「私、死んだんじゃ……。ここは、どこ」
アリスが目を覚ますと、そこは炎で赤くなった森ではなく、真っ白な空間だった。
不気味なほど静かで何もない。
アリスは確かに死んだ。そのはずだったのに、何故今意識があるのだろうか。
そんなことを考えていると、コツンコツンと背後から音がした。
振り返って見てみてると、金色の髪をした少年が立っていた。
「旅人さん、ようこそ。生と死の間へ」
片手を胸に置き、ぺこりとお辞儀する少年は「僕は月の子。君が見ていた月そのものだよ」と言って、アリスの手を取った。
「……最期に見た、お月様?」
「そう」
「まんまるの、あのお月様?」
「うん」
「人間みたい。不思議」
アリスはにこりと微笑んだ。
「ふふ。死んだというのに、元気そうだね。鏡アリス。僕は月の子、よろしくね」
「うん。よろしくお願いします」
月の子がくるりと回ると、テーブルとソファーが出てきた。
「座って。紅茶でいい? ミルクとお砂糖はセルフサービスね。ここに置いておくから」
「えっと、うん。ありがとう」
アリスがソファーに座ると、かたりと小さな音を立てて、月の子がティーカップをアリスの前に置いた。
アリスは一口紅茶を飲むと、ミルクと砂糖を入れてミルクティーにした。
「のんびり話そうよ。君は短い旅を終えてきた旅人さんなんだから」
「さっきから旅人さんって私のこと? どうして旅人なの?」
ミルクティーを飲みながらアリスはそう聞いた。
月の子も紅茶を飲みながら、にこりと笑って言う。
「だって人生って道で例えることがあるじゃない。立って歩いて、寄り道して、いろんなルートがあるけど一つとして同じルートなんてなくて。そんな人生を送る人間を、旅人さん以外、何と呼ぶのか僕にはわからないんだ」
「ふうん。ねえ、月の子君って何歳?」
「数えてないからわからない。でも、君の一生よりずうっと長く存在しているよ」
「そっか。でも見た目は私より年下かな」
「うん。あ、でも変なことはしない方が良いよ。というか、出来ないだろうけど。僕を殺そうとしたって、何の得にもならないし、ましてや生き返るわけでもない。そもそも僕は不死の象徴のようなものだよ。あ、スコーン食べる?」
「私殺しは出来なかったからなぁ……。いつもリディア姉さんとかフィオラがやってくれたから。って、なんで私が月の子君殺さなくちゃいけないの? そんなつもりはないからね。あとスコーン欲しいな」
月の子がテーブルに手をぺたりとくっつけて、手だけ上に動かすと、そこにスコーンがお皿に並んで出てきた。
「やっぱり紅茶と言ったらスコーンだよね。ねえ、旅人さん」
「うん。スコーンと紅茶の組み合わせは良いよね」
アリスはスコーンを食べる。外はさくっとしていて、中はしっとりとしている。そこへクロテッドクリームをたっぷりスコーンに付けて食べた。
「んー! 天にも昇る美味しさ! って、私死んでるんだった」
「ふふふ。旅人さんは愉快だねぇ」
「それにしても、私、死んだ時の記憶があまりないというか、覚えてないんだけど……」
「そう。それについて話し合おう」
月の子はスコーンを食べて指に付いたクロテッドクリームをぺろりと舐めると、月のことアリスの間に映画のスクリーンのようなものを出現させた。
「なあに? これ」
「これは君の断片を視覚化したものだよ。さあ、見てみよう。鏡アリスの一生」
映し出されたのはアリスの人生の重要と思われる部分。
母親と思われる人物が施設の外に赤ん坊のアリスを置いていくところ。
施設のママに叱られた日。
魔女になった時。
フィオラに裏切られ、牢屋に入れられるも、逃亡の手助けをしてくれた時。
そして、魔女として死んだ瞬間。
「リディア姉さん、フィオラ……」
「どう? 思い出してきた?」
「……うん。うんっ!」
アリスは瞳に涙を滲ませる。
「私、森で死んだんだね。フィオラに嵌められて。でも、それでもあの子は私の大事な妹。ねえ、フィオラは無事なの?」
月の子は大きく溜め息を吐いて、紅茶を一口飲んだ。
「僕には君達人間の心がわからないよ。そのフィオラって旅人さんが気になるんだよね。でも、どうして? 知ってどうするの? 復讐したい? それとも、まさか助けたいとか?」
アリスは「んー……」と言って少し考えると、「わからない」と言って力なく笑った。
