蘭との話を終え、彼女を部屋に送り届けてから自室へと戻った私は、服もそのままに布団へと突っ伏した。
「はぁー……」
深く息を吐けば、全身から力が抜けていくのがわかる。
さすがに今日は疲れた。
張りつめていた気が一気に流れ出す。
将というものは多くの責任を背負っている。
今回は特に、失敗するわけにはいかなかった。
もしも私が機を間違えれば、蘭の身が危険にさらされる。
手遅れになるわけにはならない。
そんな重圧が、絶えずのしかかっていた。
出会ったばかりの小娘だというのに、自分でもおかしいと思う。
普段ならばこんなにすぐに人を信頼することはないし、大切にしたいと思うこともない。
だが彼女から紡がれた言葉がこれまでの私を掬い上げてくれたのだ。
『私と姉は老師に助けられ命拾いしました。そしてその後すぐ、その時の殺し屋たちが景天様によって捕縛されたと聞きました。それだけじゃない。景天様は5年前皇弟として宮廷に戻られてすぐ、殺し屋のような闇稼業の取り締まりを強化し、貧しさから闇稼業に手を染める若者を防ぐために職の紹介まで定期的にされはじめました。おかげで治安は安定し、少しずつ民の暮らしは良くなって、涙を流す人は減っている。……あの時何もできなかった悔しさも、悲しさも、苦しさも、それら景天様のしてくださった事によって、少しずつ掬いあげられていった。そんな気がしたんです』
どんなに頑張っても、心を砕いても、自分には誰かを救うことができないのではないか。
そう思うこともあった。
自分のしていることはただの自己満足で、偽善なのではないかと。
ただ生きる意味を見出したかっただけの自己陶酔にすぎないのではないかと。
だから彼女から出たその言葉は、私の中の不安をすべて洗い流してくれたように思えた。
「はぁ……あんな小娘に心救われるとはな」
あのとんでもないじゃじゃ馬娘は、本当に何をしでかすのかわからない。
想像していた行動や反応など全くの無視で、目を離すことができない
そしてそんな予測不能なそれが、存外心地いいとも感じているのだから、困ったものだ。
それにしても……。
「蘭を連れてこい、か……」
兄上への報告の際、私は包み隠さず賊を倒したのは蘭であることも漏れることなく報告をした。
あまりにも目撃者が多すぎたからだ。
私が誤魔化したとして、どこから真実が漏れ出るとは限らない。
すると兄上は、その少女を労いたいと言い出したのだ。
興味を持ったのか、それともただ功労者を労いたいだけなのか。
あの人の感情は読めない。
いつも変わらぬ表情で、淡々と言葉を交わすのだ。
かと思えば時折とんでもなく甘ったるい菓子を送りつけては子供じみた嫌がらせをする。
「はぁ……気が重いな」
それでも兄上への謁見は蘭にとっては望んでいたものだ。
少しずつ兄上に近づき、姉のことを聞き出すことが彼女の目的だったのだから。
まさか会ってすぐに姉のことを聞くことはないだろうが、兄上への謁見ができれば、後宮に出入りし始めてからもお声を掛けられやすくはなるだろう。
そうなればいずれは姉のことを聞く機会にも恵まれることだろうからな。
「……震えていたな」
先ほどの蘭のぬくもりを思い出すと同時に、かすかな彼女の震えも思い起こされた。
怖かっただろう。
当然だ。いくらじゃじゃ馬でとんでも娘でも、彼女もまだ10代の小娘なのだから。
特定の誰かを守りたい、なんて、そんな感情を持つなど想像していなかった。
しかも相手はあのじゃじゃ馬だ。
信じてはいない。
でも信じようとしてくれるまっすぐな彼女から、私はこれからも目が離せそうにない。
「はぁ……厄介だな、本当に」
そう独り言ちると、私は緩む頬もそのままに目を閉じた。