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第21話 魔女のお婆ちゃん

 老婆がその街を歩くのは久しぶりだった。老婆は品の良い黒いスーツを着ている。

 街の人々は彼女が通ると振り返る。

 なんと品の良いお人だろう。どこの貴族だろうかと。

 しかし、老婆は期待されたような人ではない。

 服の趣味が高じて品が良く見えるというのと、所作ひとつひとつが美しい。ただそれだけなのだ。

 もっと言ってしまえば、育ちだって決して良いとは言えなかった。

 老婆の出身は教会もない小さな村。そこは無法者の村で、子供の親はいてもいなくても同じ。その村に置いていかれたら、もう二度と普通には戻れないとさえ言われる村だった。文字の読み書きも出来る人がほとんどいない、そんな中で彼女は育ったのだ。

「もし、お嬢さん」

 老婆は道を歩く少女に声を掛ける。

「なあに? お婆ちゃん」

「昔、この辺りにあった教会を知らないかい?」

「お婆ちゃんもキョウカイホンブの人ー?」

「まあ、そんなところかねえ」

「ふうん。良いよ。連れて行ってあげる」

 少女は老婆の手を握って歩き出した。

「最近ね、よくキョウカイホンブはどこですか? って聞いてくる黒い人が多いの。何かあったの?」

「あったと言えば、あったよ。ほら、テレビで観てない? 魔女に人権が認められたって話」

 そう老婆が口にした途端、少女は目をキラキラとさせて老婆を見た。

「じゃあ、お婆ちゃんは魔女なの?」

「……もう、昔のことだよ」

「魔法使える?」

「魔法は、ファンタジーの世界だね。似たようなものはあったけれども」

「すごーい! ねえねえ、私ね、ロゼッタって言うの! 私でも魔女になれるかなぁ」

「ロゼッタちゃんね。そうねぇ。誰でもなれるわけじゃ、ないけれど……。はあ。歩き疲れたわ、少し休憩しましょう。ほら、そこの喫茶店。案内してくれるお礼に何か好きなものを頼みなさい」

