無事皇帝陛下への謁見を終え後宮を案内された後、私は皇帝陛下から後宮への入宮詔書をいただき、そのまま景天様や永寿様、そして褒賞をいただいて心なしかほくほくとした兵たちと共に、景天様の屋敷へと戻っていった。
私達三人にも褒賞としてお金と食料が与えられたけれど、私たちはそれを景天様の屋敷で働く人たちへと分配することで意見が一致した。
私は景天様から褒賞を頂いたばかりだし、そんなにたくさんあっても使うことがあまりないのだから。
景天様から頂いていた褒賞の残りの一部で、今度何か老師に都土産を買って行ってあげよう。
少し落ち着いたら一度曽蓉江に戻って、老師の大好きなお酒と私が大好きな桃華饅頭で話に花を咲かせたい。
「蘭」
回廊で夜空を眺めながらぼんやりと考えていると、後ろから景天様の低くし
っかりとした声が私を呼んだ。
「何をしている?」
私の隣に来た景天様は私の視線の先の夜空を同じように見上げた。
「君に星を見上げるという情緒があるとは……」
「喧嘩売ってます?」
情緒云々が備わっていないのはおそらく景天様の方だと思う。
「ははっ。まぁ冗談はおいておいて……」
「冗談でした? 今の」
「…………ごほんっ。で? 何をしているんだ? こんなところで。お子様はもうとっくに寝ているころだと思っていたぞ」
何か一つ嫌味を挟まなければ口を開けんのかこの男は。
「少し考え事をしていました。それと、私はもう大人です」
大事なことなので訂正は忘れない。
「……皇帝陛下に謁見するって、難しいことなんですよね、普通は」
「ん? あぁまぁ、そりゃそうだな。普通は謁見し、尚且つ言葉を交わすことはほぼ無理に等しいだろうな」
「ですよね」
だからこそ怖い。
淡々と物事が進んでいるようにみえて、何か大きなものが隠されているのではないかと。
特に今度の相手は賊なんかじゃない。
亡霊と言われているくらい不確かなものなのだ。
「大丈夫だ」
「へ?」
私の頭に大きな手が落ちる。
ずっしりとしたその重みを感じながら、私は景天様を見上げた。
「うまくいきすぎて不安な気持ちもわかるが、それは全て必然だからこそだ」
「必然、ですか?」
「あぁ。君が私のもとに来たのは、老師がかつて朝廷に──いや、私の母に仕える暗殺者であり永寿の師匠でもあったからだ。そして私は皇帝の弟であった。これだけでも十分、皇帝に近づくに値する環境がすでに備わっていたといえる。それらの環境がこの必然を引き起こすための欠片であり、それは先の賊討伐で一つになった。まぁ、賊の件についてはたまたまだったし、裏に華蓮の陰謀があったことも謁見を検討するに値する材料になったのは確かだから、半分は運、といったところか」
「運って……」
まぁ、確かに運が良かったのもあるのかもしれない。
普通は賊を討伐したとして皇帝陛下への謁見が通るわけではないのだから。
賊の裏に華蓮の思惑が隠されていたからこその謁見。
確かに運が良かったのかもしれない。
「と、まぁ難しく考えることはない。何事も、割と何とかなるもんだ」
「えぇー……」
適当か。
「現に私もなんとかなって来たぞ? 3歳で市井に追放されたが、すぐに永寿が追ってきてくれたからこそ市井で生活して生き延びることができた。生き延びることができたから、時を経て皇弟として朝廷に戻ることもできた。朝廷での立場はそんなに良いわけではなかったが、小さなことから大きなことまで目を向けながらコツコツと積み重ねていったからこそ、朝廷で私を推す声も高まり、皇帝の位に手が届くと言われるまでになった。ほらな? 何とかなっているだろう?」
確かに……。
何というか、説得力がある波乱万丈人生だ。
「そういえば!!」
「ん?」
