「もう一度と願う人間の気持ちが、僕にはさっぱりわからないけれど、君達がその方が良いと言うのなら、きっとそうなんだろうね」
月の子はにこりと笑った。
「さあ、あの世はあの扉の先を真っ直ぐ行くんだよ。途中で道がわからなくなったら、自分の生きてきた道を信じると良い」
アリスとフィオラは扉の前に立ち、一度振り返る。
「月の子君、ありがとう」
アリスがそう言うと、月の子は微笑んだまま手を振った。
「君達が、また生まれて死んだら、会おうね。僕はいつでもここに居るから」
扉が開く。
そこには真っ赤な炎の道が出来ていた。
足下に、炎とは別に茨がびっしりと生えている。
「君達が望んだ世界だよ。輪廻転生は楽じゃない。でも、人間ってそういう生き物なんでしょ?」
「そう。あたし達、馬鹿な人間だからさ! 行くよ、アリスお姉ちゃん。足が痛くたって、裂けたって、あたしは次のあたしになるために走るから」
「あ、待ってフィオラ! 月の子君、本当にありがとうね。それじゃ……」
二人は扉の先へと進んだ。
炎で作られた道はとても熱い。
まるで、あの日のようだと二人は死んだ時を思い出しながら進んで行く。
「マーシャ姉さん元気かなぁ」
「ああ、あの人なら火焙りの時に居なかったから、多分逃げられた魔女を連れてどこかに行ったんじゃない?」
「……そう。よかった」
途中から、誰ともわからない声が聞こえてきた。
それは恨みがましい声で、悲痛で、ずっと聞いていると頭がおかしくなりそうだった。
「フィオラ、大丈夫?」
「うん。だって、アリスお姉ちゃんが居るもの。本当はアリスお姉ちゃんの方が怖かったりして」
「なっ、ち、違うもん!」
「はい。図星ー。何年一緒に暮らしてきたと思ってるのさ。……あっ」
フィオラの視線の先には黒い人影が転がっていた。
アリスは「大丈夫ですか? え、でも、私達死んでるから、この人も死んでる……の? ねえ、フィオラ」と言ってフィオラの手を握ったが、フィオラはその手を振り切って目を見開いた。
「嘘。なんでこいつが。あたし、ちゃんと殺したのに!」
フィオラは気が動転していた。自分が殺した相手に、死後に出会うなど、思いもしなかったのだ。
「落ち着いて、フィオラ。大丈夫よ。ここに居る人皆死んでるから」
そういう問題でもないだろうと思いながら、フィオラは少し落ち着きを取り戻した。
「死んでまで、死を与えたいって思うの? 悔しいの? はっ。それ、遅すぎるから」
黒い人影はグロテスクな顔面を見せ、フィオラの足を引っ張る。
「離れて! 気持ち悪い!」
フィオラは掴まれている方の足を思い切り上へと蹴り上げると、それはボールのように弾み、遠くへと落ちて炎に焼かれた。
「おー。凄い脚力」
「アリスお姉ちゃん、そこじゃない」
はあ、と溜め息を吐いたフィオラに、アリスは「何が?」と顔を覗き込んだ。
「いいよ。お姉ちゃんにはわからないから。それより奥、見てみてよ。光が見える。あそこまで行けば、あたし達転生出来るんじゃない?」
「うん。そうだねー。行ってみよう!」
二人は走り出した。
楽しそうに、後ろを振り返ることなどせずに。
「イヒヒ!」
フィオラはアリスよりも先を走っていた。
「待ってよ、フィオラ!」
アリスがどれだけ走ろうとも、フィオラには追い付けない。それは生きていた頃からそうだった。
そしてフィオラが立ち止まっていて、、アリスが追い付くと、そこにはよく見知った人の死体があった。
「フィオラ、これ、私達じゃ……」
「うん」
煙っぽい臭いに、黒焦げの焼死体が二体。
二人は死んだ瞬間がフラッシュバックした。
「熱い。熱いよ!」
「フィオラ、落ち着いて! あれ? なんで? 煙で前が見えない……!」
「お姉ちゃんどこ? アリスお姉ちゃん!」
