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第42話 宮廷医師の証言

 夕刻、その人はやって来た。


「景天様、遅くなりまして……」

「いや、大丈夫だ。無理を言ってすまなかったな」


 景天様の指示で呼ばれた宮廷医師。

 白髪に丸いメガネの老紳士といった風貌で、おだやかな瞳が私に向けられる。


「このお方は? もしや景天様の──」

「ただの厄介な居候だ」

 間髪入れずに否定の言葉を繋げた景天様を、私はじっとりと睨みつける。

 居候には変わりないが、もう少し言い方があるだろうよ。


「蘭と申します。厄介かどうかはともかく、景天様のお屋敷で面倒を見ていただいています。お忙しいのに来ていただいてありがとうございます、医師様」

「蘭殿、ですか。私は宮廷医師の汪晴明おうせいめいと申します」


 正直、第一印象はすごく良い。

 おだやかで誠実そうな印象で、こんな方が依陽様と共謀して検死結果を詐称するとは思えない。


「今日来てもらったのは、この蘭が、妃嬪の死について聞きたいことがあるとのことで、無理を言わせてもらった」

「妃嬪方の……。はい。私で分かる事であれば、何でもお話させていただきましょう。あの連続死については、私も心を痛めておりましたから」


 その言葉に偽りはないのだろう。

 表情には苦悶の表情が浮かんでいる。


「ありがとうございます。あの、妃嬪の方々の検死は依陽様と晴明様で行われたとお聞きしたのですが、御遺体の症状などをお聞きしても?」

 依陽様からもう聞いているけれど、齟齬がないかの確認と、なにか宮廷医師から見て気になったことがあれば、それも一つの検証材料になる。


「症状ですか……。どのお方も皆、口から泡を出して倒れていた、ということでしょうか。それに、紫がかった唇。瞳の白濁。典型的中毒症状、でした」

「中毒症状……」


 依陽様の証言と同じ。

 だけど毒は何からも検出されなったし、二人一組で行う給仕や調理では毒を入れるなんてことは不可能。

 やっぱり何も新しい証言はないのか。

 私が肩を落としたその時だった。


「あぁ、ですが……一つだけ、気になったことが」

「え?」

「白目の色が、少し違うように感じた方がいらっしゃいました」

「白目の色が?」


 依陽様の証言にはなかったそれに、私も景天様も興味深く耳を傾ける。


「はい。その……半数の妃嬪の白目の部分は、よく見れば若干草色をしていたのです」

「草色?」

「えぇ。よく見れば、ですし、白濁部分に目を取られるためしっかりと見なければ気づかない程度の色なのですが、あのような症状を見たことはこれまでになく、少し気にかかったのです」


 草色混じりの白目。

 確かに中毒症状の中でそんなものは聞いたことがない。

 長年宮廷医師をしているであろう晴明様ですら初めて見たというのならば、中毒症状の中でも稀な症状なのだろう。


「晴明様、そのことは依陽様は?」

「存じておられます。が、どっちみち中毒症状の一種だろうと、たいして気にはされていないご様子でした」


 どっちみち、か。

 中毒症状の一種だと言われれば確かにその可能性は高い。

 多少草色をしているからと、大掛かりな検査をするような施設はこの国にはないのだし、言い出したらきりがないのもよくわかる。


「なるほどな。それで、明らかな中毒症状ではあれど、それを裏付けるものが何もなく、なぜ、どのような経緯で中毒症状が怒っていたのかもわからない状態になっている、ということか」

「おっしゃる通りで」


 景天様の言葉に肩をすぼめる晴明様。

 この天明国の医療は、他国に比べてそんなに進んではいない。

 軍事面、農業面については最先端を行く大国であるにもかかわらず、だ。

 これも前皇帝陛下が医療面の発展を後回しにしていたことのツケ、ということか。

 何とも皮肉なものだ。


「ふむ……。わかった。この件については、良いだろう。もう一つ聞きたいことがある」

「ははっ。何なりと」


 すると景天様は、ちらりと私の方を見て、頷いた。

 姉様のことを聞く機会をくださっているのだろう。

 私はそれに頷き返すと、晴明様に尋ねた。


「蓉雪様について、お聞きしたいことがあります」

「!! 蓉雪皇后、ですか? それはいったい、どういう……」

「蓉雪様が体調を崩されたのはご病気ではないという判断だったようですが、なぜそのような判断に? 疲れで体調を崩しただけだと言われていた蓉雪様が、数日後には息を引き取った。本当に病気ではなかったのでしょうか? 息を引き取るに至るまで疲弊されていたのでしょうか? なぜ女官すら入ることはできず、皇帝陛下と晴明様のみ入室が許されていたのでしょうか?」


 とめどなく溢れてくる疑問を一気にぶつけると、晴明様は顔を曇らせ、少しばかり呼吸を浅く繰り返した。


「蓉雪皇后は……そう、確かにご病気ではございませんでした。喉の荒れもなく、身体の重みを訴え、息苦しさを感じられて……。精神的な疲れ、というのが正しいのでしょうか。そのようなものを感じられました。ですが衰弱の進みが早く、養生の甲斐なく……。私の力不足でもあります。今でも、悔やみきれません」


 力不足。

 悔やみきれない。

 その気持ちに嘘偽りはないのだろう。

 震える拳がそれを現している。

 だけど、そんなものは私には関係のないことで……、私の欲しい情報は、そんなものではなくて……。


 歪み始める視界に、私は晴明様に背を向けた。


「そうですか。ありがとうございます」

 納得は出来ていない。

 できるはずがない。

 だけど今はそれでいい。

 この妃嬪の問題が片付いたら、皇帝に直接問いただせばいいのだ。


 それまでは、目の前の問題に意識を集中させよう。


「……蘭……。晴明、もういいだろう。突然来てもらってすまなかったな。また何かあれば頼む」

「はっ。何かお役に立てることがあらば、この晴明、呼ばれましたらいつでも駆けつけさせていただきます」


 そう恭しく頭を下げてから、晴明様は静かに部屋を後にした。


「……」

「……大丈夫か?」

 黙りこくった私の背に、景天様の声がそっと重なる。


 大丈夫、かはわからない。

 あまり有益な情報を得られたとは思えないうえ、姉様についても疲れによる衰弱死という線が強く出てしまったのだから。

 だけど──。

「明日。きっとあの部屋で何かがつながります。きっと。だから私は、今下を向くわけにはいかない」

 そう言って景天様を振り返ると、景天様は驚いたように私を見てから、にやりと笑った。

「それでこそ、山猿だ」



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