季節は雪の降る日だった。
街灯が灯され、あの孤児院の門外にいる一人の少女が凍え死にそうになっていた。
そこへアリスが通りがかる。
「大丈夫? 手も足も冷えてるじゃない!」
少女に駆け寄ったアリスは、少女の霜焼けした手足を見ると、放っておけなかった。
まるで、過去の自分を見ているかのように感じたのだ。
「お姉ちゃん、誰?」
少女はアリスをじとりと見た。
まるで世界全てを憎んでいるような、そんな瞳をしている。
「私は……、アリス。鏡アリス。ねえ、私の家に来ない?」
少女は白い息を吐いて、すっとアリスのポケットから魔女の招待状を盗んだ。
「何これ。アリスお姉ちゃん、何者? 赤い薔薇って注文したらどんなものが出るの?」
「招待状が読めるんだ……」
アリスは魔女になりたての頃、招待状の意味を教えられた。魔力がある者を見分ける力は魔女ならば誰もが持っている。しかし、それは個人差があるから、招待状の文字が読めるかどうかで必要な魔力があるのかを判断する材料とするのだ。
つまり、招待状が読めるということは魔女になる素質があるということになる。
「読めるんだってことは、読めない人もいるんだ。アリスお姉ちゃん、本当に何者なの?」
「私は、魔女だよ。ねえ、魔女にならない? この施設に居るよりずっとマシな暮らしが出来るよ」
「それ、本当?」
少女の瞳が揺れた。
「うん。私、この施設の出身なの。だから、どんなことをされたのか、大体わかる。あなたを放っておけないよ」
「イヒヒ。そうだったんだ。じゃあ、いいよ。魔女になる。いつかはこの施設を出ようと思ってたから、丁度良いや」
「あなたの名前は?」
「フィオラ。桔梗フィオラ。よろしく」
「うん! よろしくね、フィオラ!」
そしてアリスはフィオラの手を握った。
ひんやりとしていて、氷のような手だ。相変わらず、ママは酷いことをする。そう思いながら、フィオラと共に、ホームへと向かった。
「ふーん。じゃあ、アリスは自分を重ねてその子を連れて来たんだ」
「うん。そうなの、リディア姉さん」
「……」
フィオラはリディアの手元をじっと見ていた。
「ん? 煙草が気になるのかい?」
「これが煙草なんだ。へえ。ねえ、あたしにも吸わせてよ」
アリスはフィオラに「ダメ」と言って、煙草に向かっていたフィオラの手を制した。
「まあまあ。アリスは厳しいなー。少しだけなら良いんじゃない? どうせ咽て終わると思うし」
「リディア姉さん、煙草は害があるのよ。そんなもの、大事な妹分に……」
その瞬間、アリスは自分の目を疑った。
「ふうん。煙草って良いねえ。苦いけどさ、嫌なこと、ちょっと忘れられそうだよ」
フィオラが煙草を吸っていたのだ。
「お、わかるんだ。でも程々にしておきな。癖になるし、その小っちゃい体、大きくならなくなるよ」
「そう。じゃ、二、三本頂戴。あたし、これ気に入っちゃった。身長はこれ以上なくてもいいからさ」
「ダメダメ! フィオラ、お願いだから煙草吸わないで。寿命が縮んじゃうよ」
「良いじゃん。だって、あたし魔女になったんだもん。長く生きられるなんて思ってないよ。それは、ここに居る人達みーんな、思ってるんじゃない? だってさ、施設に来るシスター達、魔女の噂集めてたよ。多分、魔女を根絶やしにするつもりなんだと思う」
「え?」
賑やかだったホームが、一瞬で静かになった。
「その話、詳しく聞かせてもらえる?」
最近、正式にこのホームのボスとなったマーシャが、フィオラにそう聞いた。
「……つい最近、子供が魔女に連れ去られるって噂が施設で流行ったんだよ。それでママが、子供が減っていたのは魔女のせいって言って、外の教会からシスターを呼んで監視の目を増やしたの。子供がちょっとでも魔女なんて言おうものなら、シスター達が飛んで来る。異様な空気が、施設を支配していたよ」
「そう。わかった。皆、ちょっと聞いて!」
マーシャは手を叩いて注目を集めた。
