何人もの旅人が、真っ白な空間にやって来た。
そして、その人達が旅立つのを何度も見た。
アリスは、ずっと待っている。
自分の妹分、フィオラがやって来るのを。
「旅人さん」
月の子がアリスに語り掛ける。
「どうしたの? 月の子君」
「君の待っていた旅人さんが、やって来るよ」
「えっ」
驚きを隠せず、目を見開くと、そこにフィオラが突然現れた。
「ここは……」
フィオラはきょろきょろと辺りを見回した。
そしてアリスを見つけると、バツが悪そうな顔をして口を尖らせた。
「フィオラ! 待ってたんだよ。ねえ、顔を見せて。やっとまた会えたんだもの」
「アリスお姉ちゃん……」
「ねえ、フィオラ。紹介したい子がいるの。ほら、この子。月の子君って言うんだよ」
「月の子? 神様とか悪魔じゃなくて?」
八重歯を見せて笑うフィオラ。この人を小馬鹿にするような態度は生前と何ら変わらない。
「迷える旅人フィオラ。ようこそ。生と死の間へ。アリスは君がここに来るのをずっと待っていたんだよ」
「……なんで?」
フィオラは俯いてそう言った。
表情が読み取れない。
「うん?」
「あたし、お姉ちゃん達を裏切ったんだよ? なんで、あたしなんかを待ってたの? なんで天国に行ってないの?」
フィオラの声は震えていた。
「月の子君がね、フィオラに会わせてくれるって言うから、待ってたの。一緒に天国に行こう」
「……行けないよ。天国なんて。あたし、悪いこといっぱいしてきたもの。本当は、お姉ちゃんと顔を合わせることだって、出来ないんだよ」
「フィオラ」
アリスはフィオラを抱き締めた。
もう聞こえない心臓の音が、聞こえるような気がした。
「アリスお姉ちゃん」
「大丈夫。大丈夫だよ。あなたは何も悪くない。フィオラは、ずっと私の妹。一緒に行こうね。天国でも、地獄でも。きっとリディア姉さんも待ってるよ」
「イヒヒ。ダメだよ。お姉ちゃん」
フィオラはアリスを軽く押した。
「フィオラ?」
「あたしみたいな汚れたやつは、お姉ちゃんと一緒のところなんて行けっこない。そうだよね。えっと、月の子だっけ?」
「よかった。僕のこと忘れられてると思ってた。そうだね。君は天国には行けないよ」
「……やっぱりね。これまでの報いか。でもアリスお姉ちゃんは天国に行けるんでしょ?」
「さあ。どうだろう。天国も地獄とそう大差ないからね」
月の子は飄々とそう言って、紅茶を飲んだ。
「気の持ちようさ。あの世は心ひとつでがらりと変わるんだよ。天国が一気に地獄へ、地獄が天国へ。それの繰り返しさ。そして、時期が来ればまた人間として現世に生れ落ちるシステムさ」
アリスはフィオラの手を握って、笑顔で話しかける。
「ほら、天国も地獄も一緒なんだって。ね、一緒に行こう。もう死んじゃってるし、怖いことなんてないよ」
「……イヒヒ、アリスお姉ちゃんって死んでも変わらないね。いいよ。一緒に行こう」
この言葉に、見ているだけだった月の子は、言葉を紡いだ。
「哀れで愛しい旅人さん達。心が決まったのなら、あの世に行こうか」
二人は声を揃えて言う。
「うん」
月の子が指を指す。するとその方向に真っ白な階段がある。
アリスはその階段を初めて見た。
「この階段は……?」
アリスが不思議そうにそう尋ねると、月の子は微笑んだ。
「あの世への階段。この階段を踏み外すことなく上がって行けば、自然とあの世に行けるよ」
「そうなの……。じゃあ、月の子君とはここでお別れ?」
「そうなるね。でも大丈夫。魂は何度も繰り返し転生するものさ。いつかまた会える日が来るよ。きっとね」
「うん。わかった。フィオラ、一緒に行こう。きっと、リディア姉さんも皆も待ってる」
アリスがフィオラの手を引いて、階段を上ろうとすると、フィオラはその手を振り払った。
