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第17話 昔の話を

「昔の話、ですか?」

「えぇ。景天様がまだ幼子であった頃の」


 景天様の……子どもの頃の!?

 気になる……!!

 絶対に今よりもっとひねくれていたんだろうなぁ……。


 子どもとは往々に理不尽でひねくれているのだと思う。

 曽蓉江の子ども達もよく大人を(主に私を)からかって遊んでいたものだ。

 あの景天様だもの。

 曽蓉江の子達以上にひねくれていたことだろう。


「ふふ。そんなひねくれた童ではなかったですからね?」

「!!」

 私の脳内を見透かしたかのように永寿様が笑う。

「違うんですか!?」

「えぇ。むしろとても大人しい、自分の思いを出すことが苦手な子でしたね」

 今からじゃ想像ができない……。


「蘭は、景天様の母君が市井の出だということはご存じですね」

「あ、はい。それは……有名な話ですし……」


 景天様の顔は知らずとも、皇帝の弟君の母親は市井の者であるというその生まれについては市井でもよく話題に上がっていた。

 それでも朝廷の考えとは違って景天様を見下す者が誰もいなかったというのは、その母君の生前のお人柄と行いが彼らの中で生きているからだろう。


「前皇帝陛下の妃はたくさんおられましたが、子を生したのは現皇帝陛下の母君と、その後入宮した景天様の母君のみでした。景天様の母君──麗羽レイウ様は、大変慈悲深く、お優しい方でした。又、文学に精通し、とても賢いお方でした。ですがお身体の調子を崩され、景天様が3歳の頃、崩御されました。そして麗羽様の死後、朝廷はすぐに景天様を排除しようと、後宮から追い出したのです。それもたったお一人で」


「!? 3歳の子どもを、たった一人で!?」


 最初から永寿様がついていたわけではなかったということ?

 3歳の子どもがたった一人で生きていくことができるわけがない。

 そのままのたれ死ぬか、悪い人につかまって売り飛ばされることになるだろう。

 実質的に処分しようとしたふうにしか思えない……。


「それまで景天様に付き従っていた者たちも手のひらを反すように景天様を追い出すことに賛成したし、誰も助けに行こうとはなさらなかった。下賤の者の血が流れる皇子は生かしてはおけぬと……。後に遺恨を残すことになるのだと……」


「そんな……ひどい……」


「えぇ。ですが景天様は前皇帝のご意思で、生きて平民としてひっそりと暮らすことを許されました。市井で私が護衛としてお育てし、5年前の先の皇帝陛下が崩御の際に呼び戻されるまで、私と市井で暮らしてきたのです」


 市井でひっそりと暮らすことを許されたとて、恐らく刺客はあったことだろう。

 例え皇帝の温情で生かしていたとしても、それを面白くなく思う者も少なくないだろうから。

 そのたびに永寿様が景天様を守ってきたのだと思うと、永寿様の苦労が思い浮かばれる。

 ……ん? ────待てよ?


「あ、あの、永寿様?」

「はい」

「景天様が3歳の頃からすでに護衛として──って……永寿様、今一体いくつなんですか!?」


 どう見ても景天様と同じくらいの年齢にしか見えないけれど、それなら3歳の景天様の護衛を同じく3歳でしていたということになる。

 さすがに無理だろう。


「私、ですか? 私は先日38になりました」

「38!?」


 見えない……。

 もうすぐ40だなんて……全く見えない。

 え、不老不死の妖か何かなの?


 硬直した私の表情から何を考えているのかを察した永寿様が苦笑いをして続ける。

「よく妖と間違えられるんです」

「でしょうね!?」

「ちゃんと人間してるんですけどねぇ……。と、まぁそんなわけで、あの方がものすごくひねくれているのは、そこらへんの複雑な生い立ちのせいでもあるのです。今まで遊んでくれた官吏たちですら自分を厭う。訪ねてくれたと思えば手土産に毒が仕込まれていたことだって1度や二度ではありません。最初の頃、景天様はよくお一人で泣いておられました。『なぜ皆私を殺そうとするのか。私はいらない子供だったのか』と。そのうちそんな悲しみは諦めに代わり、殺されないように飄々と立ち回ることを覚えました」


 それが、今の景天様、ということか……。

 今まで傍にいた人たちがこぞって自分を追い出すどころか殺そうと画策するというのは、人間不信になっても仕方がない。

 生き残るためには、程よく利用し、心を許すことなく飄々とかわし付き合っていく。

 それが彼の心と身体を守るための処世術だったのかもしれない。


「あの方の何が本音なのか、あなたはまだわからないかもしれない。でもこれだけはわかっていてください。景天様は、自分が気に入った相手を見捨てるような愚か者ではありません。何が何でも最後までその者を助けようと死力を尽くすお方。裏切られる苦しみを知っているからこそ、信じる者を裏切ることなど決してありはしないのです」


「っ……!!」

 あぁそうだ。

 景天様はその苦しみも悲しみのよく知っている。

 自信が嫌いな人種と同じことは決してしないだろう。


「……だけどどうして? 私、景天様に気に入られるようなこと何一つしていないんですけど……」


 むしろ無礼しか働いていない気もしているくらいだ。

 姉様のように美しいわけでもないし、手だってまめだらけだし、女としても気に入られる要素はゼロ。

 すぐ口よりも先に手が出ちゃうし。

 …………あれ?

 あらためて考えると私、良いところなしなんじゃ……?


「うぅ……だめじゃん……私」

 愕然とする私を永寿様はきょとんと目を丸くして見つめると、次の瞬間「ぷっ……」と小さく噴き出し──。

「っははははははははっ!!」

 声を上げて笑う景天様に今度は私がきょとんと目を丸くする番だった。


「まぁ、そこらへんは本人にゆっくり聞いてください。大丈夫。あの方はあなたが思っている以上に、あなたのことを大切に思っていますから」

「えぇー……」


 うさんくさいな。


「ふふ。蘭。どうか今すぐでなくてもいい。あの方を信じてやってください。あの方自身を見て、傍にいてやってください。これから景天様が進んでいく道には、あなたという存在が必要不可欠だと、私は思うのです」

「私が……?」


 まだ出会ったばかりの私が? とその意味が分からずにいても、今すぐでなくていいというその言葉は私に猶予をくれたようで、すっと心に入り込んだ。


「……わかりました。私、ちゃんと景天様を見てみます。あの人と、向き合ってみます」


 私がまっすぐに永寿様を見つめて言うと、永寿様は安堵の息をこぼしてからやんわりとほおを緩ませた。


「ありがとうございます、蘭。……景天様を……、よろしくお願いしますね」




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