しばらくして、私に皇帝陛下からの召集令が出された。
景天様と一緒に、ではない。
私一人での登朝だ。
朝早くから景天様の屋敷の女官たちに支度を手伝ってもらい正装に着替え、化粧を施し、髪を結い、朝廷へと参上した。
「突然の召集、すまないな。柳蘭」
「いえ。皇帝陛下の命とあらば」
心にもない言葉をただ淡々と紡ぎ出す。
普通ならば控えるはずの武官たちがいない。
ということは、内々の話が混ざっているということか。
私はその緊張感あふれる場に、もう一度身を正す。
「ここへ来てもらったのは他でもない。先日の、連続妃嬪殺人事件についての沙汰を、そなたには知らせておくべきということと、その功績への褒賞の為だ」
きた。
恐らく昨夜景天様が遅くまで皇帝陛下のもとに行かれていたのはこの話の為だろう。
げっそりとして帰って来たのは、桃華饅頭攻撃にあったからのようだけれど。
「まず、此度の件において、罪を犯した元妃嬪明々だが……後の刑部の取り調べでも、偽りなく淡々と自身のしたことを話していた」
簡単に自信のしたことを認めようとしない罪人も多い。
その先に待っているのは、刑の実行だからだ。
その場合は拷問という手段も使われるが、明々様がきちんと話に応じていたと聞いて、それらの手段が使われなかったことに少しばかり安堵する。
「柳蘭。そなたの読み通り、そして当初の自白通り、明々は『死の緑』に気づき、今回の殺人を思いついたようだ。故郷の恋人の下へ帰ることもできず、国の期待と責任という重圧に押され、皇后にならねば、と……」
そして次の瞬間、淡々と告げる皇帝陛下の表情に、苦悶の表情が浮かんだ。
「……もとをただせば、私の父母の罪だ。父は己の欲望の為だけに女性をかき集め、母を追い詰め、明々のように恋人のいる女性の人生をも奪った。父がそうでなければ、母はやむことはなかった。母が止まなければ、麗羽妃や他の妃嬪も死すことなく、明々もこの殺人に手を染めることもなかっただろう」
それについては何も言いようがない。
だってその通りなのだから。
色狂いの前皇帝陛下。
大国の皇帝であるから許されてきたそれは、庶民から見れば愚かであり、恐怖であり、到底受け入れたいと思えるものではない。
「明々は、故郷の絵を描きたいのだと、母に『死の緑』を入手させた。母と父が死に、私が即位して、ようやく蒔いていた種が花開き始めた時には、母の蒔いた種も合わさって、二重殺人が起き始めていた……」
「……陛下。やっぱり明々様は……毒杯を賜るのでしょうか」
これだけの人を殺めたのだ。
下妃嬪として、毒杯を賜ることになるのだろう。
理解はしていながらも、尋ねずにはいられなかった。
だが、そんな私の諦めを覆すように、なんと皇帝陛下は、ゆっくりと首を横に振ったのだ。
「処刑は、しない」
「!!」
処刑を行わない?
これだけの人を殺めたにもかかわらず?
予想外の答えに、私は目を見開いたまま陛下を凝視した。
「明々は、国へ──華蓮へ送り返すことになった。罪人として、な」
「罪人として……華蓮へ?」
「あぁ。すでに華蓮へは書簡を送っている。もとはといえば恋人のいる命名を所望したのは愚かな父だ。そしてそれを知りながら国交の道具としたのは華蓮であり、明々の父である。同情の余地、そして宮廷としての誠意を考慮した結果だ。ただし明々は、華蓮の端にある小さな村・
美しく着飾り、女官が世話をしてくれていた何不自由ない暮らしに慣れてしまっている妃嬪には、衣食住すべてを自分でしなければならないという環境は苦痛でしかないだろう。
麗璃様辺りは絶対に無理だと思う。
とはいえ、明々様へのその刑は、彼女の心情や前皇帝、皇后さまの罪を大きく鑑みたものだと言えるだろう。
その采配に、私は心から安堵の息をついた。
「罪を犯し送り返された明々を恥さらしであるとして、国が彼女を暗殺することも考えられる故、華蓮へは書簡でくぎを刺しておいた。『湖江でひっそりと生きることが明々の刑罰である。何人もそれを阻むことなかれ。何かあれば、監視が華蓮を敵とみなすだろう』とな。監視は付けぬが、これで何事もなくひっそりと生きていけるはずだ。あちらもこれ以上天明国の不況を買いたくはなかろうからな」
そんな先のことまで読んで手を打つだなんて……。
今の皇帝陛下は政もほぼ景天様任せで無能である。
それが朝廷での認識であったはずなのに、全くの別人のようではないか。
「あの……。恐れながら皇帝陛下は────本物、ですか?」
私の間の抜けた質問に、さっきまで無表情だった皇帝陛下が目を丸くした。
何とも貴重な表情だ。
「私は本物ではない時はないはずだが……。柳蘭、そなたの言いたいことはなんとなくわかる。これが無能皇帝の姿か、とでも言いたいのだろう?」
「!!」
心の中を言い当てられて、私は全身を硬直させた。
まずい。
普通に不敬だ。
これでは姉様のことを聞き出す前に不敬罪で殺られる。
「も、申し訳──」
「その疑問は、ある種正しい」
「へ?」
私の謝罪の言葉を遮って皇帝陛下が言った言葉に、今度は私が目を丸くする。
「常に目に見える者だけを真実とするのは、あまりにも愚かだ。目に見える表にある者の影を読み取ることこそ、真の賢者といえよう。そう、景天のように、な」
「景天様、ですか?」
思わぬところで景天様の名が飛び出して、私は首を傾げた。
「あぁ。あれは、無能な私を引きずり下ろそうとしながらも、私には何かあるのではと決して油断しない。常に私の中の何かを探り出そうとしているのだ。あれこそまさに、賢者以外の何と言えよう? 皇帝となるにはふさわしい男だ」
譲位の可能性ともとれるそれに、私がごくりと息を呑む音がしんとした謁見の間に響いた。
「だが、あれはまだ駄目だ。この座は、まだ私のものであらねばならん。……柳蘭。明々は明後日、華蓮に発たせる。一人の女だけを思い続け、独り身を貫いていたというある村の男が彼女の身を引き受けることになっている」
「!! それって……!!」
「あぁ。……会わせることは出来んが、明々からの
「言伝、ですか?」
私に?
何だろう。
自分が罪を暴いてしまった相手からの言伝に、私は口を引き結んで陛下の言葉を待つ。
「あぁ。──“蘭殿の知と推察力に敬意を表する。そして、その身にたくさんの幸が降り積もらんことを。……感謝する”と──」
「っ……明々様……」
きっと、きっと大丈夫だ。
明々様は、必ず湖江で幸せになる。
その確かな確信にも似た予感に、目頭がじんわりと熱くなるのを感じた。