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第7話 悪魔に憑かれた子

 仕事というのは各ホームで管理している魔女に割り当てられる。勿論、力量、得意なことなどを考慮して仕事は選ばれる。

 今回は、アリスに仕事が回ってきた。

 仕事の依頼人と会う場所はホームが安全だと認めたカフェだった。


 カフェでカモミールティーを飲みながら、アリスは窓の外を覗いていた。

 いつの間にか季節は春になっていたんだと、木々の若い目を見てそう思った。

 魔女は外出を嫌う。人目に触れることを良しとしない人が多いのだ。

 だからだろう。季節の変化というものに、とても疎い。

 アリスは窓の外を見ながらゆっくりと瞬きをした。

「アリスさん、お客さんですよ」

 不意に店員から声を掛けられた。そこには店員の他に、二人の若い男女が立っていた。

「どうぞ、ごゆっくり」

 店員が義務的にそれだけ言うと、店の奥へと消えていった。

「えっと、依頼人の方ですよね。初めまして。アリスと申します。まずは、お座りください」

 はあ、嫌だなあ……と、アリスは思う。

 アリスは仕事があまり好きではない。癒しに関することならば喜んで手助けするが、今回、詳しい内容を聞かされていない。つまり、アリスが苦手なこと、もしくは好んでいないことの可能性が高い。そんな仕事でも、ホームのためには尽力しなければならないのが、魔女の辛いところだろう。

 男女は互いの目を見て椅子に座る。

「……本日はどのような」と、アリスが口を開くと依頼人の女性が大きな声でこう言った。

「私共の息子を、普通にしてあげてください! お願いします!」

 女性はそれだけ言うと深く頭を下げ、大粒の涙を零し始めた。男性がハンカチを女性に渡し、背を撫でる。

「私共の息子が、数日前から、変になってしまったんです」

 男性は話せない女性の代わりにそう言った。

 なるほど、この二人は夫婦か。アリスの頭の中で情報を整理させていく。

「私共の息子は、プティと言いますが、プティがどうやら、その、悪魔に憑かれてしまったのではないかと」

「悪魔祓いでしたら、私よりも教会にお願いした方が……」

 たまに、悪魔祓いの依頼というのがある。魔女は悪魔祓いに関しては下手すればその辺りを歩いている一般人の方が詳しいのではないかというくらい、苦手とされ、終いには敵である教会を紹介して終わることが多々あるのだ。アリスは今回もそういうものだろうと思って、教会に頼むことを提案した。

「教会にはもう行きました! でも、悪魔じゃないって、取り合ってくれなくて。やってくれたところもありましたけど、息子は元に戻らなくて。もう、魔女様にお願いするしかないんです!」

 女性がヒステリックに泣き叫ぶ。

 アリスは「これは厄介な仕事を持ってきてくれたな」と、ホームを少しだけ恨んだ。

 恐らく、この依頼は精神病が関係している。それか本当の悪魔憑きか。

 薬を得意とするアリスは、多少精神について学んでいた。だから対処も多少は出来ると自負している。しかし、本当の悪魔憑きだった場合は一旦家に戻ってリディアに頼むことになる。リディアは悪魔払いが出来る、数少ない魔女なのだ。

