「うわぁ……」
毎度妃嬪の方々の堰堤には驚かされるものだけれど、こんなにもことばをうしなったのは初めてかもしれない。
いろんな色の花弁の大きな花が、ボン、ボン、ボン──。
それぞれの主張が激しく、庭中を埋め尽くしている。
豪華、といえば豪華。
派手、といえばものすごく派手、といえるだろう。
言葉を選ばずに言えば、そう──下品。
「ふふふ。あまりの景色に言葉が出ないようですわね。ようこそ、
ひぃいっ……帰りたい……!!
最後の聞き取り調査は妃嬪の中で一番気の強そうな印象を持つ麗璃様。
そしてこんな大変な人を残して、今日は景天様はどうしても外すことのできない用事がある為に私一人での入宮となった。
景天様は日を改めて一緒に行くことを提案してくれたけれど、麗璃様の方から『そろそろ来い』という趣旨の文が届いてしまったものだから、仕方がない。
「は、はは……。やっぱり、麗璃様のところにお邪魔するのには、もう少しその……勇気、というか、この後宮に慣れたからでないと、失礼を働いてしまうかなぁと思いまして……、はは……」
冷や汗をだらだらと流しながら嘘八百を並べる私に、麗璃様は「あら、そうでしたの」とさっきまでの静かなる怒りをすんなりとひっこめた。
「まぁ、私に来るまでに段階を踏まねばという殊勝な心掛けでしたのね。私の高貴な立場をよくお分かりではありませんのっ。おーっほっほっほっほっほっ!!」
あ、大丈夫そうだ。
よかった。麗璃様が少しばかり頭の弱めな方で。
「さ、そんなところに突っ立っていないで、こちらへどうぞ。他のどの日品よりも美味しい茶を用意させましたわ」
「は、はい」
そうして通された部屋もまた、派手──いや、豪華絢爛なものだった。
赤を基調とした部屋は金の装飾が所々に施され、どことなく落ち着かない。
「お前、蘭様に茶を」
麗璃様がひかえていた女官にそう言うと、女官は「かしこまりました、麗璃様」と恭しく返事をしてから、いそいそと準備を始めた。
他の妃嬪は皆自分で茶の用意をしてくださったものだけれど、麗璃様は常に女官を侍らせ、世話をさせるのね。
「あの、いつも女官の方が茶の用意を?」
「え? えぇ。私はもとよりこの国の大臣の娘という高い身分の出ですもの。他の方々のような下々の者がするような振る舞いはあり得ませんわ」
あぁ、なるほど、そうか。
麗璃様のこの謎の自信は、生まれ育った環境と身分ゆえのもの、ということか。
自分こそが皇后にふさわしいと信じて疑いのないそれは清蓮様と同じだが、彼女の場合はより強い自信をもっているように感じる。
「特にあのかわい子ぶりっ子の清蓮様になんて負けるはずがないと思いませんこと? 元からの格が違うのですもの。おーっほっほっほっほ!!」
高笑いが耳に痛い。
私は女官によって出された茶を一口飲んで口内を潤す。
あぁ、美味しい。
ド派手な模様の茶器はともかく、このほんのり甘みのあるお茶はとても美味しい。
「あのっ、不躾なことをお聞きしますが、麗璃様は他の妃嬪の方のことは──」
「大嫌いですわ」
「!!」
間髪入れずに答えられた言葉は、ひどく嫌悪にあふれていた。
「特にあの小娘──清蓮様。あざとく言い寄って前皇帝陛下に私のあることないことペラペラと話していましたのよ!?」
「うわぁ……」
そこから亀裂が入った感じなのかしら。
やっぱりドロドロしているのね、後宮って。
一般市民でよかった。
私はそう心から安堵の息をつく。
「前皇帝陛下が早くご逝去されるのを願いながらも他の妃嬪のあることないことを噂し、現皇帝陛下が即位されて目の色を変えて、無い色気を絞り出してすり寄り、皇后の座を求めだすのですから、あの女は飛んだ女狐ですわ!!」
前皇帝陛下のご逝去を……願っていた?
