「はい、吸ってーーーーーーーっ!!!!」
「すぅーーーっ」
「止めてっ!!」
「っ!!」
息を止めると同時にやってくる腹部の締め付け。
朝早くに女官たちによってたたき起こされ、磨き上げられた私は、只今着付けの真っ最中だ。
仕立て屋から届いた正装服は、さすが景天様が選んだ色だけあって見事な色合いの美しい着物に仕立て上げられていた。
「さ、できましたよ」
「おぉー……!!」
姿見に映った自分の姿に思わず感嘆の声が漏れ出た。
朱色と黒を基調とした美しい正装。帯締めの金が差し色となって見事に映える。
銀の髪は上半分を結い上げて、そこには景天様からいただいたお母様の形見である簪が、キラキラと揺れている。
おぉ……化けたな、私。
「お綺麗ですわ、蘭様」
「さすが景天様が見込まれたお方です!!」
「あ、ありがとうございます」
私のこの屋敷での立ち位置は景天様の側近。
つまり景天様の下につく立場のはずが、いつの間にか主の嫁みたいな立ち位置になっているような気がするのは気のせいだろうか。
コンコンコン──と扉を叩く音が響く。
「どうぞ」
私が返事をすると、「失礼します」と一言断りを入れて入室したのは、濃い緑色の正装に身を包んだ永寿様。
そしてその後ろから、黒と紫紺の正装姿の景天様が入室すると、彼は私を見るなりに目を大きく見開いてから動きを止めた。
「これは……とてもお綺麗ですよ、蘭。まるでどこかの姫君のようです」
「あ、ありがとうございます、永寿様」
お世辞であろうとは言え、普段から言われ慣れてないと妙にくすぐったいものだ。
「景天様?」
瞬きすら忘れてしまったかのように微動だにしない景天様へと視線を移すと、名を呼ばれた瞬間、はっと我に返ってはじめて私の目と焦点が合わさった。
「あ、あぁ……すごく、いい、と、思う」
なぜ目を逸らす?
なぜ片言?
「ふふ。景天様はあまりに蘭が美しく変身しているので、驚いているのですよ。ね、景天様」
「あ、あぁ、まぁ……。そうしていると、とても山猿には見えんな」
素直に褒めれんのかこの男……!!
「どうせ普段は山猿仕様ですよーっ!! べーっ!!」
「んなっ!! 主に向かってべーって!!」
「悔しかったら尊敬できる主目指してくださいっ!!」
ぎゃーぎゃーと言いあう私たちを温かい眼差しで見守る永寿様は、もはやこの屋敷の良心というより、我らの母だと言えよう。
「はぁ……ったく……。支度が出来たなら行くぞ。馬車を用意している」
「え? 馬に乗らないんですか?」
外宮まで当然のように香々に乗る気満々でいたけれど、もしかして馬単体は進入禁止なのかしら?
私の質問に、景天様は呆れたように深くため息をついてから頭を抱えた。
「どこの世界にそんな着飾った女性が馬に乗る!? 脳みそ山の中に置いてきたのか?」
「んなっ!!」
確かに着飾った状態で、しかも女性が馬に跨る図は──うん、見ない。というか、してはいけないかもしれない。常識的に。
「はぁ……。ということだ。私と君は、用意している馬車で向かう。永寿は馬車に追走するように馬で行く手はずになっているから、香々に乗りたいのはわかったが、そのように」
「わ、わかりました」
こうして私は、景天様と共に馬車に乗り込むと、都の中心部に位置する外宮へと向かった。
***
カタカタカタと大きな滑車が音を立てて馬車を揺らしながら進む。
ふと窓の外を眺めれば、道行く人々がこちらを物珍しそうに眺めている。
「景天様、目立ってます。すごく」
「仕方ないだろう。一応皇弟なんだ。普通に仕事で外宮に行くならまだしも、今回は皇帝への謁見なんだ。赴く際には、しっかりとした装いで行かなばならん」
確かにそうなんだろうけれど……、ただでさえ朱色の華やかな馬車にこの行列はさすがに目立つ。
私達が乗る馬車の前には、馬に乗った兵が二人。
そして馬車に寄り添うように並走するのは永寿様。
そして後ろには二列になった兵が続々と続く。
うん、どう考えても目立つ。
「彼らは賊を捕縛し連れ帰ったうちの兵だ。今回、外宮の別室で褒賞が授与されることになった」
「褒賞、ですか?」
普通は賊を捕縛しただけでいちいち兵に褒賞を贈ることはない。
実際に討伐しきったのは私だし。
私が首をかしげると、景天様は何とも言えない表情をして口を開いた。
「まぁ、通常であれば兵が賊を捕縛するのは当然で、朝廷から褒賞までいただくことはない。だが今回はそれだけ大きな成果を得ている、ということがある」
「大きな成果?」
「あぁ。君からの報告で、隣国華蓮の国がらみの作戦であることが分かっただろう? 賊の尋問で、それが真実であることも明らかになってな。すぐに書簡を書き、華蓮へ抗議して置いた。『妻は失ったが、私は変わらずやるべき責務を果たしている』と加えてな」
その口ぶりは、まるでそれを書いたのは皇帝ではなく景天様であるかのように感じる。
ということはやはり皇帝は外交に関しても政に関して自体も一切をのらりくらりとしているのかもしれない。
必要な書簡などは景天様が成り替わって行っている、ということか?
「……君が今考えていることは正しい」
「!!」
「あの人は何を考えているかわからん。だが、これは好機だ。少しずつ臣下の間でも不満と不安が溜まって、私こそが皇帝にふさわしいのではないかという声も上がり始めている。来るべき時の為にも、私はやるべきことを確実にしていくつもりだ」
「景天様……」
腹違いとはいえ兄弟でこの関係性であるのは私には考えられないけれど、景天様には景天様の思いと信念がある。
この方が一番に優先しているのは、国と民の安寧。
私も、しっかりと振り落とされないようについていかないと。
決意を新たにふと景天様を見ると、彼は少しぼんやりとした表情で、窓辺に頬杖をついて私を見つめていた。
「な、何ですか?」
何かおかしなところでもあっただろうかと身構える私に、景天様はぼんやりとしたまま言った。
「いや。ただ────本当に、美しいと思ってみただけだよ」
「~~~~~~~~っ!?」
「その簪が、な」
「…………」
ときめき返せ。このときめき泥棒め。