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第19話 消えた声

「今宵も人間達はくだらなくて、壊れやすい、でもとても大事な人生を歩んでる」

 真っ白な空間に、月の子が一人ソファーに座って紅茶を飲んでいた。

「僕にはわからないけれど」

 意識をアリス達が居た街に向けると、そこには疑心暗鬼になった人達が悪意の花を咲かせている。

「哀れだなぁ。魔女はもう居ないのに。ありもしない噂を信じて、人を疑って、どこが美しいんだろう」

 月の子はつい先程まで居たアリスとフィオラが座っていたソファーを見た。

 何故だか寂しさを感じて、その気持ちを紛らわせるように冷えた紅茶を胃に流し込んだ。

「この街ももう終わりかな。魔女の薬がないから、流行り病でほとんどの人間が死んじゃうだろうから」

 月の子はふと意識を生き残った魔女に向けた。

「プティって子と、マーシャ率いる幼い魔女達が生き残ってるんだね。フィオラは何にも反応しないかもしれないけど、アリスなら喜んだかも。言ってあげればよかったかな。……でも、死んだ後のことなんて、知らない方が良いか。本人達のためには」

 月の子の過ごす空間は、時間という概念がほとんどない。一秒が一年だったり、十年だったり、一日だったりと、ばらばらの時間だ。

 だから、過去の人物が現れるのも稀にある。

 しかし今回は、どうやら順番にやって来る人がいるようだ。

「……まあ、真っ白なんですね。ここはどこかしら」

 月の子は来訪者に嫌な顔一つせず、むしろうきうきと喜びの色を見せた。

「やあ、迷える旅人よ。長くて短い人生はいかがだったかな? 聖川ルナ」

「あなたは、神様ですか?」

 ルナはきょとんとしてそう聞いた。

「まさか、確かに僕は神に等しい存在だけれど神そのものではないよ。現に、この体は入れ物が必要でね。人の命を奪っているのさ」

「あらあら、そうなんですね。よくわかりませんが、お名前を教えていただけますか?」

「ふふ。なんだかふんわりした人なんだね。僕は月の子。君達が夜、空を見上げた時にある月そのものと思ってくれて構わないよ」

「まあ、お月様なんですの? 不思議。お月様とお話出来るなんて思いもしませんでしたわ」

 アリス達よりも長く生きた聖女は、真っ白な衣装に身を包んでいた。

 そして嬉しそうに口元に手を添えて、上品に笑った。

「私、死んだんですね」

「おや、わかるの?」

「ええ。記憶は鮮明ですわ。聖職者だったはずの魔女、そう呼ばれて処刑されたんですよね。……今の私はいくつくらいに見えるのかしら。とても身体が軽いわ」

「鏡、見る?」

「はい。お願いします」

 月の子はルナに鏡を手渡した。

 ルナが鏡を覗き込むと、そこには夢と希望に満ち溢れながら、深い後悔を残してしまった少女の姿があった。

「魔女さん達と出会った頃かしら。きっとそうね。ありがとう。月の子さん」

 鏡を返し、ルナは地べたに座った。

 ふわりと白いドレスが品良く広がる。

「旅人ルナ、君は謙虚に生きてきたね。とは言え、地面に座らず、ソファーに座りなよ」

 月の子が手を翳すとソファーが現れる。

「魔法みたい! 月の子さんも魔女か何かだったんですか?」

 そう言ってソファーに座り直したルナ。

 月の子は答えに困っていた。

 魔女と言われればそうかもしれないし、そもそも人間という生き物ではないのだから違うのではないか。そう思うと安易に答えを出せず、黙っていた。

「……もしかして、神様と人間の半分こですか?」

「半分こ?なあに、それ」

「ハーフってやつです。異なる種別同士が愛し合って出来た、愛の形です」

 その言葉は、月の子の複雑な心を少し和らげた。

「そうなんだ。じゃあ、僕は半分こかもしれないね。神様の作った、人間と言う入れ物に入れられた魂。定期的に体は入れ替えてるけどね」

「体の入れ替え? そういえば先程も入れ物って言ってましたよね。差し支えなければ教えていただけますか?」

