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第32話 後宮の亡霊

「妃嬪達がすまないな、柳蘭。驚いただろう」

「い、いえ……」

 回廊を進み、いくつもの部屋の前を通り過ぎながら、皇帝陛下が私を振り返ることなく言葉を投げかけた。


 ここは皇帝の住居でもある。

 私なら家でくらい気を休めてゆっくりとしていたいものだけれど、毎日こんなに騒がしく誘惑され続けたんじゃ、心休まらないだろうな。

 皇帝も大変だ。


「私としては、この後宮の呪いで妃嬪達が一人残らず散っても問題はないのだが、それではいろいろと問題も多い。事件解決に協力してくれ」

 何か物騒な言葉が聞こえたけれど、聞かなかったことにしよう。


「──あぁ、ここだ」

 ようやく足を止めたのは、回廊の一番奥の部屋の前。

 そしてその扉が開かれると、そこには美しい翠色の世界が広がっていた。


「綺麗……」

 あまり見ることのない翡翠のようなその落ち着いた翠に、思わず感嘆の息が漏れる。


「ここは私の母のものだった」

「!! 皇太后様の?」

「あぁ。最初はこの色ではなかったが、心を落ち着ける色が良いとこれに変えた。そしてしばらくして、母はこの部屋を去った」

「部屋を……去った……?」


 私が皇帝陛下を見上げると、陛下はゆっくりと頷いてから部屋を見つめたまま口を開いた。

「母は、皇帝の寵愛深かった景天の母へ譲ったのだ。『私には過分な部屋だ』と」

 大人しく内向的だったという皇太后様。

 皇后という地位でありながらもひかえめで、恐らく自己肯定感も低い方だったのだろう。

 でなければ自分の夫の妃嬪に自分の部屋を譲るだなんてことはできない。


「慎み深いお方、だったのですね」

「自信がなかったのだろう。自分なんかが、という気持ちの強い方だった。皇后としての立場を持ちながらも、公務以外はひっそりと最奥に用意させた飾り気も何もない部屋で余生を過ごされた」


 多くの妃嬪を娶る皇帝を夫に持った皇太后さまの気持ちを思うと、なんだか少し胸が痛む。

 妃嬪と戯れるその様を、彼女はどのような思いで見ていたのだろうか。

 皇族というものは皇后以外に妃品を持つことが許されるということは理解している。

 だけれど、前皇帝はそれにしては多すぎた。


 ただ己の欲望に溺れかき集めた妃嬪達の存在が、皇后陛下のお心を疲弊させたであろうことは想像に難くない。


「それから間もなく景天の母が逝去し、母上はその部屋を使うことを禁じていたが、母が逝去してから父上がその部屋を使うことを許可した。そして父上が逝去した翌日、その部屋を使っていた妃嬪が突然死し、後宮では景天の母親の呪いなのではという噂が流れた」

「!! 母の呪い?」

 景天様が驚きの声を上げる。

 ということは、景天様もこのことについては何も知らなかったということか。


「あぁ。何しろ、その部屋で死んだ妃嬪は、そなたの母を妃嬪の中でも一番に毛嫌いし、何かと嫌がらせを仕掛けていた者だったからな。まぁ、そなたの母は逞しく、嫌がらせをもはねのけていたが。遊覧会で景天の母の茶に大量の青虫が詰められていた際には、顔色一つ変えず皇帝の御前で立ち上がり、一匹一匹丁寧に庭の葉へと置いていた。『いずれ美しき蝶になりましょう』と笑ってな」


 逞しい……。

 だけどそんな嫌がらせをものともしない様は、きっと他の妃嬪達には面白くないものだっただろう。


「その次に死んだ妃嬪はその部屋を使ってはいなかったが、自室で原因不明の死を遂げ、そのすぐ後にも部屋とは無関係の妃嬪が茶会で倒れているところを発見され、死亡が確認された。そしてつい最近も、妃嬪全員が監視された中、一人が食事中に突然倒れ、死亡したばかりだ」


 4人の妃嬪が相次いで亡くなる……。

 しかも皆が皆その部屋を与えられていたわけではなく、別々の場所で……。

 え、もう、これ、本当に亡霊の仕業なんじゃ……?

 いや、景天様のお母様が、というわけではないけれど、古来から後宮という場所は女性同士の血で血を洗う争いが絶えぬと聞く。

 そんな過去からの降り積もった怨念たちの所業なのでは?

 そう思ってしまう。


「だが私は、亡霊などという非現実的な存在を信じてはいない。連続的に妃嬪が死するとなると、疑わしいのは残る妃嬪だ」

「だ、だけど、監視中に疑わしいものはなかったのですよね?」

 あったなら恐らくすぐにでも解決しているはず。

 だけどそれができていないということは、誰も疑わしいことはなかったということだ。

 それならばやはり亡霊説が有力のような気がする。


「そうだ、いなかった。だが妃嬪が減って得をするのもまた妃嬪なのだ。争う相手が減るということなのだからな。見つけ出せば、後宮からの追放の理由にもなる」

 いや、後宮追放どころか、妃嬪連続殺人事件となれば、この世からの追放となるだろう。


 要するにこの人は、私にその手伝いをさせたい、ということなのだろう。


「柳蘭。そなたに、この後宮への出入りを許可するとともに、各部屋への出入りも許可しよう。むろん、他の妃嬪には全面的に協力するよう命じておく」

「兄上!! 危険です!!」

 意外にも景天様が声を上げるも、皇帝陛下は眉一つ動かすことはない。


「もちろん景天、そなたも付き添ってここへ入ることを許す。柳蘭、頼めるだろうか?」


 頼めるだろうか?

 こちらに選択の自由があるように見えて、その実、それはほぼ無いにも等しい。

 皇帝という立場ということもあるが、その褒賞の力は大きい。


 解決をすれば一つだけ願いをかなえる──。

 それならば私は──。


「……わかりました。お受けいたします」

「蘭!!」


 ごめんなさい景天様。

 私は、私の目的のために──。


「よし。よろしくたのむ、柳蘭」



 やり遂げて見せる……!!





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