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3話 美しき使者

「ほう。老師がとった女弟子というからどのような屈強な女かと思えば……。線の細いわっぱではないか」


 がらんと静かな薬屋に、深く低く、涼しげな声が通った。


(誰が童よ!?)

 解せぬと声のしたほうへと視線を向ければ、今お婆さんが上がっていった古びた階段に似つかわしくないほどの美しい男性がこちらを不敵な笑みを浮かべて立っていた。


 長く艶やかな黒髪。

 しゅっとして涼やかな、透き通る紫水晶のごとく美しい紫紺の瞳。

 黒で統一された服は華美ではなくも、ところどころにさりげなく入ったデザインがその質と品の良さを漂わせる。


 思わず言葉を失うほどに美しいその容姿にぼーっと凝視していた私は、我に返るとすかさず礼の形を取った。


「そ……曽蓉江から参りました。柳蘭です。突然のお願いにもかかわらずお出迎え頂き、ありがとうございます。……が────」


(あぁ、悪い癖が出た)

 自分でもそう思うけれど、口は縫い留めることができなかった。


「私は18歳!! 童ではなく立派な大人です。そこらへんはお間違いなきよう、よろしくお願いしますっ!!!!」

 初対面の相手にはっきりと言い切った蘭に、沈黙が流れる。


 美人で大人っぽい姉様とは違って、私はどちらかと言うと童顔だ。

 化粧気があるわけでもない。

 お洒落に特別興味があるわけでもなく、ただ日々生活できるだけの力があればそれでいい。

 そう思って生きてきた。


 化粧気がない分、その低身長と童顔さから子どもと見受けられることも多い私にとって童は禁句であった。


「はっはっはっは!! それはすまなかったな。蘭、か。気品高く可愛らしい名だ。私は永寿エイジュ。皇帝陛下唯一の弟君であらせられる李景天リケイテン様の護衛であり、老師の弟子でもある。まずは屋敷へ。そこで主・景天様にお会いし、これからの指示を仰ぐことになる」


「…………景……天……様……?」


 現皇帝・李景辰リケイシン様の腹違いの弟である李景天様は、おおやけに姿を現してはいないためその姿は知られていない。


 母親が市井の女であるがゆえに、幼い頃に母親が死んですぐ朝廷から追放され市井で育った景天様。

 5年前の前皇帝の突然の崩御から、兄のスペアとしてて再びその皇弟として宮中に戻されたと聞く。

 市井の声をよく聞き、治療院の整備や闇稼業の取り締まりを強化するよう尽力したのも彼だ。


(あの景天様が……雇い主……!? 聞いてない……!! 聞いてないわ老師!!)


 そう。

 私が老師から聞いていたのは、老師の伝手に世話になる事。

 そして、そうすれば出入りの厳しい後宮という存在がぐっと近くなるということ。

 それがまさか景天様という雲の上の存在だなんて思うわけがないじゃないか。


(こ……心の準備がぁああああっ!!)

 景天様は市井の者たちの英雄であり、私にとっては憧れの存在でもある。


 両親が騙され、差し向けられた殺し屋によって殺されてすぐ、その殺し屋たちは捕まった。


 やつらを捕縛したのは、ほかならぬ景天様だ。

 そして自身が朝廷に帰り咲いてすぐ、彼は裏稼業の取り締まりを強化するよう力を注いでくれた。

 この厳しい取り締まりによって治安がかなり落ち着いたのは言うまでもない。


 直接的に関係があったわけではないけれど、偶然彼が行動したことすべてが父と母の仇を討ってくれたような気がして、私にとって景天様という存在は英雄であり、憧れなのだ。


「ん? どうした?」

「あ、い、いえっ!! よ……っ!!」


 ………………噛んだ。


 何でこう私は肝心なところで間抜けなんだろうか。


「っ……はっはっはははははっ!! 面白い娘だ。もうしばし二人で話していたいものだが、せっかちが首を長くて待っている。行くぞ。梅蓮の厩に馬を預けてある。乗馬はできるのだろう? 屋敷まで駆けるぞ」

