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第41話 花茶に潤されて


「ただいまもどりました」

「おや蘭、おかりなさい」


 屋敷に戻った私を向けてくれたのは、景天様と今朝から外宮に向かわれていた永寿様だ。


「私達も先ほど帰って来たばかりなんですよ。景天様はお召し変えに部屋に戻られています」

「そうなんですか。ちょうどいい頃合いでしたね」

 それならば広間ここで待っていよう。

 あの部屋のこと、景天様にはいろいろと聞きたいこともあるし。


「蘭もどうですか? 今淹れたばかりの花茶です」

「花茶、ですか? わぁっ、いただきますっ!!」


 花茶。

 茶用の花の蕾を茶器に入れ、そこに茶を注いで飲むというもので、大変高価なものゆえに私も本の知識でしか知らないものだ。


「ふふ、どうぞ」

 そう言って椅子に座った私の前にそっと差し出される何も入っていない茶器。

 そして永寿様は机上の小箱から切った蕾を一つ茶器に移すと、その上からそっと緑茶を注いだ。


「わぁ……!!」

 茶を淹れた瞬間、ふわりと花弁が開いていくその光景に、思わず感嘆の声が漏れる。

 緑色の茶に浮かぶ薄桃色の花。

 まるで野に咲く一輪の花のようだ。


「とても綺麗です……!!」

 麗璃様のところで派手な色や絵にやられていた目が癒されていくようだ。


「ふふ。そうでしょう? こういうさりげない美しさが、一番落ち着きます」

「激しく……激しく同意します、永寿様……!!」

 私にはボンボンボンの派手な豪華さよりも、さりげない美しさの方が合っている。


「景天様が、蘭は麗璃夫人のところで目をやられて帰るだろうから、と、帰りにこれを買われたのですよ」

「景天様が?」

 こんな高価なものを、私のために?


「えぇ。会議中も蘭のことが気がかりで上の空状態で──」

「おい永寿。余計なことを言うな」


 永寿様の言葉を遮って、景天様が広間に現れた。

 不機嫌そうに眉間に皺をよせ円卓につく─様に、永寿様はにっこりと笑みを浮かべたまま「照れなくても良いのに」と景天様にも花茶を淹れる。


「景天様、ありがとうございます。おかげで目と心が癒えました!!」

 私が礼を言うと、景天様は「そうだろう」と頷いて、淹れたての花茶を一口口に含んだ。

「これは一輪でさりげない美しさだが、味も優しく飲みやすい。あの麗璃夫人のところの後だと、沁みるだろう」

 私が疲弊して帰ってくるのをよくわかっていたのは、きっと景天様もその経験があったからだろう。

 麗璃様被害者の会でも作った方が良いのではないだろうかと、本気で思う。


「で? どうだった? 麗璃夫人のところは。あぁ、派手とかそういう感想以外で」

「あ、えっと……。麗璃様は大変高位身分の人間としての矜持を強く持たれているお方なんだなぁと……。あと、他の妃嬪の方々と違って、紅蘭様に対しても好ましく思われてはいないみたいで……。自分こそが高貴な血にふさわしい、と信じて疑っていないように思われました」


 絶対的な自身。

 他の誰よりも強い、身分を持つものとしての意地のようにも思える。


「あぁ、まぁ、そうだろうな。あの人が誰かと懇意にしているなど聞いたことはないし。父である大臣からの重圧も、凄まじいものだろうしな」


 家族であるはずの父親からの重圧か。

 あの高価なもの、高貴な血への執着を見れば、納得してしまうような気がする。

 生まれ育った環境というものは、それが異質なものだとは自分自身では気づかない。

 知らず知らずのうちにそれが負担になっていたとしても、だ。

 そう考えると、少しだけ麗璃様が哀れに思えた。


「それと……女官から、姉様についての話を聞きました」

「蓉雪皇后の?」

「はい。いろいろあって一緒に茶器を購入しに行った麗璃様付きの女官が、元々姉様付きの女官だったようで……。体調を崩す日が多くなってから、皇帝陛下がご自分と宮廷医師以外の出入りを禁じられてすぐ、亡くなったことを知らされた、と……」


 考えれば考えるほど不自然なそれに、私は眉を顰める。


「女官すらも、とすれば……感染症か? いや、それならば皇帝陛下を入れるわけがないか」

「はい。ですが感染症でも、他の病でもなかったと、医師の証言もあるようで……」

「証言、か……」



 一度宮廷医師に会ってみた方が良いのかもしれない。

 姉様の件に関しては、ここを避けて通ることはできないだろう。

 それを抜きにしても、今回の件、検死を依陽様とともにされているのだ。

 宮廷医師の話は必須だろう。


「と、まぁ姉様の件はまたおいおい。それより、景天様に聞きたいことがあるんです」

「聞きたいこと? 私に?」

「はい。景天様のお母様が使われていたあの緑の部屋。景天様も一緒に過ごされていたんですよね? 何か変わったことはありませんでしたか?」


 三歳までとはいえ、お母様がご存命の内は後宮で暮らしていた景天様ならば、何か知っていることもあるかもしれない。

 私の問いかけに、少しばかり考えてから、景天様が唸った。


「ふむ……。……すまない。あの部屋は、私はあまり記憶になくてな。なにせ、私は母とは別に部屋を与えられていたし、母も私といる時は私の部屋か、母の庭園で過ごしていたから、あの部屋に入ったことはあまりないんだ」


 親子であるにもかかわらず、部屋が別だというのは後宮ならではなのか、それとも景天様親子が特別だっただけなのか。

 何にしても、知らないのであれば仕方がない。


「そうですか……。わかりました。ありがとうございます」

 やっぱりあの部屋にもう一度入って確かめるしかない。

 景天様のお母様の遺品は処分されていても、先日ちらりとあの部屋を案内された際に見えたのは、机の上に出しっぱなしの書物や筆だった。

 ということは、あの部屋はまだ姉様の死後手が付けられていないということ。

 何か手掛かりがあるかもしれない。


「永寿。お前はどうだ? 母の生前、何かあの部屋について気付いたことは?」

 景天様が話を振ったのは、麗羽様の弟である永寿様。

 そうか。弟ならば何か知っていることもあるのかもしれない。盲点だった。

 だが私の期待もむなしく、永寿様は残念そうに首を横に振った。


「私は姉が後宮に入ってから、あまり姉に会うことができていません。ほとんどを老師のもとで修業を積み、姉に会うとしても許可が要りましたし、あの部屋を尋ねることはありませんでしたから」

「そう、ですか……」


 まぁそうよね。

 いくら弟とはいえ、皇帝の妃嬪となったからにはそうやすやすと部屋で会うなんてことはできない。

 やっぱり、もう一度あの緑の部屋に……。


「景天様、私──」

「あの部屋を見たい、か?」

「はい」


 あそこで何があったのか。

 亡霊の仕業なんかではないという証拠。

 妃濱の方々の話との接点。

 何かあれば──それが一つの解決の糸口となるはずだ。


「明日は私も付き添える。兄上には私から許可を得よう。ついでに、これから宮廷医師をここに連れてくるよう指示しておく。何か気になることがあれば、聞いておくと良い」

「!! ありがとうございます……!!」


 あと少し。

 何かが揃えば、きっと──。


 私ははやる心をなだめるように、すっかり冷えてしまった花茶で乾いたのどを潤した。




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