「はぁぁぁーー……。……眠れん」
あれから永寿様はすぐに立ち上がり、「ゆっくりお休みくださいね」と私の部屋を後にした。
が、永寿様が部屋から去っても、私はすぐには眠ることができず、ベッドの上でゴロゴロと左右に行ったり来たりと転がっていた。
「信じていた人が、自分を裏切り殺そうと画策する、か……」
父様と母様も、信頼していた取引相手に裏切られ殺された。
どれほど苦しく、どれほど悲しく、どれほど悔しかったことだろう。
私は──自分の父母の仇を取り、国民に寄り添い守ってくれようとする景天様という存在にあこがれていた。
だからきっと、私は私の憧れとは違う景天様という存在を、認めようとしていなかったのかもしれない。
自分の思う景天様像とは違う彼を押し付けて、本当の景天様を否定していた。
「はぁー……」
あらためて考えると、とっても嫌な奴じゃないか、私。
私がため息をつき布団に顔を埋めたその時だった。
「何をしている?」
「ひぁ!? っ、景天様!?」
突然真上から声が降ってきて飛び起きると、そこにはさも当たり前のように部屋に入り込み仁王立ちする景天様の姿がそこにあった。
「か……勝手に入るなと永寿様に言われたでしょう!?」
「あぁ、だが寝ているだろうし寝顔を見に来ただけだから構わないと思ってな」
「構うわ!!」
何なのこの自由人!?
人が真剣に考えてるっていうのに……!!
むっすと頬を膨らましてじっとりとした目で景天様を睨みつけるも、効いている風には見えない。
「ふむ……眠れないのか?」
「っ……はい」
ここにきて、ゆっくり環境に慣れる暇もなく動きすぎて、今になっていろいろなものが押し寄せて脳内がぐちゃぐちゃになっている。
何から考えて、何から解決させればいいのかわからないほどに、自分でもどうすればいいのかがわからない。
「……」
「……」
「……少し、付き合ってくれるか?」
黙り込んだ私に、景天様が静かにそう尋ねた。
「あ、はい。えっと……どこに?」
首をかしげる私に、景天様がにやりと笑った。
「上、だ」
……………………上?
***
寝着の上に薄衣を羽織り、景天様の後ろをついて歩く。
薄暗い回廊を通り、階段を上り続け、たどり着いたのは屋敷の最上部に位置する物見櫓。
夜風がさらりと髪を撫で、とても心地良い。
見上げればいくつもの星々が闇夜にきらめいて、私は思わず頬を緩ませた。
「綺麗……」
「だろう? 周りも見て見なさい」
「周り?」
そう言われて私は周囲に視線を向けると、そこには頭上の星々のようにキラキラといくつもの灯りが浮き上がっていた。
空には空の光、地上には地上の光が、都を明るく照らしているようだ。
「すごい……星に包まれているみたい……」
なんて幻想的な世界なんだろう。
「これが、都のきらめきだ」
「都の……きらめき……」
こんな時間だというのに灯りを絶やさぬのは、元々はいつ何時、何があっても良いようにという慣習から始まったものだ。
今では防犯としての意味合いを込めているのだけれど、高いところから見るとこうも美しいものなのか。
「私はこのきらめきを消したくはない。人々の笑顔で輝き続ける世であること。そして幼子が一人で泣くことのない世であること。──そんな世を作るのが、私の目標だ。人と人が笑い合い、助け合う国。実現できれば、これ以上ないことだとは思わないか?」
穏やかな笑みだ。
からかうでも、裏があるようでもない。
ただ心安らかな笑みを浮かべ、景天様が言った。
「そんな国が、本当に実現できるんでしょうか?」
改善はされたとしても、何かしらの問題は起こり続ける。
人が人である限り、欲というものは無くならないのだから。
そしてその欲がいつも、誰かの大切なものを奪うきっかけになるのだ。
私の夢も希望も見ていないようなその問いかけに、景天様が苦笑いして一つ息をついた。
「……そうだな。簡単なことではない。……だが、できるかどうかではない。やるんだよ。この私が、太平の世を作ってみせる──」
強く芯のこもった紫紺の瞳が、地上の星々を見つめる。
この人ならば、できるのかもしれない。
いや、しそうだな。
何が何でも野望を成し遂げる。
そんな力強さを感じた気がした。
どうやら私は、とんでもないお方に仕えることになったようだ。
「……あー……、蘭」
「はい?」
突然、先ほどとは打って変わってすこしばかり気まずげに私の名を呼んだ。
「その…………、怖かった、だろう?」
「……………………へ?」
心配そうにこちらへ向けられるそのまなざしに、私は思わず間抜けな声を発してしまった。
怖かった?
