フィオラは街の教会本部の牢屋に入れられていた。
他の魔女を逃がした罰で。
もっとも、魔女だからアリスを逃がさなかったとしても何かと理由を付けて処刑するつもりだったのだろう。
「……今日は満月か」
煙草を吸いながら、柵付きの窓から月を見ていた。
「ルナ、居るんでしょ?」
月を見たまま、フィオラはそう言った。
「ええ、隣の牢屋に……」
フィオラはルナに会ったことがある。つい先程まで教会本部で、魔女を逃がしたことを責められている時に、ルナが止めに入ったのだ。
「あんたも馬鹿だねぇ。魔女を助けようとするなんて。それに聖職者なのに、リディアお姉ちゃんとアリスお姉ちゃんとよく会ってたんだってね」
「はい。とても、楽しい時間でした」
ぽとりと煙草の灰を落とすフィオラ。石壁に煙草を擦り付けて火を消した。
「あたしにはわからないや。その感覚」
「一緒に住んでいたのでしょう? だったら、私よりお二方のことご存知のはずですが」
「あー、性格とかそういうの? ま、そりゃわかるけどさ、何ていうのかな。友達とか、家族とか、そういうのがわからないんだ。あたし。……チッ、煙草がないや」
「フィオラさん、どうしてあなたは魔女を裏切ったのですか? 私、それが全くわからないんです……」
「へえ。気になるんだ。じゃあ、いいよ。話してあげる。フィオラの最初で最後の物語をさ」
そしてフィオラは語り始めた。
物心ついた頃には既に施設で過ごしていた。
本当の父親も、母親もわからない。
ただ、施設の前で赤ん坊のフィオラが捨てられていた。
施設のママはフィオラを義務的に抱き上げ、その他の子達と同じように、厳しく接していた。
フィオラはよくやんちゃする子供だった。だから、生傷も絶えなかったし、よくママに怒られ、お仕置きをされるような、そんな子供だったのだ。
女神信仰も、馬鹿らしいと幼いながらに考え、ロザリオを断固として首から下げることはしなかった。
嫌な子供だと、自分でもわかっていた。
言われることの反対をし、教えを信じず、神を否定した。
こんな嫌な子供、誰も貰いやしない。そう思っていた通り、貰い手は見つからなかった。
ママも諦めて、より強く、それこそストレスの捌け口のようにフィオラを痛めつけることがあった。
それでもフィオラは笑っていた。
次第にママは不気味に思うようになり、なるべく遠ざけるようになった。
自然と門外に放り出される日が多くなる。
そんなある日、アリスとフィオラは出会った。
寒い冬。雪の降る、綺麗な日。
「大丈夫? 手も足も冷えてるじゃない!」
女神様なんて信じていなかったフィオラだったが、女神か天使のお迎えではないかと思った。
街灯を背に、アリスの黒い髪が広がって、まるで翼のように見えた。
「お姉ちゃん、誰?」
フィオラはじっと見て、話しかける。どうやら幻覚ではないらしいと思って、話す気になったのだ。
「私は……、アリス。鏡アリス。ねえ、私の家に来ない?」
ふうん。人身売買でもするのかな。そんなことを考えて、アリスのポケットに手を入れる。財布ではなく、何か、紙が入っていた。
さっと取り出して中身を見てみることにした。
「何これ。アリスお姉ちゃん、何者? 赤い薔薇って注文したらどんなものが出るの?」
「招待状が読めるんだ……」
アリスと名乗ったその人は、目を丸くして見ていた。
「読めるんだってことは、読めない人もいるんだ。アリスお姉ちゃん、本当に何者なの?」
まさか、天使か悪魔、なんて考えていると、想定外の答えが返って来た。
「私は、魔女だよ。ねえ、魔女にならない? この施設に居るよりずっとマシな暮らしが出来るよ」
魔女。聞いたことがある。施設に昔からある噂話だ。
ある日ふらりと現れて、仲間を探して連れて行く。
そこは施設よりもずっと楽しくて、愛しくて、大事な場所。
「それ、本当?」
興味があるフィオラの瞳が揺れた。
