「んんー……景天様が……性悪……」
「おい誰が性悪だ、じゃじゃ馬娘」
「んぅ……? ………………っ!?」
耳に響く重低音に、私は一瞬にしてその沈み切った意識を浮上させると同時に身体を跳ね起こした。
ふかふかの寝台が揺れ、その声の主に視線を向けると、ニマニマと子憎たらしい笑みを浮かべた景天様がこちらを見下ろしていた。
「なっ……なっ……なっ…………」
結局、昨日は景天様は夜遅くになっても屋敷に帰っては来ず、私は永寿様と夕食を頂いて、あてがわれた自分の部屋で眠った。
当然今の私は眠った時の夜着のままで──。
「き…………きゃぁぁぁぁぁああああ!!」
「お、おい、ちょっと待っ──」
ゴンッ──!!!!
「~~~~~~っ」
頭に響く痛みと衝撃。
勢いよく飛び出した私の頭は綺麗に景天様の顎下へと直撃し、景天様はその衝撃で後ろにお尻から倒れてしまった。
見たか。
老師直伝、一撃必殺『顎下頭突き』を。
「蘭!! どうし──っ!? 景天様!?」
悲鳴を聞きつけて飛んできた永寿様は、その惨状を見て言葉を無くした。
そんな永寿様に堂々と胸を張って私はこう言った。
「正当防衛です」
乙女の寝所に声もかけずに勝手に入るだなんて、何を考えているんだ、この人は。
母親のお腹の中に人としての配慮というものを置いてきたのではないだろうか。
ぷりぷりと怒りをあらわにする私に、永寿様は瞬時に何が起きたかを悟り、ため息をついてから「景天様……」と呆れたように景天様にじっとりとした視線を送った。
「景天様?」
「うぐっ……」
「いつも言っているでしょう? 人の部屋に入る時は必ずこえをかけ、扉を叩くようにと!! まして蘭は、紛いなりにも女性なのですよ!?」
紛いなりも何も、正真正銘、まごうことなき女です、永寿様。
「あぁはいはい。わかってるよ。小うるさいな、永寿は」
「当然のことです!! まったく……育て方を間違えてしまったのか、そういう性格に生まれたのか……」
ぶちぶちと嘆く永寿様は、もはや景天様の保護者のようにしか見えない。
苦労してるんだな、この人も。
だけど────……。
「とりあえず全員……部屋から出てけぇぇぇええええっ!!」
都の朝は──まっことにぎやかだ。
***
「昨日の今日ですまんな。実は、この小明を西に出てすぐの村から賊が村を荒らしまわっているから助けてくれという要請があってな。今日これから出立したいんだ」
円卓を囲って、私は景天様や永寿様と食事を共にしている。
目の前にはたくさんの美味しそうな料理が並び、視覚から嗅覚までも伝って私を誘惑してくる。
「いや待ってください。その前に私は何故お二人と食事を共にしているんでしょう? 私、ここで女官をするんじゃ……」
女官が主人と食事を共にするだなんて聞いたことが無い。
いや、そもそも、護衛と食事というのも聞いたことがないから永寿様がここに居るのも違和感でしかないのだけれど。
「あぁいや、お前は女官ではないぞ。私の側近だ」
「側近も同じです!! 何で主になる人物と食事を……」
「食事は、気の置けない者たちと食べるのが一番だ」
何でもないことのように微笑んでそう言った景天様に、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。
でも気の置けないって……私達、昨日会ったばかりなんだけど……。
「で、だ。これから西の村・
「賊の盗伐と……食料提供、ですか?」
食料が無いほどに荒らされている、ということなのだろうか?
でもそんな状態になる前に都から人が遣わされると思うのだけれど……、ひどい状態になるまで救援要請を出さなかったのかしら?
私の言わんとしていることに気づいた景天様が、食事の手を止めて口を開いた。
「もちろん、登安からの要請は来ていた。だが……三公は登安よりも、隣国の干ばつ地帯への援助を優先させた。国内のことなどお構いなしに名。兄上に話を上げようにも、今はほとんど外朝に顔を出されん。だから今回、私達で動こう、となったわけだ。いつまでもこのままにしていては、私の良心が痛むからな」
…………裏がある。
昨日今日と景天様を見てきたうえで感じた感想だ。
それともやっぱり景天様は市井の民の味方で、良い人、なの?
すこしばかり見直しかけた私に、景天様が笑った。
「少しでも民の助けになれば、私の株もうなぎのぼりだ。もし民が兄上を見限っても、私を次の皇帝にと考えるだろう」
「……」
「……」
「……景天様。……台無しです」
やっぱり景天様は景天様だ。