「うぅ……はい」


 そして私達は、それぞれの馬に乗ると、永寿様の案内のもと景天様の屋敷へと向かった。


***


「わぁ……」


 ぽかんと開いたその口から洩れた声に、隣で永寿様が「くくっ」と笑いをこらえるのを横目でにらむ。

 田舎者丸出しのようだけど仕方がない。事実なんだから。

 それに、目の前にそびえている屋敷を見たら、誰だってこうなるだろう。


 立派な朱色の瓦門をくぐると、そのすぐ脇には魚が泳ぎ綺麗な蓮の花が浮く小さな池。

 そして至る所に梅花が咲き誇る広い庭園。

 あまり華美ではなくも、大きくどっしりと構えられた屋敷。


「これがあの……景天様のお屋敷……!!」

 まさか生きているうちに訪れるなんて思ってもみなかった。


 目を輝かせてその大きな屋敷を見上げる私に、永寿様はわずかばかり目を細め、鋭い瞳を彼女に向けた。


「……先ほどから景天様を気にしているようだが──まさか、景天様に懸想でも……?」

「へ? け……そう……?」


 一瞬、時が止まった気がした。

 けそう、って何だっけ?

 あぁ、手のひらを占い師に見てもらって運勢を知る占い? ──いやいや、あれは手相だ。

 じゃぁお腹の……あ、違う。あれはへそ。


 たくさん本を読んで知識を身に付けてるくせになんでこう肝心なところで出てこないのだろうか、私の頭は。


(けそうけそうけそう……け……懸想!?)


 ようやくその意味に思い至った私はカッと大きく目を見開いてすぅーっと息を吸い込んだ。


「~~~~っと……とんでもないっ!! 懸想とか……そんな……。第一、私には恋愛経験なんて無いし、そういう感情すらよくわかってませんし!!」


 未だかつて一度も恋人ができたためしがない私は、愛とか恋とかそういう感情は無縁だった。

 生まれた時から美しい姉がそばにいたのだ。

 愛想の無い子供っぽい私なんかより、綺麗で大人な姉様が愛されるのは当然のこと。

 私が男だったとしても姉様の方に行くだろう。


 昔から男の人に声をかけられることは多かったし、姉様宛ての恋文であろうものを渡されることも多かったけれど、「私が姉様に取り次ぐより、こういうものは自分で渡した方が良いと思うわ」と突き返すこともしばしばあった。


 あぁいうものを他人に託すのは好きではない。

 もし自分だったら、正々堂々と言葉と態度でぶつかってきてほしい。

 そう思うのは、私が脳筋だからなのだろうか?


 そんなこともあって自分の恋とは無縁だったし、まして会ったこともない雲の上のような存在である景天様にそんな感情を持つなんてありえないことだ。


「ほぉ? ではどういう思いで?」

 何か大事なことでも探るような鋭い視線に、私はごくりと喉を鳴らすと、ゆっくりと口を開いた。


「景天様は────しいて言うなら、心を掬い上げてくれた人です」

「心を……救い上げる?」

「……はい」

 私は頷くと、静かに言葉をつづける。


「私の父母は8年前、私が10歳の頃、殺し屋に殺されました」

「……」

「長く続く、高官相手に商売をする商家だったのですが、商談相手に騙され、命を狙われ、私たちを連れて逃げる最中、差し向けられた殺し屋に殺されました」

「っ!!」

 大きく見開かれた紫紺の瞳に、くっきりと私の顔が映し出される。


「私と姉は老師に助けられ命拾いしました。そしてその後すぐ、その時の殺し屋たちが景天様によって捕縛されたと聞きました。それだけじゃない。景天様は5年前皇弟として宮廷に戻られてすぐ、殺し屋のような闇稼業の取り締まりを強化し、貧しさから闇稼業に手を染める若者を防ぐために職の紹介まで定期的にされはじめました。おかげで治安は安定し、少しずつ民の暮らしは良くなって、涙を流す人は減っている。……あの時何もできなかった悔しさも、悲しさも、苦しさも、それら景天様のしてくださった事によって、少しずつ掬いあげられていった。そんな気がしたんです」


 ここにその景天様がいる。

 そう思えば、屋敷を見上げる顔が自然と緩むのを感じた。


「……」

「? 永寿様?」

 私の横顔を凝視するその視線に気づいて声をかけると、永寿様ははっと我に返ったように目を瞬かせた。


「っ、そうか。……わかった。……中へ入るぞ。ついて来い」

「はい」


(いよいよ景天様に会うのね……!! 姉様の死の真相に近づくためにも、景天様の気を害さないように気を付けないと!!)


 また馬鹿素直に我を出してしまわないように。

 私はそう気を引き締めると、屋敷へ入っていく永寿様の後を追った。



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