あぁ、そうだ。もちろん怖かった。
当然だ。だってこれまでの人生、恋愛というものも経験がなければ、男性に接待するという経験すらもなかったのだから。
姉様のためには身体を売ることもやむなしとは思っていたけれど、いざその時が来たら、やっぱり怖くて仕方がなかった。
そして同時に、年相応の娘のように怖れを抱いた自分を恥じ、嫌悪もした。
まぁ、結局手が先に出てしまったわけだけれど……。
「……足の一本すら舐めさせることもできず、申し訳ありませんでした」
本来の目的の為ならば我慢しなければいけなかったこと。
私には圧倒的に、その覚悟が足りなかった。
それがとてつもなく────悔しい。
「っ……」
頭を下げ、そう謝罪の言葉を述べてから再び頭を上げた刹那──。
「!?」
「謝るな」
私の手が強く引かれ、身体は温かく硬いものに包み込まれた。
景天様の胸に顔を押し付けられるように力強く抱きしめられるという思ってもみなかったその状況に、全く頭が回らない。
硬い胸板からはどくんどくんと命の鼓動が耳を伝って全身にめぐる。
「あ、あの、え、ちょ、景天、様?」
どうしてこんなことになっているのだろうか?
顔を見上げようにも景天様の大きな手によって頭をその胸に押し付けられているので全く抵抗することすらできない。
「……悪かった。必ず助けるという自信があったとはいえ、君の気持ちを考えることなく作戦を実行した。決して君を捨て駒にしようとか、そんなつもりはなかったんだ。それだけは、信じてほしい」
まるで捨てられないように縋る子どものような、切なる懇願。
だけど言い訳を並べるわけではない。
人の気持ちを、きちんと慮ることのできる方、か……。
「……景天様」
「何だ?」
僅かに私の頭を押し付ける手の力が緩むと、私はゆっくりと顔を上げ、すぐ真上にある景天様のお顔をまっすぐに見つめた。
「一つ、聞いても良いでしょうか?」
「あぁ。一つでも二つでも。私に答えられるものならば」
景天様の了承に、私はわずかに視線を逸らしてから、彼に尋ねた。
「助けに来てくれた時、あなたは私を『自分が信じる者』だと言いました。それは何故? 出会ったばかりの私を、どうしてそんな風に思ってくださるのですか?」
正直景天様からしたら得体のしれないじゃじゃ馬娘でしかないと思っている。
なのにそこまで信頼してくれるのはいったい何なのか。
永寿様も言っていたけれど、気に入られるようなことをした記憶が無いのだ。
私の問いかけに、景天様は思ってもみなかったのだろう、目をぱちぱちと瞬かせてから、わずかに頬を染めて口を開いた。
「あー、それは、だな……。……私が永寿の振りをして聞いたろ? 景天について」
「永寿様の? あぁ、そうですね。そういえば」
確か、懸想をしているのか、とか聞かれた気がする。
「その時話してくれたことが嬉しくてな。なんというか……自分のしてきたことが無駄ではなかったと、証明してくれた気がして。自己満足ではなく、きちんと意味のある事だったのだと、わかってくれて、見てくれる人がいるのだという事実に、私の心もまた救い上げられた」
「景天様……」
この人は今まで永寿様ぐらいしかまともに意見を言える人はいなかったのだろう。
何を決めるにも自分が主である以上自分で考え指示を出さねばならない。
それが間違ったことなのかどうかも教えてくれる人がいないというのは、心細いものだったはず。
誰でもそうだ。
時に自身のしていることに疑問を抱き、誰かにわかってもらいたいという欲求も生まれる。
認識と肯定を得て初めて、自信になるものだ。
なるほど、景天様にとってのそれが、私の言葉だった、ということか。
なんというか……意外と単純で、純粋なのかもしれない。この方は。
「景天様」
「何だ」
「……何があっても、守ってくれますか?」
「あぁ」
「何があっても、信じてくれますか?」
「もちろんだ」
「あなたは私から、いなくなりませんか?」
「!! っ、あぁ。傍にいる」
「…………信じます。あなたを」
私は静かにそう言って、そしてふわりと微笑んだ。
「私もあなたを守り、信じ、そして傍にいます。あなたがそうである限り、私もそうであり続けるでしょう」
まだ出会ったばかり。
だけどきっとこの人は、信じることができる人だ。
すこしばかり、いや、かなり性格に難はあるけれど。
この人に付いていこう。
「私は、あなたのものです」
「!!」
覚悟を込めたその言葉に、景天様がごくりと喉を鳴らした。
「…………」
「…………」
え、何? この沈黙は。
私変なこと言った?
固まってしまった景天様に不安になるも、すぐに景天様が口を開き、そしてかすれた声で言葉を紡ぎ出した。
「……そのセリフ、破壊力抜群だな」
「あなたが言った言葉ですからね!?」
あぁもう、どっと疲れてきた。
心なしか瞼もずっしりと重くなってきたし。
「はぁ……。まぁいいです。景天様」
「ん?」
「あらためて、これからよろしくお願いします」
「!! あぁ。よろしく頼む」
差し出した右手をとり、景天様が握手する。
大きくあたたかなその右手をしっかりと握り、私たちは再び地上の星を見つめた。