……恨んでやる。この世の全てを。人間を。神も自然も、何もかも。
ゆらり。魔女の遺体置き場から何かが動いた。しかし、影はない。
「お、ねえ、ちゃん」
その何かは街へと向かって行った。
「女神様、どうかお導きください」
何かが訪れたのは教会だった。
そこにはルナが祈りを捧げている。
ルナを見た何かはどくりと胸が大きく動いた。
「ル……ナ……」
何かは銀の髪の魔女、フィオラへと姿を変えた。
ルナにフィオラは見えない。しかし、何か感じ取れるものがあるのだろう。きょろきょろと辺りを見回した。
「誰か、居るのですか?」
しかし、生身の者はルナ以外、誰も居ない。
フィオラは椅子に座り、恨みの念をルナへと送った。
そして、窓から入る月明かりに、目を細める。
ルナは月の光に照らされ、フィオラにはルナがまるで聖女のようだと思えた。
「……おかしいな。確かに、誰かの気配がするのだけれど」
ルナは首を傾げた。
そして「もしかして、魔女の方ですか?」と誰もいない空間に向かって話しかけた。
フィオラは生前、銀色だった目を怨みの赤い目に変えて、ルナを見ていた。
「あの、魔女の方でしたら、本当に、本当に申し訳ないことを……って、謝っても許してくれませんよね。きっと、女神様も、お許しになりませんもの」
フィオラは怨みの念しか思い浮かばない。
あんなにも、自分達魔女のためにしてくれたルナのことさえも、怨み以外、何の感情も出てこない。
「悔しいですよね。辛いですよね。良いんですよ。怨んで。だって、私がいくら謝ったところで、許すかどうかはあなた次第ですから」
そう。それなら……と、フィオラはルナが背筋を凍らせるほどの怨みの念をルナに送った。
だらりと冷たい腕をルナの首に巻き付けて、首を絞めるように抱き着く。
「冷たい……。こんなに、魂が冷えてしまって。ごめんなさい。ごめんなさい……」
フィオラが見えないはずなのに、ルナはフィオラの腕がある辺りを擦る。
「あなたもまだ生きたかったですよね。じゃないと、こんなに悲しい心になりません」
ルナは涙を滲ませる。
「もし、私が死んだら、一緒に地獄まで行きましょう。最後まで、お付き合いさせてください。殺したいというのなら、どうぞ」
胸の前で手を組んで、ルナは目をゆっくりと閉じた。
フィオラはそれを見て、涙が出た。
怨みで真っ赤に染まった眼が、生きていた頃の銀色の瞳に戻る。
「ルナ」
そうフィオラが声を掛けると、その声は確かにルナの耳に届いたようで、「フィオラさん……?」と返って来た。
「あたし、あんたを殺そうとしたんだよ」
「わかってます。そのくらい、憎かったんですよね。いえ、きっと、今も」
「我を忘れて、あんたを殺そうとしたんだよ?」
「ええ。ねえ、フィオラさん。大丈夫ですか? 手がこんなにも冷えてるじゃないですか」
少し言葉は違うが、フィオラはルナがアリスと重なって見えた。
「私が側に行って、一緒に地獄巡りでもしましょうか」
ルナは微笑む。本心から、そう思ったからだ。
「……ダメ。あんたには、生きててもらわなきゃ困る。きっとアリスお姉ちゃんも、同じことを思ったと思うよ」
「フィオラさん」
「あたしは一足先に逝ったけどさ、いつかはあんたも死ぬんだもん。それを待つのも、良いなって思ったんだ」
フィオラはルナに背を向ける。
「フィオラさん、私を置いて逝くのですか?」
「まあね。それに、ルナを殺しちゃったら、アリスお姉ちゃん達に何言われるか」
「あの!」
「うん?」
「もし、リディアさんとアリスさんに会えたら伝えてほしいんです。魔女狩りなんてない時代を、作ってみせるって。だから、見守っていてください、と」
「……イヒヒ。ルナも嫌なくらい綺麗な人だね。良いよ。言ってあげる。じゃあね」
その時、笑みを浮かべたフィオラを、ルナは確かに見た。
「また、お会いしましょうね」
誰もいない教会で、ルナはそう零した。