「いいよ。この空間はね、生と死の間。僕も生きてるけど、死んでる身。そして神様が選んだ人間の体に魂を移動させて、姿形を僕のものに上書きしてるんだよ」

「よく、わかりません……」

「つまり、一つの魂を維持するのに何人もの人間の体が必要ってこと。おっと、聖女のルナにはちょっときつい話だったかな?」

「いえ、大変興味深いです。ああ、そうだ。お聞きしたいことがあるのですが」

「なあに?」

「魔女の方々は、ちゃんと天の国に行けましたか?」

「ああ、アリスとリディアとフィオラのことかな。あとその他大勢。君にとってはそんな認識だよね。あの街のほとんどの魔女はやって来たよ。でも、魂のまま現世を彷徨ってる魔女も多いね」

「……救う方法はないのでしょうか」

「ないね。本人たちの意思によるところが大きいから」

 ルナは黙り込んでしまった。

 月の子はテーブルに紅茶を出し、ルナの前にティーカップを置いた。

「まあ、これでも飲んでよ。君が悩んだところで答えは出ないから、お茶でも飲んで落ち着いて」

「はい」

 ルナは紅茶をゆっくりと一口飲んだ。

「あら、美味しい。アールグレイね。私、アールグレイが大好きですの」

「それは良かった。ミルクと砂糖、使う?」

「いえ、ストレートで頂きます」

 紅茶が反射したルナの顔は、どこか懐かしんでいるような表情だった。

「君の前にね、リディアとアリスとフィオラがここに来ていたんだよ」

「魔女さん達が? あらあら、私も混ざりたかったわ。そうすれば、思い出話に花が咲いたでしょうね」

「……また、いつか会えるよ。さあ、気分は落ち着いた? あの扉の先に、天国と呼ばれるところがあるよ。行っておいで」

 月の子が指差した扉は、隙間から光を漏らして、ゆっくりと開いた。

「月の子さんとも、また会えますよね?」

「言ったでしょ。僕は月そのもの。だから、いつでも会えるよ。君が覚えていなくてもね」

「ありがとう」

 ルナは扉のその先に足を進める。

 それを月の子は扉が閉まるまでずっと見つめていた。


 月の子は思う。

 また退屈な日々がやって来ると。

 でも、案外嫌いではない。

 いろんな人に出会って、いろんな考え、想いを知ることが出来る。

 神によって創られた偽物の月だとしても、自分にも感情や人を思いやる気持ちがあるんだと、信じて。


「寂しいな……」


 ぽつりと呟いた言葉は真っ白な空間によく響いて、でも、誰にも聞かれずに消えた。

 何人もの人間の声があったはずの、生と死の間。

 月の子は、これからも人が生まれ、死んでいく過程を見守り続けるだろう。

 それが、決められた運命なのだから。


「アリス、フィオラ、リディア、ルナ……。君達は、幸せだった?」


 扉の先に、問いかける。

 答えは、勿論ない。


 月の子はふと背後を見ると、新たな死人がやって来た。

「ようこそ、旅人さん。君は魔女狩りから逃げられたのに、仕事でヘマしてうっかり死んでしまったんだね。ここは生と死の間。まあ、ゆっくりしていってよ」

 深くお辞儀をし、月の子はにこりと笑う。

「……私、死んだの? 妹達は? ねえ、どうなったの」

 魔女は取り乱した様子で、とても月の子の言うことなど聞きそうもない。

「落ち着いて。まずはソファーに座って。紅茶、アッサムでいい? それともハーブティーが良いかなあ」

 月の子の手慣れた言葉に、素直に魔女は応じた。

「ハーブティーが飲みたい。カモミールティー。死ぬ直前まで、妹達と飲んでたの……」

 魔女は手で顔を覆って涙を流した。

 それはどんな宝石よりも綺麗で、月の子は切ない表情を浮かべた。

 そして気がつく、人間らしい気持ちが芽生え始めていることに。

 声に出して言うことはないけれど、月の子は今まで会った人達と、これから来る人達に心で「ありがとう」と言った。


 気がつけば、白い空間に月の子が一人で立っていた。

 それが切なくて、孤独で、虚しくて……。

 すっかり人間のようになってしまったと、自分を嘲笑った。

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