「永寿様が景天様のお母様のお姉様ってどういうことですか!? 色々説明なしでどんどん話が進んでいくから私置いてけぼり状態なんですけど!?」
凛様と蓮様が永寿様の弟子というのは事情は軽く補足された者の、景天様のお母様については何も補足されることなく事実だけが流れていった。
一体どういうことなのか。
説明が欲しい。
「あぁ、すまない。永寿から聞いていなかったのか。永寿は、私の母──麗羽の実の弟だ。私の母が市井の出だということは知っているな?」
そう確認する景天様に、私は小さくうなずくと、景天様は再び続ける。
「母と永寿はたった二人だけの姉弟でな、幼い頃に震災で両親を亡くしてから、二人で暮してきたそうだ。だが母は成人前、不運にも父に見染められ、後宮へと送られた。母はその際、毒を片手に父に直談判したそうだ。自分の唯一の肉親である弟を、この国で一番強い者の弟子として迎え入れるようにと。そして自分を妃嬪として正式に娶るのは、弟が独り立ちで来てからにするようにと。でなければ自分はこの毒を屠り、秘蔵の呪術を以って末代まで呪うだろう、と」
いやそれは直談判というより脅しではないだろうか。
破天荒だったということは聞いたがなるほど、確かに破天荒だ。
「永寿曰く、秘蔵の呪術なんてものは存在しない真っ赤な嘘だったようだが、父は母に入れあげていたようで、すぐにその要求を呑み、永寿をこの国で一番強い老師の弟子とした。そして約束通り老師が永寿に免許皆伝を与えると、母は妃嬪として正式に後宮に召し上げられ、私を宿した。独り立ちした永寿は、母付きの護衛となり、母亡き今も私の護衛として動いてくれている」
以前、永寿様が少しだけ景天様のお母様について語られたことがあったが、その時のすこしばかり悲しげな瞳の理由が分かった気がした。
「永寿が君に親身になって過保護なくらい甘やかそうとするのも、自分の生い立ちと少し似たものを感じているからだろうな」
「あ……」
親を亡くして、兄弟二人で。
そして姉は後宮へ……。
確かに似ている。
「指導は全然甘やかしてくれませんでしたけど」
「まぁ、それも愛ゆえだろう。……多分」
あの時の永寿様は穏やかな笑顔を浮かべていたけれど、私には鬼に見えたものだ。
「あいつは私にとって、護衛であり、叔父であり、大切な唯一の家族だ」
そう言った景天様は、とても優しい表情をしていた。
唯一の家族だと言い切ることのできるのが、兄である皇帝陛下ではなく護衛である永寿様だというのは、その複雑な生い立ちからもあるのだろう。
半分は血がつながっている兄弟なのに。
母親が亡くなって追い立てられるように追放されたからこそ、彼はたった一人になり、血の繋がりすらも無意味なものになってしまったのだ。
そう思うと、なんだかたまらなくなって視線を伏せた私の隣で、景天様がふっと笑ったのを感じた。
「唯一の家族だった、んだが……。今は増えた」
「増えた?」
家族が、増えた?
まさか────っ!!
「隠し子ですか!?」
「違うわ!!」
景天様が声を上げて否定するとともに私の後頭部をぺしんとはたく。
痛い。
「うぅ……じゃぁ一体……」
「君だ」
「は?」
私?
私、とな?
「君が今は、もう一人の家族だ」
「!!」
「自信を持て。君は一人ではない。私も、永寿もいる。だから大丈夫だ。何とかなる」
「景天様……」
その強く光る黒い瞳を見上げると、なんとも頼りないぽかんとした顔の私が映った。
だけどそんな頼りない私でも、きっとこの人がいるなら何とかなるのだろう。
不思議とそう思えて、私は頬を緩めた。
「はい。何とかなる、ですね」
「あぁ」
見上げた星空は曽蓉江で見る者よりもすこしばかり少なく見えるけれど──老師、私は一人じゃないみたいです。
だから、きっと大丈夫。
早く解決して、そっちに帰りますね。
私はそう、心の中で思いをつづった。