「ご苦労だったな、柳蘭」
妃濱の方々が後宮へと戻られ、皇帝陛下と景天様、永寿様と私だけになった部屋で、誰もが何とも言えない表情をしている中、ただ一人、淡々とねぎらいの言葉を述べる皇帝陛下。
自身の母親の所業すら、この人の中では何でもないことのように思えて、不気味さすら感じる。
「あの緑の部屋のことだが、すぐに壁を取り払うことにしよう」
「!! あ、あの、その前に、あの部屋で見ていただきたいものがございます!!」
「おい蘭!!」
「駄目です景天様。皇帝陛下は、見る責任がございます」
あの部屋で私が見たもの。
その想い。
景天様は止めるけれど、皇帝陛下は知っておくべきだと思う。
背負うべきものであると思う。
「……わかった。これから行ってみよう。柳蘭、頼む」
「!! はいっ……!!」
***
香の香りが強く漂う緑の部屋。
一次入室する程度で毒が回ることはないとはいえ、一国の皇帝陛下を毒が塗りたくられた部屋に連れていくのはさすがに憚られ、皇帝陛下には布で口元を覆っていただく。
「……母上が作り出した、死の部屋・……か」
ぽつりとこぼした陛下。
それでもそこに何かしらの感情は見られない。
「陛下、こちらに」
私が部屋の飾り棚を動かすと、そこに現れたものに、ここに来て初めて皇帝陛下の顔色が変わった。
「!! ……これは……母上の……?」
そこに現れたのは、古い、少しかすれた呪いの言葉。
“許さない”
ただ一言が、皆に優しく穏やかな皇后と言われる紅蘭様の本当のお心を現しているようで、ぞわりと身の毛がよだつ。
「はい。そしてこちら側は──」
飾り棚の反対側の端っこ。
そこにもあらわれた小さな文字──“あなたを許します”。
それは確かに、姉、蓉雪の字だった。
「蓉雪……?」
「姉様も『死の緑』について書かれてある書物を読んでいました。きっとこの部屋のことも気づいていたのでしょう。そんな時、この字に、紅蘭様の本当の思いに気づいた……。そしてそれに、きっと共感してしまったのだと思います。だからせめてもの手向けにと、許しの言葉を書き残したんだと思います」
愛する人にたくさんの妃嬪がいる。
そんな妃嬪たちと仲良くだなんて、誰が耐えられることだろう。
成人君主でもなければ無理な話だ。
同じ女性として、その苦しい程の想いに姉様は気づいたのだ。
「子に関しては、明々様の自白の通りだと思います。もし姉様も同じような症状だったなら、ご自身のお身体については一番わかっていたでしょう。『死の緑』に触れ続ければ、身体は少しずつ蝕まれていく。もちろん、妃嬪が麗羽様以外身籠らなかったのは、それだけが原因とは限りませんが」
現に麗璃様は茶器をすぐに割ってしまって『死の緑』に触れず、茶会の参加もないがお子がいない。
対して麗羽様はあの部屋にいながらも景天様を身籠った。
これは本当に、ただの不敬な憶測でしかないのだ。
「……そうか……。……そうだな。私もそう思う。……そうか……蓉雪は、これを知っていたから……」
そのひとりごとに首をかしげると、陛下は何事もなかったかのようにまた無表情へと戻り、口を開いた。
「あとは私が預からせてもらおう。明々夫人の処遇についても。柳蘭、褒賞についても、全ての後片付けを終えた後、時間をとろう」
褒賞……!!
姉の死について、ついに聞くことができる……!!
「っ、はい!! ありがとうございます!!」
「景天、明々夫人の処遇は、私が直々に判断をする。取り調べにはすべて私が立ち会うつもり故、そのつもりで」
「御意に」
あの皇帝陛下が直々に取り調べに立ち会い処遇を下す。
正直、後は全て景天様任せになさると思っていた私としては意外過ぎて、不敬にも目をギョッとひん剥いて陛下を凝視してしまった。
「ごほんっ。陛下、御前、失礼いたします。蘭、行くぞ(何バカ面してるんだしゃきっとしろ)」
「は、はいっ」
言葉の裏に暴言が見えるのは気のせいか。
いや、それよりも気にするべきは、部屋から出ようと振り返った先。
私の後ろで控えていた永寿様の笑顔の裏に「(顔に出すぎなのでもう少し訓練を厳しくしましょうかね)」という怖すぎる圧を感じるところだろう。
「何してる、蘭」
「あ、は、はいっ」
私は景天様に促されながら、これからの訓練を想像して重苦しくなった足を動かしながら、景天様の屋敷への帰路についた。