「さて、柳蘭。褒美だ。約束通り一つだけ、願いをかなえてやろう。欲しいもの、地位、もしくは聞きたいこと……」
きた──!!
ついに望んでいたことがわかる……!!
私は姿勢を正すと、皇帝陛下とまっすぐに視線を合わせた。
「……まずは場所を移す。ついて参れ」
──そう言われて連れて来られたのは、姉様の部屋の庭園だった。
癒しの庭園にある円卓には、山のように積まれた桃華饅頭とほくほくと白い湯気の出る茶。
ごくり、と正直な私の喉が鳴る。
「遠慮はいらん。好きなだけ食べると良い。無くなったら追加で持ってこさせる。人払いもしているから何でも言うといい。そなたの褒美は、そなたの当然の権利だ」
ここは極楽か。
いやいやいや落ち着け蘭。
今は桃華饅頭にうつつを抜かしている場合ではない。
きかなければ。姉様のことを。
でも何から?
尋ねられるのは一つだけ。
『なぜ唯一の肉親である私に葬儀を知らせず、国葬すらしなかったのか?』
『なぜ姉の命を救えなかったのか?』
考えればきりがない。
だけど、でも────。
「……姉は…………姉様は……っ……笑って、いましたか?」
飛び出した言葉は、姉の死の真相には何の関係もなくて。
それでも私は、知りたかったのだ。
姉はちゃんと、笑えていたのか。
この、魔窟の中で。
私の問いかけに、皇帝陛下はその何を考えているかわからない無の瞳で私を見つめ、やがてゆっくりと口を開いた。
「…………あぁ。蓉雪は……よく笑い、よく怒り、表情のくるくると変わる──そう、そなたに似た、表情の変化の多い女性だった。……あの日、この後宮での最後の日も、彼女は笑っていた」
「っ……」
抑揚のない、だけど確かなその言葉に、じんわりと目頭が熱くなる。
ずっと、心配だったのだ。
一人後宮に入って、姉はつらい思いをしていないだろうか。
いじめられてはいないだろうか。
泣いてはいないだろうか。
ちゃんと、笑えているだろうか。
家族という存在がなくなり、私には老師がいたけれど、姉様はここで一人だったのだから。
「そう、ですか……っ、良かった……っ!!」
せき止められていたものが決壊して、とめどなく零れ落ちる涙。
止めようとしても止まることはなく、私は皇帝陛下の御前であるにもかかわらずただひたすら静かに涙を流した。
***
「──落ち着いたか?」
ようやく涙が止まった時には、瞼ははれぼったく膨れて、せっかく施してもらった化粧は落ち、とてもじゃないが皇帝陛下の御前に出せるような顔をしていなかったと思う。
そんな状態にもかかわらず、気にする様子もなくただ淡々と私が泣き止むまで見守ってくれていた皇帝陛下。
あぁ、何だか気まずい。
「申し訳ありません、取り乱してしまいまして……」
「問題ない。蓉雪が言っていた。妹は直情型で、感情のままに喜び、怒り、泣くのだと。そんな時は気が住むまで感情を解放してやるのだ、とな」
なに私の取り扱い説明書暴露してたんだ姉様。
「それにしても驚いたな。物品を要求することはないだろうとは思っていたが、そなたはまず第一に、蓉雪の死について尋ねるものと思っていた」
「!!」
「景天に近づいたのも、私に近しく、老師の弟子である永寿がいて近づきやすかったからであろう? そこに景天の利害も一致した。違うか?」
読まれている……。
この方は──やはり無能皇帝の皮をかぶってはいるが、とんだ切れ者だ。
あの景天様がすぐに蹴落とせないというのも頷ける。
言い逃れは、できない。
「……おっしゃる通りでございます。私は、突然にあの村で姉と引き離され、突然に姉の死を知らされ、突然に、二度と見まうこともできなくなりました。……私は知りたい。姉がどのような最期を迎えたのか。なぜ皇后であるにもかかわらず国葬なさらなかったのか。あの部屋の毒で命を落としたにしても、その死を私に知らせる前に内々で葬儀をなさったというのはどうも納得がいかないのです。……だけど……だけどそれ以上に、姉が、ただ笑顔でいてくれたのかを知りたい。そう思ってしまいました」
せっかくの好機ではあった。
だけど、死の真相を知る以上に、気になってしまったのだ。
姉の、あの優しい笑顔がそこにあったのかどうか。
「……そうか。約束は、一つだけだ」
「はい」
「だが──景天のもとにいる限り、機械は巡ってくるだろう」
「!!」
「またすぐにでもそなたを呼びたい程度には、こちらには問題が山積みだ。褒賞は今回と同じでどうだろう? 引き受ける気はあるか?」
「っ……はいっ!! もちろんです!!」
繋がった……!!
次の機械が……!!
私は興奮気味に前のめりになってそう答えると、皇帝陛下は無表情のまま、首を縦に降ろした。
「うむ。ではまた追って召集をかける。しばし待て」
「はいっ!!」
私はそう答えると、目の前に山積みにされた桃華饅頭へとようやく手を伸ばした。
***
あの後私は、皇帝陛下のすすめるがままにひたすら山積みにされていた桃華饅頭を食べ尽くしてから後宮を後にした。
土産にと渡された重箱を手に、景天様の屋敷へと歩いて帰る。
変える前に女官が用意してくれた氷嚢のおかげで、幾分かマシになった瞼だが、あの目ざとい景天様ならば気づいてしまいそうだ。
しっかりと言い訳を考えねば……と考えている間にも、朱色の瓦門が見えてきた。
そして門の前では、眉間に皺をこれでもかというほど寄せ、腕を組み、そわそわと右へ左へ落ち着きもなく動く景天様の姿が──。
「景天様!!」
「!! 蘭」
朝お会いしたというのに、妙に懐かしい気がして、私は正装であるのも気にすることなく景天様の元へと走った。
「柳蘭、無事帰りました!!」
私が言うと、景天様はその眉間の皺を緩ませた。
「あぁ、よく戻った」
短い言葉。それでもその深く低く心に響く声に、身体の力が抜けていく。
「景天様、ここで何を?」
「あ? あ、あぁ……た、たまには外で身体を動かそうと思ってな、は、はは……」
おーおー、目が泳いでらっしゃる。
これはあれか。私が心配で出てきてくれたって感じか。
普段策士で顔に出さないくせに、こういうことは隠せないのね。
だけど、その想いが、今の私には強く響いて──。
トン──と私は景天様に向かって突進すると、その硬い胸板へと額を預けた。
「ら……蘭?」
「ありがとうございます、景天様」
「…………さっさと入るぞ。……山猿」
後頭部に回された手が、ぎこちなくそれを撫でる。
温かくて、心地いい。
「はいっ!!」
私は元気よく返事をすると、景天様と共に門の中へと足を踏み入れる。
帰って来た。
私の、もう一つの居場所。
「あ、景天様、これ、皇帝陛下にお土産いただきました!! 景天様と食べてくれって」
「土産?」
「三段重入りの、桃華饅頭詰め合わせですっ!!」
「~~~~~~~~~~~っ!?」
姉様。
私も今────笑っています。
―2章完―