 とにかく、悪魔憑きなのか、そうでないのかを判断しなければ動きようがない。

 アリスは意を決してこう言う。

「プティ君に、会わせてください」

 この仕事を、受けると決めたのだ。

「ありがとうございます。ありがとうございます。魔女様!」

 アリスは慌てて口元に人差し指を寄せて「しー」と言った。いくら、安全なカフェだったとしても、魔女であることを関係のない人達に知られたくはない。

 夫婦ははっとした表情になって深く頭を下げた。


「ここが、お家ですか」

 アリスは夫婦とその息子の家の前に立っていた。

「ええ。庭とか手入れしてないから、森みたいですよね。ああ、それよりも、早くプティを」

「はい」

 女性に連れられて家の中に入っていく。

 家は思ったよりも大きく、ちょっとした貴族の屋敷のようだった。

 高級そうな家具、壁のあちらこちらにある絵画。

 きっと裕福な家だったはずだ。それがどうして庭が荒れていたのか。

 この家に、一体何があったというのだろう。

 夫婦はある部屋の前に立つと、男性がこう声を掛けた。

「プティ、入るよ」

 アリスはノックする手を握って制した。

「あ、待ってください。プティ君には、私だけが会います。その方が、早く解決することがありますので」

「……そうですか。わかりました。私達は右隣の部屋に居るので、何かあったら来てください。では、よろしく」

 夫婦は右隣の部屋のドアを開けて中に入っていった。

 アリスはドアの外から声を掛ける。

「プティ君、入るね」

 なるべく、優しい声になるように気をつけた。

 返答はない。

 思い切ってアリスが部屋のドアを開けると、そこにはベッドに腰かけた長い白髪の、一見女の子のように見える男の子がいた。

「……プティ君、私、アリスって言います。初めまして」

 そう言うと、プティはどこを見ているのかわからない、深い闇を感じさせる深紅の瞳を光らせた。

「こんにちは。魔女さん」

 アリスは警戒する。まだ、魔女と言っていないのに、魔女だと言い当てた。もしかして、あの夫婦に罠にかけられたのだろうか。それとも……。そう思っていると、プティは窓の外を指差した。

「ねえ、どうして空って青いのかな。僕もね、前に空を飛んだことあるんだよ。その頃はまだ生まれてなかったけどね」

 これは、どっちだ。悪魔に憑かれているのか、精神的なものなのか。

「魔女さん。僕ね、心が読めるんだよ。だから、魔女さんが僕を怖がってるのがわかる。ね、変なのは嫌だから、こっちに来て、一緒に窓の外、見ようよ」

 変なのとは、悪魔祓いなどのことを言っているのだろうか。

 アリスは言われた通り、ベッドに腰かけて窓の外を見た。そこには綺麗な青空が見えていた。

「……綺麗」

「そうでしょ。皆当たり前だと思って、上を見ることをやめてしまうけど、魔女さんは見てくれるんだね」

「魔女さんって呼ぶの、やめてくれるかな。呼ばれ慣れてないんだ。ねえ、お父さんとお母さんが元々の君に戻してくれって言ってたんだけどね……」


「あの人達の話なんかより、僕を見てよ」


 一瞬で、空気が凍った。

 先程までのどこを見ているのかわからなかった眼が、アリスを捉え、眉が吊り上がっていた。

「え、あ、うん。ごめん」

 そう言ったアリスに、再び温かな眼を向けるプティ。

「ふふ。僕ね、アリスが好き。ねえ、そのお腹にあるんでしょ? 何かわからないけれど、君の大切なもの」

 得も言われぬ恐怖がアリスを襲う。

 魔女の印は、魔女なった者しか知らないのだ。

 それを、この少年は実際に目にしたこともないのに、言い当てた。

「なんで、知ってるの?」

「だから言ったじゃない。心が読めるって」

 にっこり微笑むプティに、アリスは困ってしまった。

「多分、あの人達は何でも思い通りになる人形が欲しいだけなんだよ」

 さっきあの人達の話なんかと言っていたプティが、自分から話し始めた。その心境の変化の速さにアリスは付いていけない。

「心を読まれるのが、嫌なんだろうね。そんなことしか、考えられないから」

 笑みを絶やさないプティに、アリスは不思議なものを見る目で見ていた。

「なんでそんな他人事みたいに言えるの?」

「だって他人事だもの。あの人達は僕のお父さんとお母さん。でも、ある日わかったんだ。多分、神様か、それこそ悪魔が与えてくれた力なんだろうけど、心が読めるようになった。そうするとわかる。あの人達、金の事ばかり考えてる。僕のことって言いながら、ああ、今月も医療費でこれだけ出るなあって、そればかり。僕は落胆したよ。幸せな家族は全部夢だったんだ。それにね、アリス」