「わーい!」

 老婆とロゼッタは喫茶店に入った。

 喫茶店は丁度暇をしていたのか、すぐに店員がやって来て、ソファー席を案内される。

「ありがとうね」

 老婆が店員にそう言うと、店員は笑顔で水を持ってきて「どうぞごゆっくり。ご注文が決まりましたらこちらのベルでお知らせください」と、言って去って行った。

「さて、魔女になれるかどうかね。ちょっと待っていてね」

 鞄の中をがさごそと探り、便箋をロゼッタに渡した。

「中を開いてみて」

「うん」

 少女はわくわくして紙を開いた。しかし、そこには何も書かれていなかった。

「文字も絵も何もないよー?」

「そうよ。ここには何もないの。魔女なんて不確かなもの、存在しないかもしれないのよ。実はね、これは魔女になれるかどうかの試験問題でもあったの」

「え?」

「魔女になれる人だけが、読める文字を書いてあるのよ」

「なんだー。じゃあ、私魔女になれないんだ……」

 がっくりと項垂れるロゼッタに、老婆は心の中で「ごめんね」と言った。

 文字が書いてあるなんて真っ赤な嘘だからだ。

 何故なら、老婆はもうこれ以上魔女を増やしたくない。だから、魔女の試験と嘘を吐いた。

「さ、ロゼッタちゃん。何飲みたい? パフェでも食べる?」

「オレンジジュース飲みたい」

「そう。わかったわ。私は珈琲を頼もうかしらねぇ……」

 注文してから注文したそれらが届くのは早かった。

 ロゼッタは笑顔を浮かべながらオレンジジュースをストローで飲む。

 そして老婆がコーヒーを一口飲み終わる頃には、ロゼッタはオレンジジュースを半分程のみ終わっていた。

「ねえ魔女のお婆ちゃん、昔話してよ」

「なあに、突然。どうしたの?」

「私魔女のこと知りたいの!」

「でも話すことなんて何もないよ」

「どんなことして生活していたかとか、仲間のこととか、家族とか。普通のことで良いから。ね、お願い」

「困ったねえ……」

 老婆は困ってしまった。

 話せるようなことなどあっただろうか。

 話せるだろうか。血が滲むようなこともあったと。

「はーやーくー」

 ロゼッタは催促した。

 仕方ないと、老婆は口を開いた。

「どうして魔女の人権が認められたか、なるべくわかりやすく教えようか。それで良いかしら?」

「うん!」

「今から五十年前くらいかねぇ。知ってるかい? この街で大規模な魔女狩りがあったんだよ――」

 古い古い物語。

「私は当時、街のホームと呼ばれる集会場の一番偉い人だったんだ。でも、魔女狩りで、多くの家族、魔女を失った。私は復讐もせずに、一旦街を離れたんだよ。生き残った家族とね」

「生き残りって何人?」

「十人もいなかったよ。大人の魔女はほとんどいなくてねぇ」

「ふうん」

「詳しいことは、言うことも出来ないけれど、それはとても酷いものだったよ。これが人間がやることなのかって、何度も教会を呪ったものさ」

「でも今は魔女も認められてるじゃない」

「それはね、もう増えないからだよ。それにその頃は、魔女が流行り病を広げるなんて迷信がまかり通っていたんだ。誰かが死んだら魔女のせい。病気になったら魔女のせい。そうやって、嫌なことは大体魔女のせいにされていたのさ」

「変なの。同じ人間なのに。お婆ちゃんだって、悪いことしてないんでしょ?」

「いいや、悪いこともしてきたよ。悪いことをするように、仕向けたのも私……。汚いこともしなくちゃ、生きられない時代だった」

「汚いことってどんなこと?」

「それは言えない。ごめんよ」

「えー。知りたい知りたい!」

「知ったら、戻れなくなるよ」

 老婆のその真剣な眼差しに、ロゼッタは口を閉じた。

「まあ、それでね、汚いこともしてきたけど、綺麗なこともしていたよ。例えば薬を作って売ったり、簡単な治療をしたりした。これは医学でも役立っているみたいで、私としては嬉しいね」

「ふうん。悪いことばかりじゃないんだ。じゃあ、なんていなくなっちゃうの?」

「そういう条件で、教会と取引したんだよ。もう魔女を増やさないから、人として認めてくれってね。そうしてああだこうだと話はなかなか進まなくて、結局五十年もの時間が経ってしまった」

「五十年ってどのくらい?」

「とーっても長い時間だよ。私だけじゃ取引出来ないし、魔女の集会場、ホームが国には七つあったんだけれど、私のホームがなくなって六つになってね。ホームの代表者を集めて教会の出してきた条件をどうするかの話し合いもかなり長引いたからねぇ……」

「じゃあ、もう魔女はいなくなっちゃうってこと?」

「そうだよ」

「それって、キョウカイホンブのせい?」

「……そうかもしれないね」

「じゃあ、私が話してあげる! お婆ちゃんみたいな魔女さんもいるんだよって!」

「いやいや、いいよ。魔女は遅かれ早かれ、なくなる存在みたいだから」

「……お婆ちゃん、泣いてるの?」

「おや、ごめんよ。最近涙腺が弱くてね。すぐ涙が出るんだ。さあ、これくらいで十分だろう? 教会へ連れて行っておくれ」

「うん」

 老婆とロゼッタは手を繋いで教会へと向かった。

「この道を真っ直ぐ行けば教会だよ」

「ありがとう。ロゼッタちゃん」

「お婆ちゃん! また来てね!」

 そしてロゼッタは走って帰ろうとしたが、くるりと振り返って老婆にこう聞いた。

「最後に教えて! お婆ちゃんの名前、何ていうの?」

「……マーシャだよ」

「わかった。またね! マーシャお婆ちゃん!」

 こうしてロゼッタは教会から去って行った。

 老婆、いや、マーシャは魔女達の墓場に行くと膝をついて涙を零した。

 年老いた両手で、土を掻いて。

「ごめん。ごめんね、皆……!」

 長年、ずっと言えなかった言葉をマーシャはようやく口にすることが出来た。

「もう歴史は繰り返さないよ。ずっと。今度は……」

――今度は、普通に生まれて魔女になんか、なりませんように。


 教会の鐘が、やけに大きく鳴り響いた。

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