「かつてあった魔女狩りが現代に蘇るかもしれない。そういう噂を聞いたことがある人もいるだろう。私はそれをはっきりと否定することなんて出来ない。だって現実に、今日孤児院からやって来たフィオラがここまで言うということは、きっと相手は本気だ。だから、魔女として動くときは細心の注意を払ってほしい。誰も犠牲にならないように。そして、私達が生きやすい時代にするために」
皆、頷いた。
そして互いの顔を見合わせ、誰も裏切らないことを願い、また自分が裏切らないことを誓った。
静かになったホームで、フィオラは「イヒヒ」と笑う。
「フィオラ?」
アリスがフィオラの顔を窺うと、鋭い眼光をしていることに気がついた。
「……アリスお姉ちゃんは、なるべく死なないでね。いつかあたしが、恩を返せるまで、さ。リディアさんだっけ。煙草、ご馳走様」
フィオラは吸い終わった煙草の吸殻を灰皿に放り投げた。
アリスはフィオラの言葉の意味を考える。この子の成長する姿を、見られない未来もあるのかもしれない、と。それは、とても悲しいことだ。アリスは不安気にフィオラを見た。
「ん? アリスお姉ちゃんどうしたの?」
この子は、いつまで自分のことをアリスお姉ちゃんと呼んで慕ってくれるのだろうか。そう思いながら、アリスはフィオラの手を引き、ホームから去ろうとした。
「あれ、アリスもう帰るの?」
「うん。なんか、疲れちゃった。ねえ、リディア姉さん。明日からでも、フィオラに呪いを教えてあげてよ。私、呪いは出来ないから……。薬については私が教えるよ。勿論、フィオラに教えてくれるなら、少しだけどお金だって出すから」
「わかった。お金は要らないよ。だって私達の仲じゃん。可愛い妹の妹って言ったら、私にとっても妹なんだよ。皆家族なんだからさ、気にしないで。それより気になるのは」
リディアがフィオラの手を取った。
「この盗み癖かな」
その手にはリディアの財布があった。
「ちぇっ、バレないと思ったんだけどな」
「フィオラ、あなた何てことを!」
アリスは声を張り上げた。
「ごめんごめん。ほんの冗談のつもりだったんだって」
「アリス、気をつけな。これは盗み癖があるってことだよ。アリスには、ひょっとしたら荷が重いかもしれない。もし、覚悟がないならこの子を妹分にするのはやめな。火傷するよ」
フィオラは「イヒヒ」と、悪戯っ子のような笑みを浮かべている。
「……一度決めたことだから。それに、この子がそんなに悪い子には、私には思えない。きっと、何か理由があってやっちゃうんだよ。もう必要ないって教えれば、きっと」
「アリスがそこまで言うのなら」
「じゃあね、リディア姉さん。家で待ってる。行くよ。フィオラ」
「はあい。それじゃ、魔女の皆さん、ごきげんよう」
ぺこりと頭を下げたフィオラ。アリスはフィオラの手を引いて、家路へと就いた。
家に着いた二人は、大きなベッドに並んで寝ようとした。
窓から、月明かりが差し込む。
しんとした部屋に、フィオラの声がそっと響いた。
「ねえ、アリスお姉ちゃん」
「何?」
「アリスお姉ちゃんは、あたしがスリをするのをどう思ってるの?」
「……やめてほしい、かな。でも、盗みをしなきゃ、いけなかったんだろうなって思うと、どうしたらいいのかわからない」
「イヒヒ。お人好しだねえ。アリスお姉ちゃんは。こんな盗み癖があるあたしを妹分にしたいなんて、普通思わないよ。何。同情でもしてるわけ?」
「それもある。だけどね、いつかの自分を見てるみたいで、放っておけなかったの。あの施設から、逃げ出したくても逃げられない昔の自分みたいでね」
「ふうん。やっぱりアリスお姉ちゃんはお人好しだ。あたしみたいなやつを拾うなんて、正直言って馬鹿だよ。でもさ、そんなアリスお姉ちゃんを好きになりかけてる自分がいる。イヒヒ。じゃあ、もう寝よう。おやすみ、アリスお姉ちゃん」
「うん。おやすみ。フィオラ。明日から、いろいろ覚えなきゃいけないから、頑張ろうね」
そうして、その日は終わりを告げた。