「うん」

「僕、目がほとんど見えないんだ」

 そうアリスの目を見て言った。しっかりとした、眼差しで。

「えへへ。わからないよね。だって、僕今アリスの目を見てるもの。……この力を持って、なんとなくだけど、こう、頭にどんな景色が映ってるのか浮かぶようになったんだよ。青空ってこんなに青かったんだなとか、ベッドの白さに感動したり、季節の移り変わりを楽しんだりしたよ。だけど。だけど! あの人達はそんな僕を不気味に思って、前みたいにただ、はいとだけ答える人形を欲しがるんだ!」

 プティは大声で叫んだ。髪を振り乱し、己の手首を強く掴んで。

「僕はこの世に生きてちゃいけないんだ! アリス、アリス! アリスならわかるよね? 僕の言ってること!」

 目から涙を零すプティを、アリスは抱き締めた。

「なんで、こんな力を手に入れたのかわからない。でも、わかることは、僕は人間としてあの人達に見られてないってこと。人間として、見てくれる、そんな人達だったら良かったのに……」

 人間として見られないことの辛さは、アリスが一番わかっていた。施設で、散々物扱いされてきたからだ。

「温かい。温かいよ……。アリスは、心が温かい。久しぶりだよ。こんなに……」

 言葉の続きは紡がれなかった。

 ただ、抱きしめ返すプティの手は、小刻みに震えていた。

「ねえ、アリス、空は、今も綺麗?」

 アリスは窓を見ずに答える。

「うん。とても綺麗な、青空だよ」


 落ち着きを取り戻したプティに、アリスは手を握ってこう言った。

「お父さんとお母さんには、もっとプティ君のことを人として見るようにって言っておくね。多分、プティ君の言動が変わったのが凄く怖いんだと思う。心が読めるようになってから、自暴自棄になっちゃったと、私は思ってるけど、合ってるかなあ」

「……うん」

「多分、お父さんもお母さんも、変わらない。と言うよりは、変われない。だって、今までの人生の大半を、そうやって生きてきたから。だから、期待はしない方が良いよ」

「わかってる。ねえ、アリス」

「うん?」

「折角いろいろ考えてくれてるのはわかるんだけど、僕のことを悪魔憑きってことにしてくれない?」

「え?」

 アリスは自分の耳を疑った。

「なんで、そんなことを。悪魔憑きなんて言ったら、それこそ下手すれば過激な教会の人なら悪魔憑きを殺そうとするんだよ? お父さんとお母さんが、君を捨てちゃうかもしれないんだよ?」