「フィオラ?」
きょとんとした顔をするアリスに、フィオラはぼそりと呟いた。
「やっぱり、行けない」
「どうして? 一緒に行こうよ。フィオラもあの世で一緒に過ごそうよ。次があるんだもの。何も怖いものなんてないよ」
「お姉ちゃんにはわからないよ。あたし、たくさん罪を犯してきた。施設に居る時からスリやってたし、魔女になったらなったで仲間を裏切るし、そんなあたしが行くところなんて、地獄しかないじゃない」
「フィオラ、あなた……。後悔してるの?」
「まあね。死後の世界なんて信じてなかったのに、いざ死んでみたらあるんだもん。あたし、間違いなく地獄行きじゃない」
そこへ今まで黙っていた月の子が話に参加する。
「じゃあ、僕から提案」
「え?」
「君達があの世に無事行けるって思うまで、ここに居たらどう?」
「そんな、私十分待ってもらったのに」
アリスはそう月の子に言った。
「そんなの気にしなくていいよ。言ったでしょ。いろんな旅人さんがいるって。僕も退屈しないし、二人が良いなら、しばらくここに居なよ」
フィオラはアリスの答えを待たずに「それじゃあ、お願い」と言ってしばらく月の子と共に過ごすことに決めた。
「……フィオラが行かないなら、私も行かない。もうしばらく、厄介になるね。月の子君」
「うん。よろしくね、旅人さん達。いや、アリス、フィオラ」
こうして二人はもうしばらくだけ、月の子と時を同じに過ごすこととなった。
ある日のことである。
相変わらず朝なのか夜なのかわからない真っ白な空間で、三人はお茶会を開いていた。
「そういえば月の子君って何歳なの?」
アリスがそう問いかけると、月の子は「さあ、いくつかな」と紅茶を飲みながら答えにならない答えを言った。
「あたしより小っちゃいから、もしかして十二歳とか?」
フィオラも紅茶を飲みながらそう聞いた。
「ううん。僕は月そのものだって言ったでしょ。でも月ってだけでもなくて、ちょっと複雑なんだよね。十二歳ではないよ。もっともっと年上。こんな姿してるけどね」
こんな姿と言いながら、首元のリボンを結び直す。
神は金色、目は漆黒。ぷにっとした頬に、短いズボンに太ももが見える。そして、踵の高いブーツを履いている。
「月の子君って、絵に描いたような美少年だよね」
アリスがそう言うと、月の子は顔を赤くして首を横に振った。
「そんなことないよ。美少年じゃない。もう、アリスってたまに意地悪!」
「なんでー。良いことじゃない。ね、フィオラ」
フィオラは呼びかけられていることに気がつかなかった。
生前、リディアとアリスと、こんな穏やかな時間がどれだけあっただろうと考えていたのだ。
「……え、ああ、あたし? ごめん。何も聞いてなかった」
「もう。フィオラったら」
アリスはフィオラをぎゅっと抱き締める。
「いろいろ考えるのもいいけど、考えすぎちゃダメだよ」
「……うん」
フィオラはゆっくり瞳を閉じる。
もう聞こえない心臓の音。
こうしたのは自分なのだと、再び後悔と自責の念に駆られた。
「アリス。フィオラ、今自分が悪いって思ってるよ」
月の子は心が読めるのだろうか。フィオラの気持ちが丸わかりなのか、そう言って紅茶を注いだ。
「もう。死んじゃってまでそんなこと考えなくていいよ。フィオラ」
「……アリスお姉ちゃんにはわからないよ。あたしの気持ちなんて」
月の子は座っていたソファーから立って、ティーカップを片手にもう片方の手を腰に当ててこんなことを言った。
「僕、今から留守にするから。その間、二人だけで本心を言い合えばいいよ。じゃあ、終わった頃に戻って来るから」
そうして、月の子は姿を消した。
残された二人は、ソファーに並んで座り、話し合おうと思った。
こうして、話し合いは始まった。