「うん。私、この施設の出身なの。だから、どんなことをされたのか、大体わかる。あなたを放っておけないよ」
なるほど。じゃあ、ママからのお仕置きがどんなものか、経験済みということか。じゃあ、これよりも劣悪な環境に置かれるということもないかもしれない。
ただ、これは一か八かだ。この人が嘘を吐いている可能性がある。でも、フィオラにはアリスが嘘を吐けない人に見えた。
「イヒヒ。そうだったんだ。じゃあ、いいよ。魔女になる。いつかはこの施設を出ようと思ってたから、丁度良いや」
一度だけ、人を信じてみようと決めた。
「あなたの名前は?」
「フィオラ。桔梗フィオラ。よろしく」
「うん! よろしくね、フィオラ!」
そしてアリスはフィオラの手を握った。
久しぶりの人の温もりに、フィオラは少し涙が出そうになる。
一瞬だけ、施設に目を向けた。
窓からママの後ろ姿がぼんやりと見えた。
フィオラは、施設に背を向けてアリスと歩き始める。
魔女の集会へ。
「それが、出会いだったんですか」
ルナが溜め息交じりに言った。
「そう」
フィオラは石壁に凭れ掛かるようにして座った。
「スリなんて、なさるんですねぇ。それは、どうして?」
「なんとなく。街に出て、スリを見て覚えた。てか、あんたもアリスお姉ちゃんと同じで変わり者だね。普通そこはスルーするところでしょ。目を付ける場所が違うよ」
「それから、どうなったんですか?」
「ん。そうだなぁ……」
魔女の集会は、結果的にはプラスになった。
どんな人がどんな場所に居るのか、誰が権力者か知ることが出来たからだ。
マーシャという魔女がその地域の魔女の中でトップであること、また、アリスの姉分であるリディアはマーシャと仲が良い。つまり、自分は魔女になるとしたらとてもいい暮らしとまではいかないかもしれないが、それなりの暮らしは出来るだろうと思った。
実際、それなりの暮らしを出来るようになる。
そしてアリスに連れられて来た家で、リディアとアリスとフィオラ三人がベッドに並んで寝た。
フィオラは施設での雑魚寝を思い出した。
劣悪な環境で、薄い毛布だけ。寒くて寒くて、朝になる頃には寒さで自然と目が覚めた。
でも、家では隣に人の温もりがある。温かな布団があった。
朝になれば「おはよう」と言ってくれる人がいて、知識も与えられて。
「今思えば、本当の家族よりも、家族らしかった。一番幸せな時間だったかも」
「……でも、だったらどうしてアリスさんやリディアさん達を裏切るようなことをしたんですか?」
「ぬるま湯に浸かってるみたいで、嫌だったんだ。それに、アリスお姉ちゃんが呪い出来なくて、綺麗な癒し担当っていうのも、なんか嫌だった。あたしはこんなに人を病に侵し、欺き、殺してるのにって。でも本当はわかってたんだ。ただ、あたしもアリスお姉ちゃんみたいになりたかっただけなんだって」
「それはつまり」
「嫉妬だよ」
「嫉妬で、人を殺した、ということですか」
「まあね。あんたにゃ、わからないだろうけど。殺してやりたいと思った。でも、それはお姉ちゃんじゃない。あたし自身をだよ。綺麗になれないあたしは、ずっとこのままかって、思って。それで自分がこんなところに捕まってちゃ、話にもならないけどねー」
「フィオラさん」
「フィオラでいいって。何?」
「先程から、鼻を啜る音が聞こえるんですけど、大丈夫ですか? 本当は、フィオラさん、悲しいんじゃ……」
「何言ってんの。あたしが悲しいわけないでしょ。イヒヒ!」
それはフィオラが出来る精一杯の、強がりだった。
「イヒ……ヒ……っ」
フィオラの目から涙がじんわりと出た。
「ねえ、ルナ。お姉ちゃんは、最後まであたしを裏切らなかったよね?」
「……ええ。裏切ってませんよ、きっと」
「馬鹿だもんね。アリスお姉ちゃん。本当に、馬鹿だから……」
フィオラは言えなかった。
たったひとこと、「ごめんなさい」を……。