「僕、あの人達に期待することはもうやめたから。それは平気。それよりもね、僕、捨てられて、魔女になりたいんだ」

「え?」

「僕を魔女にしてよ、アリス」

「それは……、出来ない。私の一存では決められないの」

 今は、特に。魔女への招待状を渡すことは禁止されている。教会が動き回ってる今、何をするにしてもリスクがあるのだ。

「……なるほど、魔女って今大変なんだ」

「あ、こら」

 心を読まないでとアリスが思うと、プティは「ごめんね。読みたくて読んでるわけじゃないんだよ。選べないんだ。この力は」と言ってしゅんと小さくなった。

「そっか。そういうものなんだね……。ごめんね」

「アリスは素直だね。残念だなぁ。アリスと一緒に居たかったのに」

「たまに、遊びに来てもいい? それなら、出来るかもしれない」

 アリスが精一杯の一歩を踏み出した。その途端、プティはぱあっと明るい笑顔になり、ぎゅっとアリスを抱き締めた。

「……うん!」

 その目は確かにアリスを見ていた。


 アリスはプティの部屋を出て、夫婦がいる部屋に訪れた。

「お話、終わりましたよ」

「ああ、どうでしたか。息子は。プティは」

「大丈夫ですよ。プティ君は、どこも変ではありません。ただ、人とは違う能力を持っているだけです」

「能力とは一体……」

「それは言えません。でも、プティ君も普通の人間なんです。だから、道具のように扱おうとするなんて、絶対しないであげてください。彼は、泣いていました」

「道具のようにって……、まるで私達が悪いみたいじゃないですか!」

「まあまあ、お母さん。魔女さん、どういうことか詳しく聞かせてもらっていいですか」

「ええ」

 アリスは出来る限り話した、心が読めるとは言わず、ただ、繊細なのだと伝えた。人の心を敏感に感じ取るとも。

「それじゃあ、……いや、待てよ。もしかして」

 男性がそう言うと、アリスは「何か心当たりがあるのですね。それを、プティ君はわかっているんですよ」と言った。

「……わかりました。どうも、ありがとうございました」

 男性は深々と頭を下げた。それを見て、女性も頭を下げた。

「あ、それと、たまにこちらに寄らせていただいても良いでしょうか。プティ君と約束したんです。また会おうって」

「それは勿論。多分、プティが凄く喜ぶと思います」

 アリスは思った。プティの言う通り、この二人は変わらないだろうと。

 大人になりきれない大人がいる。今回の依頼人である夫婦は、大人にはなったが、親にはなれなかったのだろう。

 そういう例を何度も、アリスは見てきた。


 それから、一週間に一度くらい、アリスはプティを訪れるようになった。

 その度に窓の外の景色の話をしたり、その日あったことを面白可笑しく話した。

 笑い声が度々聞こえる屋敷になり、あの男女、いや、両親も、何か思うところがあったのか、多少変わってきた。


 そんな平穏な日々を送っていた、ある日のことだった。


 アリスが屋敷を訪れると、見るからに火事があったとわかる外観になっていた。

 幸い、建物は石造りだったから、延焼はしなかったようだ。

「こんにちは……」

 そうっと屋敷に入ろうと扉に手を掛けると、いきなり扉が開いて、次の瞬間アリスの意識は途絶えた。


 アリスの目が覚めると、そこはプティの部屋だった。

「……アリスさん。すみませんでした」

 憔悴しきった父親の姿がそこにはあった。

 アリスは頭に手を当てた。鈍い痛みがある。

「一体、どうしたんですか?」

 すると、母親が壊れそうな笑顔で、アリスに語り掛けた。

「あの後、プティとよく話し合ったんです。そうしたら、能力のこと、教えてくれて、私達が何を思ってるのかも教えてくれて……。やっと、やっと親になれるって思ったんです。嬉しかった」

 母親は膝を抱えて壁にもたれ掛かる。

「でも、前に悪魔憑きだと思って悪魔祓いをしてもらった教会に、プティを連れて行かれてしまったんです。プティが、悪魔そのものだと思われて。私達は、必死に抵抗しました」

 虚空を見つめるその瞳に、光はない。

「親なのに、何もしてやれなかった」

「……アリスさん、父親の私の依頼、引き受けてくれますか」

「はい」

「プティを、どうか逃がしてあげてください。教会は、街の……」


 アリスは家に帰り、リディアとフィオラに事情を話した。

「つまり、その子を助けたいんだね?」

 リディアがそう言うと、アリスはこくりと頷いた。

「今、教会の動きが不穏だから、出来ることなら避けたいけど、アリスの友達なんだろう?」

「うん」

「リディアお姉ちゃん、あたし、その教会なら抜け道知ってるから、あたしがそのプティって子連れ出すよ」

「ありがとう。フィオラ、リディア姉さんも。ごめんなさい。こんなことになってしまって」

「何言ってるんだい。私は迷惑なんて思っちゃいないよ。とにかく、プティって子が心配だ。今から行くよ」

「うん!」

 こうして三人は、プティを逃がす作戦を移動中に考えながら教会へと向かった。

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