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第30話 後宮の呪い

「ところで永寿」

「はっ」

 突然その瞳が、景天様の一歩後ろに控えていた永寿様へと移った。


「その柳蘭の簪。それは──景天の母、そなたの姉のものではないか?」


 ん? 景天様の母、はわかるけど──永寿様の姉!?

 まってどういうこと!?


「えぇ。姉が生前、私に託し、私が景天様に差し上げたものです」

「これまで大切に保管してきましたが、私が持っているよりも女性である蘭に使ってもらった方が、実益主義の母は喜ぶと思いまして、彼女に」


 話がどんどん進んでいるようだけれど、私はいろいろ頭がついていけていない。

 誰か……誰か補足求む!!


「ふむ、そうだな。そなたの母は、とてつもなく現実主義で実益主義だったな。そして、破天荒だった。妊娠中の食事を自分で作ろうとしたり、後宮の中で焚火をして暖をとったり、父上の目通りを、仮病を使って拒否し続けたり……。一風変わった、内向的で夢見がちな私の母とは正反対の女性だったな」


 遠く昔を思い出すかのように目を細めた皇帝陛下。

 だけどそれにも感情は見えない。


 それにしても後宮の中で焚火をして暖をとるって……、何だか仲良くなれそうな気がしてしまうのは何でだろうか。


「その簪、とてもよく似合っている。柳蘭」

「あ、ありがとうございます」

「そなた────後宮に入らぬか?」

「は!?」


 突然出たその言葉に息を呑む私と永寿様。

 そして大きな驚きの声を上げたのは、意外にも景天様だった。


「こ、後宮に……。……お言葉ですが兄上!! これは田舎から出てきたばかりの山猿です!! おまけに口より先に手が出る、究極の野生の猿です!! 兄上の妻に──後宮に入れるなど、ふさわしくは……っ!!」

「なっ!! 何ですか山猿山猿って!! 人路凶暴な野生生物みたいに!!」

「事実だろうが。賊を一人で壊滅に追い込んだくせに」

「あ、あれは──」

「ごほんっ」

「!!」

「!!」


 しまった……!!

 皇帝陛下の御前で言い争うだなんて……!!

 絶対心象悪くした……おしまいだ……くそ、この顔だけ皇子め。


 だが絶望する私に降りかかったのは、予想外の言葉だった。


「そなたたち、仲が良いのだな」

「へ?」

「は?」


 仲が良い?

 私と、景天様が?

 今の会話を聞いてどうしてそう思えたのだろうか。


「安心しなさい、景天。後宮に、というのは、私の妻として後宮入りをというわけではない」

 相も変わらず単調な口調で皇帝陛下が言って、景天様がぽかんとくちをあけたまま固まった。

「え……と、言うと?」

「柳蘭は、我妻蓉雪の妹ながら、蓉雪たっての希望により、これまでここに招くこともなかった。妹には、穏やかな日常を贈らせてやりたいのだと、いつも遠くを眺めていた」

「姉様……」

 姉様はきっと、色々なしがらみから私を守ろうとしてくれていたのだろう。

 だけど私は、そんなことよりも、家族の傍に居たかった。


「そこで、後宮を見学してみてはどうかと思ってな。蓉雪があそこで何を思い、どう過ごしたのか、想像することもできよう」

「!! あ……ありがとうございます……!!」


 好機だ。

 好機が早くもやって来た。

 まるで私の目的を理解していたかのように物事が進むのはすこしばかり気になるが、それでも大きな一歩を踏み出したことに、私の胸は大きく高鳴った。


「と、それともう一つ」

「……まだ何か?」

 景天様が眉を顰める。


「賊をその身一つで壊滅状態に追い込んだほどの武術の使い手。そしてあの老師の弟子で、景天とも互角に言いあうほどの座り切った度胸、ということで、頼みがある」

「頼み、ですか?」

 私が首をかしげると、皇帝陛下は「あぁ」と小さくうなずくと、玉座から立ち上がった。


「この外宮の裏側にある後宮は、皇族の住まいだ。私、亡き妻蓉雪、そして未だ前皇帝の妃嬪がそれぞれの区画に暮らしている。ほとんどの妃嬪は、前皇帝である父が崩御してすぐに手切れ金と共に了承させ、家族の下へと返した。だが、自分は前皇帝の妃嬪であり、ここが自分の家であると主張し、居座っている者が8名。私は皇帝とはいえ、前皇帝の妃嬪を強制的に退去させることはできない。彼女らは、父の妻たちなのだから」


 確かに、血の繋がりはなくても一応自分の父親の妻たちだ。

 子どもである立場としては強制的に物事を運ばせることは難しい。

 まぁ、景天様ならば問答無用で強制退去させそうだけれど。


「だが、そのうちの4名が相次いで死すという事件が起こっていてな」

「!? 4名が……死んだ!?」

「あぁ。すぐに妃嬪同士の争いを疑って、それぞれに監視をつけた。だがどの妃嬪も、死んだ者たちへの直接的な接触もなければ、監視状況下においても死者が出たのだ。後宮の呪いであると噂する者も多い」

「後宮の……呪い……」


 市井で聞いていた噂は、あながち間違いではなかったのかもしれない。

 嫉妬や憎悪渦巻く場所──それが後宮。

 だけど今回は妃嬪同士が直接的に関与していない。

 監視をつけていても怪しいことは何一つないだなんて……それはもう、もはや呪い……。


「だが私は、そのような非現実的なことは信じてはいない。必ず何かあるはずだ。それを、柳蘭、そなたに解いてもらいたい」

「えぇー……」

「おい蘭!!」

「はっ!!」

 しまった、つい口から洩れた!!


「それを説いたら、そなたの願いを1つだけかなえてやろう」

「やります!!!!」

「早いな……」


 あきれ顔の景天様と苦笑いを浮かべる永寿様をよそに、私は思い切りぴんと手を上げて声を張り上げた。

 願いを一つだけかなえてくれる。

 こんな好機、逃すわけにはいかない。


『姉様はなぜ死んだのですか?』


 そう、聞くことができるのだから。


「よし。交渉成立だな」

「っ、兄上!!」

「心配するな景天。そなたの大切な者を、あの場に縛り付けたりはせんよ。好きな時に後宮に出入りできるよう、通行証を出しておこう。最初は私が妃嬪たちに紹介をしておいた方が良いだろうな。これから紹介だけでも済ませておこうと思うが、良いか?」


 あぁ、話がどんどん進んでいく。

 景天様は苦虫を嚙み潰したような表情で言葉を詰まらせると、やがて深く息を吐いてから小さく「わかりました」と答えた。


「ふむ。では、行くぞ」


 こうして私は、思わぬことに後宮へ入ることになってしまった。


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