「今日の今日で、早々に住まないな、景天」
「いえ。皇帝陛下のご命令とあらば」
蘭が後宮連続殺人事件についての全容を暴いたその日の夜、早くも皇帝陛下に呼び出された私は、謁見の間で皇帝陛下と一対一の謁見中だ。
恐らくどこかであの双子の護衛は陛下を守っているだろうが、それ以外は皆、兄妹の話だとして席を外させている。
今日の話を公にしないというのは難しい話だろうが、その先の話に関しては……どうとでもできる。
おそらく、明々夫人の処遇関連の話だろう。
「そなたも、ご苦労だった。私がするはずである仕事と、後宮の事件についての柳蘭の手助け、忙しかっただろう。今度桃華饅頭を贈らせよう」
「いえ結構です」
労おうというのか嫌がらせをしようというのかどっちなんだ。
あんな甘いもの大量に贈られて喜ぶのはあの山猿くらいだ。
「景天。もう私の仕事には慣れたか?」
皇帝の仕事。
陛下の仕事を少しずつ私が任されるようになってもうどれくらいだろう。
何事の采配も、私が状況を見て下し、陛下はその采配を書いた書類に目を通し許可証である印を押すだけ。
外宮の中でも、もう皇帝は私に代わればいいのではないかという声も陰で出ているようだ。
私もそう思う。
皇帝である気が無いのならば、早々に譲位してくれればいいものを……この兄は、何を考えているのやら。
「はい。滞りなく進められています。永寿も補佐に回ってくれておりますので」
「あぁそうだな。登安の報告書も読んだ。この短期間で、よくあれだけ持ち直したものだ。永寿にも桃華饅頭を──」
「それは謹んで遠慮させていただきます」
何で褒賞が桃華饅頭一択なんだ。
この男の脳内は桃華饅頭しかないのか。
「ふむ、そうか。──景天。こんな日の夜に呼び出したのは、他でもない。明々夫人の処遇についてだ」
「……」
やはり、といったその内容に、私は桃華饅頭で惑わされた表情を引き締める。
「まだ明日からの取り調べにもよるが、私に一つ考えがある。だがこれは、相手方の意見も聞かねばならん。華蓮のある村へ遣いをやりたい」
「華蓮の村、ですか? 華蓮の王ではなく?」
「あぁ。王には、それが私の思う通りに進んでから書簡を持たせる。が……その前に、受け入れができるものかどうか、調査をと思ってな」
あぁ、何をするつもりか、わかってしまった。
面倒だ。
「……陛下。明々夫人が嫁いで何年だとお思いですか。もう相手の男も所帯を持っているでしょう」
「あぁ。今更明々夫人について聞かされたところで、困惑する可能性は高いだろう。だが、知っておかねばならない。彼女の思いを」
前皇帝陛下──私達の父親は、多くの罪を犯した。
その罪を償うのも、あの男と血のつながる私達兄弟の務めだというのは、私の中でも確かに思うところはある。
だが、やろうとしていることが果たして正しいことかは、わからない。
ただの自己満足になる可能性もある。
それを迷いなく、この義兄はしようというのか。
明々夫人には悪いが、その男も昔の恋人のことなど忘れて生きていった方が幸せなのではないだろうか。
渋る私に、皇帝陛下が静かに言った。
「……あらゆる可能性は、私にも、そなたにも、神にすらわからぬ。私も、柳蘭が暴かねば、母の思いも、蓉雪の思いも気づけないままだった。気づくということは、苦しみでもある。だが、それ以外に得るものもある。そなたも、そうではないか?」
「っ……」
複雑な思いは今私の中で渦巻いている。
母上が、皇帝陛下の母君である紅蘭様によって殺害されていたという真実など、そう簡単に処理しきれるものではない。
母が亡くなったことで、私は後宮を追放された。
永寿がいなければ、そのまま野垂れ死んでいただろう。
もしも母上がいてくれたなら……。
そう考えたことは何度もあった。
だからこそ、今回の件は私の中でもまだぐるぐるとまわっている。
蘭に偉そうなことを言って焚きつけたくせに、だ。
だがそう──確かに、苦しみだけではない。
漠然と、気づけた安堵感もある。
他にも、もっといろいろな感情が混ざり合っている。
あぁ、本当に。
だからこの男は、得体が知れんのだ。
「……承知しました。すぐに華蓮へ早馬を送りましょう」
「頼む」
この判断が後に一人の人の人生を大きく動かすなど、誰が思っただろうか。
本当に、意味の分からない人だ。
この義兄は。