次第に互いの姿を確認することが出来なくなった。
それでもアリスとフィオラは互いを追い求めて、死の瞬間を何度も繰り返しながらのた打ち回った。
何度も死んだ時を繰り返されて、それでも二人は進もうと互いの手を探し、見つけ、握って苦痛に耐えた。
「アリスお姉ちゃん」
「フィオラ」
「絶対、もう離さないからね」
二人の声が重なった時、一気に死の瞬間は消え去った。
「え?」
きょとんとするアリスに、泣き顔のフィオラ。
フィオラは自分の涙が流れていることがわかると、袖で涙を拭き、うさぎのように真っ赤になった目でアリスを見た。
「アリスお姉ちゃん、もう熱くないね」
「うん。じゃあ、フィオラ、行こう?」
「わかった」
アリスとフィオラは立ち上がる。互いの手を繋ぎ、光に向かって歩き出した。
黒焦げの死体は、いつの間にか消えていた。
炎の道は、白い道になっている。炎は完全に消えた。
そして徐々に視界が明るくなっていく。
暗かった周囲に、光が満ちる。
「ねえ、アリスお姉ちゃん」
ゆっくり歩くアリスとフィオラ。フィオラはアリスに話しかけた。
「なあに?」
「もし、もう一度生まれ直したら、そしたらさ……」
フィオラはごにょごにょと小声で何か言って顔を少し下に下げた。
「うん?」
「だから、生まれ直したら、今度はあたし間違わないから。だから、もう一度、妹にして」
「私で良いの?」
「アリスお姉ちゃんだから、良いの」
「そっか。じゃあ、私からもお願い。私を姉妹にしてね。約束だよ」
「うん」
二人は指切りをした。
「あ、もう出口だ」
「長いようで、短かったね」
「そうだね。アリスお姉ちゃん」
「フィオラ、今度は裏切らないでね」
「はいはい。ごめんなさいって。今度は裏切らないよ。信じて」
「うん!」
二人は手を繋いだまま光の中に飛び込んだ。
光の中には、月の子が居るような白い空間があった。
「鏡アリス、桔梗フィオラ。よくここまで辿り着きましたね」
優しい男性とも女性とも思える中性的な声が天から降りてきた。
「もう一度、人間として生きたいのでしょう? 月の子から聞きました。残念ですが、今すぐにその願いを叶えることは出来ません。でも、あなた達の一生くらい待っていただければ、次の人生に行くことが出来ます。ここで、その順番を待ちますか?」
二人の答えはもう決まっていた。
「はい」
声が重なった。
「よろしい。では、今は疲れを癒すためにただ眠りなさい。深く、深く。目を覚ましたら、次の人生が待っていますよ」
その途端、二人は眠気に襲われた。
そして、白い空間に心も体も溶けて、白に同化する。
「あなたは、良いのですか? リディア」
「ええ。女神様」
リディアがふわりと白い空間に現れた。そして二人が溶けていった場所を、酷く愛しそうに撫でた。
「私は、魔女の皆を待たなければいけないから……」
「それはどうして? 転生する、しないは自由なんですよ。それに、ここまで辿り着けない魂もあります」
「皆と幸せになりたい。ただ、それだけなんです。そのためには、魂がここまで来なければ、意味がないんです。私は私が許せない。だから、魂も綺麗にならない。綺麗にするには、皆を待たなければ」
「……そうですか。良いでしょう。あなたの気が済むまでここに居なさい。そして見送り続けなさい。自分への怒りが、恨みがなくなるまで」
「はい。ありがとうございます」
そしてリディアは白に同化した。
ただし、アリスやフィオラとは違い、自分の意思で姿を消したり現したり出来るが。
リディアは思う。
きっと、最後に現れるのはマーシャだろうなと。
そうしたら、死ぬ前の話をして、そうして生きていて楽しかったことを話して……。
リディアはひっそりと、涙を流した。
それを知るのは、神のみだった。