちにすん、とした表情に変わっていく景天様に、内心、いや、表面上でも冷や汗が出てくる。

地雷か!? 地雷だったのか……!?

『兄ちゃんのこと本当は結構好きだぜ』っていうのを暴かれてご立腹か!?


まずい。これは殺られる気しかしない……!!

ここに来て私、真相がわからないまま死すのか……!?

『皇弟の屋敷はその下に蘭の骨を隠す』になるのか!?

いや、そうはならない。その前に私が景天様を──。


「何を考えているかはわからんが、とりあえずその繰り出そうとしている暗器はしまっておきなさい」

「!!」

「それと、皇帝陛下に甘いかどうか、だが────それだけはない」

「へ……?」

きっぱりと言い切った景天様に、私は目を丸くしてぱちぱちと瞬いた。


「あの、え、本当に?」

「あぁ。正直、殺ろうと思えばすぐにでも殺りたいと思うことは多い。桃華饅頭を大量に進められた時なんかは特にな」

うわぁ……殺気が漏れてる……。

そんなに嫌か、桃華饅頭。


「嫌いなものを隙あらば勧めてくる。送ってくることもある。しかも大量の仕事を丸投げする。新たな仕事まで増やす仕事生成器だ。これでどうして甘くしたいなどと思える?」

「た、たしかに……」


むしろよく生かしてるな、この人。

景天様は剣の腕もある。ご自分で陛下を手にかけることなど容易いだろうし、暗殺者の弟子である永寿様や私もいるのだ。

いつでも、どこでも、殺ろうと思えば実行することだってできる。


「私が陛下をまだ手にかけない理由は一つ。今が時ではないからだ」

「時では、ない?」

首をかしげる私に、景天様が頷いた。


「あぁ。たとえ今陛下を手にかけて皇帝になったとしても、未だ皇帝派は少なくはない。前皇帝陛下と正妃である皇后紅蘭様の確かな血筋を重んじる者は等しく昔からこの国で強い権力を持っている者がほとんどだ。対して私は妃嬪の子で、市井で育った下賤の者という認識を持つ大臣も多い。永寿の言うように、滅多に人を信用しないから、腹心と言える者は永寿と蘭、君ぐらいなものだ。平民から支持は得てきているが、朝廷内ではまだまだ……。こんな状態で皇帝を亡き者にし、その座に就いたとしても、私はその数少ない腹心たちを無駄に死なせるだけになるだろう。だから今は愚かな皇帝の尻ぬぐいをしながら、地道に私の評価を上げている。潜伏期、というやつだな」


「潜伏期……」

「だが、遠くない未来、臣下すらも皇帝を見限るだろう。その時には平民の声も勢力を増して、私の背を押すはずだ」

あぁ、なんて努力家で、誠実な、策士だ。

極力血を流すことなく、皇帝となるための足掛かりを作っているというのか。


「あとは、そうだな……。あの人のことは大嫌いだし、市井の暮らしの為には殺すこともためらいはない。が────」

「?」

「たった一度だけ、幼い私の手を引いて歩いたその記憶は、簡単には消えぬものだ」


三歳までは後宮で過ごされていた景天様。

前皇帝の世継ぎであった陛下とはあまり関わらずに過ごされたのだと勝手に推察していたが、そうか……、何かしらの関りがあったのかもしれない。

それこそ、私なんかには想像の付かないほどのわずかな、何かしらの記憶と思いが、お二人の間にはあるのだろう。

私と、姉様にもあるように。


「景天様」

「ん?」

「やっぱり景天様は、甘いです」

そしてその甘さという人間らしさに、どこか安堵している自分がいて、私は頬を緩めた。


「……そうだな。そうかもしれん」


景天様はつぶやくと、また山積みの書簡を1つ、手に取ったのだった。








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