何やら物騒な証言が飛び出して、私は少しばかり前のめりになって口を開いた。
「あの、清蓮様はなぜ、前皇帝陛下のことを?」
「なぜ、って……。この後宮では、前皇帝陛下によって無理やり連れて来られた妃嬪も珍しくはありませんでしたもの。まして前皇帝陛下はご自身の年齢関係なく好みの女性を集めておられました。清蓮様ともかなりお年が離れていたと記憶していますわ。婚約者や恋仲である人がいた者もめずらしくはなかったようですし、たくさんの妃嬪が陛下のご逝去後、早々に出ていかれましたわ」
そこまで言って、麗璃様は目を鋭くさせて続けた。
「ですがあの小娘だけは、この後宮に居座り続けた。若く、美しい現皇帝陛下ならば、自分のような若く美しい妻がふさわしいのだとぬかして……!! 『高貴な血には高貴な血を』。私達高官の娘は、『たとえ気に入らぬ容姿であっても関係ない。その高貴な血を絶やさぬために生きるのだ』と教えられるというのに。あのような半端者に、皇后の座を渡したくはありませんわ」
なるほど。
それこそ育ってきた環境の違い、というものなのだろう。
麗璃様の、高貴な身分の娘であるというその矜持、責任、存在意義。
その全てが、清蓮様とは相反するということか。
仕方ないとはいえ、この人ももっと自由に、自分の思うがままに恋ができたならば、少しは違っていたのかもしれない。
まぁ、私には恋なんてものはよくわからないのだけれど。
「あ、あの、麗璃様は、紅蘭様とは茶会などはされていなかったんですか? 他の妃嬪の方は、紅蘭様は妃嬪と仲が良かったって……」
私が話題を変えるように紅蘭様の話を繰り出すと、麗璃様はその美しい顔をぎゅっとゆがめた。
「紅蘭様……。あの方もとんだ女狐でしたわね」
「え……?」
麗璃様から放たれたのは、他のどの妃嬪とも違う、いや、違いすぎる紅蘭様の印象だった。
「ご自分でまとめ上げる力がないくせに、一人ずつには媚びを売るように茶会に招いたり、珍しい異国の品を分け与えたり……。皆様ほだされているようですけれど、私は違いますわ。茶会もすべて断っておりましたもの。茶器をいただいたことはありましたが──う《・》っ《・》か《・》り《・》手が滑って、すぐに割ってしまいましたわ」
魔窟だ……。
紛れもない。
ここは魔窟だ……!!
噂にたがわぬドロドロとしたそれに、わたしはぞわりと背筋に悪寒が走るのを感じた。
「亡霊だか何だか知りませんが、煩わしい女狐たちが次々といなくなっているのですから、私としては大歓迎ですわ。──次は、清蓮様だといいのに」
キイテナイ。
ワタシハナニモキイテナイ
コワイコトシラナイ。
止まらぬ麗璃様節に、もはや私が限界に来ていた。
早く帰りたい。ほんとに。
「ズズッ……っ、ちょっとそこのあなた!! 茶を温め直してらっしゃい!!」
「は、はいっ!!」
茶を一口口に含んで麗璃様が女官に命じると、女官がパタパタと走ってくる。
そして茶器を手にした、その時だった──。
「あっ……!!」
ガシャーーーーンッ!!
「きゃぁっ!! 何をしているの!!」
手を滑らせた女官の手から零れ落ちた茶器が、床に落ちて粉々になる。
主張強めの花柄がばらばらだ。
「も、申し訳ありませんっ……!!」
すぐに破片を拾い集める女官に、麗璃様が鋭い目つきで睨みつける。
「すぐに新しい茶器を買ってらっしゃい!!」
「は、はいっ……!! ただいま……っ!!」
これはこの場を抜け出す好機かもしれない……!!
そう思った私は、すぐに声を上げた。
「麗璃様!! せっかくですので、ついでに一緒に茶器を選ばせてください!!」
「蘭様が?」
「えぇ。私、元々商家の娘で、昔から良いものはたくさん見てきたので、良いものを見分ける目はあります」
この場から逃げたいためだけの嘘ではない。
断じて。
「……わかりました。では、頼みますわ。高価で、美しい、私にぴったりの茶器を選んでくださいまし」
「はいっ!!」
こうして私は麗璃様の魔窟──いや、麗魏殿からの脱出に成功したのだった。