それからルナは、隠れて魔女を助け、また人に殺される人も殺す人もいてはいけないと教えを説いて回った。
しばらくすると教会本部に届け出をして、各地を転々とするシスターになった。
誕生日を祝ってくれるような仲間は今のところいない。だが、教えを聞いてくれる人はいる。
そして十年後、ルナが二十四歳になるとルナは絵本を作って配って歩いた。
それは『とある魔女の白い本』というタイトルだった。
内容はアリスが主人公で、あの魔女狩りの日を描いた物語だった。
批判的な意見もあったが、その可愛らしい絵と物語の残酷さのギャップがウケた。
ルナは絵本を見てくれる人達に教えを説いて歩く。
いつか、差別なんてない世界になるようにと祈りながら。
そしてそれから何年も時間が流れた。
ルナはまだ三十代だったが、不治の病を患い、旅をすることもままならなくなった。
「ルナ様ー!」
教会の一室を借りていたルナはベッドに横たわっている。そこへ部屋に黒い髪の女の子が飛び込んで来た。
「まあ、エリディア。そんなに慌ててどうしたんですか?」
エリディアはその教会が運営している施設の子供だった。
「ご本読んで!」
「はい。何がいいですか?」
「魔女さんのお話!」
そう言ってエリディアは『とある魔女の白い本』をルナに手渡した。
「エリディアは、本当にこの本が好きですね。悲しいお話なのに、どうして好きなんですか?」
エリディアはきょとんとしてこう言った。
「だって好きなんだもん。ねえ、このご本の人、本当にいたの?」
「ええ、いましたよ」
懐かしい日々。若かった、あの頃の過ちを今でも悔いている。
「私ね、アリスって人に会ってみたいんだー」
「ふふっ。そうなんですね。きっとアリスさんも喜びますわ」
「それから、アリスの妹さんにも会うの。それで、めってするのよー。仲良くしなくちゃダメって言えば、きっといつかはわかってくれるもんね」
「さあ、それはどうでしょう」
仲良くしたくても、出来ない人もいる。たとえば、アリスとアリスのママ。絶対にわかり合えないだろう。
「ルナ様? どうしたの?」
「え?」
「涙が出てるよ。どこか痛いの? 苦しいの?」
知らない内二、ルナは涙を流していた。
もう戻ってこない短くて輝かしかった小さな教会での日々。出会った信者の人達、そして魔女達。
「あら、嫌だ。もう泣かないって決めてたのに」
白いハンカチで涙をそっと拭く。
「さあ、お膝においで。絵本、読んであげますからね」
「わーい! ルナ様ありがとう!」
そこへ、教会本部からと思われる聖職者が一人、部屋に入って来た。
「シスタールナ、ですね」
「はい。……エリディア、ママ様のところに行ってらっしゃい」
「え? なんでー。ご本読んでくれるって言ったじゃない!」
「ごめんね。私、この方と少し用事があるんです。だから……」
「はあい」
エリディアは絵本を持ってドアの外へと走って行った。
「シスタールナ、あなたは大変な罪を犯した」
「何のことでしょう」
「とぼけないでいただきたい。魔女が良い人などと、そんな嘘偽りを言って回ってるそうじゃないですか」
「嘘偽り? まさか、私が見聞きしたものですよ。魔女にも良い人はいます。あなた方よりも、人として素晴らしい方だっています」
「シスタールナ、口を閉じなさい。今聞いたこと、本部に知られてはあなたの立場が危うくなるのですよ」
ルナは優しく微笑んだ。
「告げ口したいならしてください。私は自分の意志を曲げるつもりはありません」
「……」
「どうせ短い命です。好きになさい」
その日、シスタールナは捕らえられた。
魔女として。
「女神様、ありがとうございます」
最後の最後まで、祈りを捧げ続けて、息絶えるまで「ありがとう」と口にしていたルナは、ひっそりとこの世から去って行った。
「願わくば、あの魔女さん達とまたお話出来ますように」
そんなわずかな期待を胸にして。
魔女にも人権が認められる、そう遠くない未来で、ルナはこう呼ばれるようになる。
「聖女」と。