「でもね、フィオラには生きててほしい。私の分まで、生きててほしいって思うよ。どんなに綺麗事だって言われても、絶対この答えは変わらない」
「ふうん。そこまで言うなら、そうなんだろうね。実を言うと、復讐するという手もあったんだ。でも、君はそんなこと、考えたこともないよね。じゃあ、僕からあげられる答えは一つだ」
「月の子君の、答え?」
「あのね、フィオラって子、残念だけど死んじゃってる」
「えっ!」
「魔女として火焙りにされてしまったんだよ」
「……そんな」
思わず絶句するアリスに、月の子は抱き着く。
「旅人さん、よく頑張ったね。もう、休んでもいいんだよ。僕と会ってから、ずっと明るい振りしてるけど、大丈夫。わかってるから。君の痛くて、辛い気持ちは、嫌ってくらい通じてる」
その言葉に、アリスはやっと涙を流すことが出来た。
「ねえ、私、もういいかなぁ」
「うん」
「辛いの。苦しいの。過去を見て、全てを思い出した。でもフィオラを裏切らないって言ったから、憎むなんて、出来ないよ」
「うん」
「私、フィオラに会いたい。会って、今度こそ、本音で話したいの」
「わかった。それじゃあ、また会えるようにするからね」
「ありがとう」
月の子を一度抱き締めると、また流れ始めた涙を手で拭う。
「あはは、変なの。嬉しいはずなのに、涙が出ちゃう」
「いいんだよ。それで。飾らなくて良いんだ。君は旅人、鏡アリス以外の何者でもない。憧れの存在になることなんて出来ない。でも、君には自分という大きな武器があるじゃない」
「そうだよね……」
そうして二人はゆっくりと離れ、ソファーに座った。
「ねえ、もしよかったら、僕にいろいろ聞かせてよ。お仕事の話でも、そのフィオラって旅人さんのことでも、お姉さんのリディアって旅人さんのことでも、何でもいいよ。僕は見てはいるけど、君達旅人さんが感じている心というものは何年経っても理解出来ないでいるんだ」
「うん。いいよ。それじゃあ、まずリディア姉さんなんだけどね……」」
アリスは疲れるまで話していた。月の子も嫌な顔一つせず、ずっと聞いていた。それも興味津々で。
楽しかったこと、悲しかったこと、苦手だった人、好きだった人。
そうして全てを話すとついに話題がなくなって、アリスは口を閉じてしまった。
「じゃあ、今度は僕から質問させてね」
アリスは頭に疑問符を浮かべながらこくりと頷いた。
「君は鏡アリスでいて、良かったと思う? いい人生を送れた?」
アリスは満面の笑みで答える。
「うん。私、魔女で良かった! 鏡アリスで、良かったよ!」
その答えに、月の子は優しく微笑んだ。
「君がそう言うのなら、きっとそうなんだね。フィオラって子、こっちに来れるまでちょっと時間掛かるから、それまで僕の相手してよ。いいでしょ?」
「それ、本当……? 私、またフィオラと会えるの? あと月の子君と話したりするのは全然良いよ。楽しいもん」
「僕が嘘言っても何の得にもならないでしょ。それにさっき言ったじゃない。また会えるようにするからねって。……じゃあ、決まり。しばらく、ここに居てね。いろんな旅人さんが来るから、退屈はしないはずだよ」
「ありがとう……!」
こうして、鏡アリスは短いのか長いのか、よくわからない時間を月の子と共にすることとなった。
「ねえ、リディア姉さんは? リディア姉さんには会えないの?」
アリスが不思議に思ってそれを聞くと、月の子はぽんと手を打った。
「うん。会えないね。でも伝言は預かってるよ」
「伝言?」
「守ってやれなくてごめん、ってさ。安心してよ。死後の世界だってそんなに悪いところじゃないから」
「あ、そっか。ここは生と死の間だっけ……。なんか、リディア姉さんらしいな。潔いんだから」
「本当にね。ここに着いた瞬間、死んだ! ここは天国か! って僕に詰め寄って来たんだから」
「ふふっ。リディア姉さんらしい」
「さあ、アリス。ゲームでもする? 僕は人生ゲームやりたいな。僕、人間じゃないから、ちょっと人間の気持ちを味わってみたいんだ」
「うん。いいよ」
こうしてアリスはフィオラを待つため、生と死の間に身を置くこととなった。
遠くない未来、フィオラがやってくることを信じて。
そして、約束通り、フィオラを裏切らないこと。そして本音で話すこと。
それを胸に、月の子と遊戯をする。
フィオラが、やって来るまで、ずっと。