『後宮に入るには、まずふさわしい恰好とそれなりの立ち居振る舞いを身に付けることだ』
──そう言われたのは良いけれど……。
「なんじゃこりゃぁぁあああああああっ!?」
あの後すぐ景天様が女官長らしき人物を呼びよせ指示を出すと、途端に現れたたくさんの女官に拉致られ、屋敷の一室で素っ裸に剥かれた私。
かと思えば、先程までの動きやすい足首で絞りの効いた旅服ではなく、美しい色合いの長い薄衣を何枚も重ね腹回りを帯で縛り留めた、女性らしい着物へと着替えさせられた。
長い銀の髪にはたくさんの綺麗なかんざしが飾り付けられ、しゃらりしゃらりと頭上で揺れる。
そして最後に色々な液やら粉やらを塗りたくられ化粧を施され、今、私は大鏡の前でそれに移る人物をまじまじと凝視している。
「姉……様……」
鏡に映ったその姿は、最愛の姉によく似ていた。
そりゃそうだ。
私と姉様は、同じ色を持った姉妹なのだから。
ただ、私は自分の容姿を気にするよりも武術や学問に夢中だったから、姉様や年頃の娘たちのようにお洒落をしたり髪も綺麗に手入れしたりお化粧したりなんてことはしてこなかったのだけれど。
「姉様……何でいなくなってしまったの……?」
か細い声が落ちて、鏡の中の彼女に触れる。と──。
「お? 意外とよく似合っているではないか」
「!!」
私の背後から女官ではない、低く爽やかな男の声が響いた。
「景天様!!」
いつの間にやらたくさんいたはずの女官の姿はなく、扉を背に景天様が腕を組んで満足げにこちらを見て笑っていた。
「き…………着替え中だったらどうするんですか!? 扉を叩くなりしてくださいっ!!」
「鍵が開いていたら入るのがマナーだろう?」
「どこの国のマナーですか!!」
「心配するな。着替えに出くわしたところで子どもに興味は────」
そこまで言いかけて、景天様は私を上から下まで撫でるように見まわしてから、「ふむ……」と声を漏らして続けた。
「うん、ないこともないな。いや、どちらかというとアリだ」
「何寝ぼけたこと言ってるんですか? 頭やられました?」
今日初めて会ったばかりの相手。
しかも憧れていたはずの景天様だけれど、もはや私の中では遠慮をするような相手ではなくなってしまったように思う。
不敬と取られたならば、それはそれでいい。
我慢は毒だ。
目的を成し遂げるまでに我慢し続けて心病んだら、それこそ本末転倒だし。
「はっはっはっは!! 出会って早々つれないな、蘭」
私のトゲをもった返しにもにこやかに反応してしまう景天様は、ある意味懐が深いというかなんというか……。
「何なんです? 突然拉致されたと思えばこんな綺麗な服に着替えさせられて……」
「さすがにあの旅服では悪目立ちしすぎる。君はこの屋敷で、私の側近として行動を共にしてもらう」
「側近!?」
驚き声を上げる私に、構うことなく景天様が続ける。
「あぁ。私は立場上、普段は外朝で仕事をしている。その際、後宮に関わる案件があればそちらに赴くこともある。さすがにお前ひとりで後宮をうろつかせるわけにはいかないからな。私の側近として共に外朝、そして後宮に出入りできるようにするんだ。そして少しずつ後宮に慣れ、近づく。そうしていれば、いずれそう遠くないうちに、皇帝の目に留まるだろう。そうでなくとも、噂が出回るのは早いだろうからな」
悪い笑みを浮かべ私の銀色の髪をひと房手に取ると、景天様は私の耳に顔を寄せ言った。
「──死したはずの皇后が蘇った、とな」
「!! っ、どういうことですか……? 姉様が死んだというのは、ここでは皆知っていたのですか!?」
妹である私は知らなかったのに?
知っていて誰もが葬儀の無いことに疑問を抱くことなく放置していたというの?
姉様の尊厳を踏みにじっていたというの?
腹の奥底から熱い怒りがこみあげて私を震わせる。
そんな私を見て、景天様は小さく息をつくと、穏やかな声と共に先ほどまで髪に触れていたその大きな手を私の頭上に落とした。
「安心しろ。公表があったのは今朝、お前がここに来る直前だ。今外朝では突然の発表に混乱しきっているようだし、葬儀や死因に関しても公表の無い状態で、誰もが疑問を抱いているだろう」
まるで私の心を見通しているかのような答えに、ふつふつと湧き上がっていたものが勢いを鎮めていく。
なんだか悔しい。
「ちなみに私も、朝からその対応にと呼ばれていたりもする」
「……」
「……」
「…………は!?」
そうだ、この方、こんなだけど実はこの国で二番目ぐらいに偉い方なんだった!!
「ならこんなところに居ちゃダメじゃないですか!! 早く外朝に──」
「はっはっは!! まぁ、皇后の死については事前の老師殿の手紙で知っていたし、面倒な対応よりもお前の方を優先したかっただけだ」
「っ~~~~~!!」
このキラキラとした美形顔でこういうことをさらりと言ってのけるのはずるいと思う。
策士か。策士なのか。
「それに、朝廷の異端者である私が聞いても、おそらく兄上は真実を語ることはないだろう。あの人の頭の中に何が詰まっているのかなんて、誰にもわからない。それほど、兄上は何も語らないのだからな」
「景天様……?」
朝廷の異端者──。
母親が市井の出であり、幼くして母親を亡くし市井に追放されて育った景天様は、朝廷からしたら厄介な存在でもあるのは容易に想像できる。
恐らく、市井の人気から皇帝の座にすり替わろうとするのではないかと危惧している者も少なくはないだろう。……まぁ、その通りなのだけれど。
それでも血のつながった肉親にすら信用されないというのはどのような気持ちなのだろう。
ふと、そんなことを思ってしまった。
「──とはいえ、そろそろ行かねば、三公達もお怒りだろう。蘭、私は外朝に向かう。あとは永寿に頼んであるから、何でも聞いてくれ。ではな、じゃじゃ馬娘」
「じゃ──!?」
景天様はそれだけ言うと、にこやかに手をひらひらとさせてから部屋を後にした。
「誰がじゃじゃ馬娘ですかぁぁぁあっ!!」