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第3話 酒場とホーム

 満月の日、アリスは夜遅くに施設を抜け出して指定された街の酒場へやって来ていた。

 店に入ると、見事に中年男性ばかりで、アリスのように若い少女や女性は数えるほどしかいなかった。

「お嬢ちゃん、どうしたんだい?」

 カウンター越しに店員がそう聞いた。

 アリスは招待状を持って、何が書かれているのかをもう一度確かめた。

「……薔薇。赤い薔薇、ください」

 そう言うと、店員は目の色を変えてカウンター内へとアリスを招き入れ、店の奥へと進んで行った。

「付いて来な。嬢ちゃん」

 アリスはカウンターの中に入り、店員の後ろを付いていった。

 店の奥には地下に続く螺旋階段があり、そこを店員がカンテラで照らしながら下へと進んで行く。

 アリスは遅れないように階段を一段ずつ下りる。

 長い階段を下りきると、そこには薔薇の模様を刻まれた鉄の扉があった。

「おい。赤い薔薇をご所望のお嬢さんだ。入れてやってくれ」

 店員の声が地下に響くと、冷たい鉄の扉が開いた。

 中からは黒いスーツを着た黒髪の女性が現れ、アリスを一目見ると「招待状」と一言だけ声を発した。

 アリスはポケットの招待状をその女性に渡すと、女性は「確かに。オーナー、いつもありがとう。お嬢ちゃん、おいで」とアリスの手を引いて鉄の扉の奥へと進んだ。

 扉が音を立てて閉まる。アリスにはそれが外界との繋がりを絶つように聞こえた。


 扉の向こうには、上の階の酒場と違い、若い女性がたくさんいた。そして、数少ないが、男性の姿もあった。

「お嬢さん、お名前は?」

 スーツの女性が招待状を片手に、そう聞いた。

「アリス。……鏡アリス、です」

「アリスね。了解。ちょっと皆集まって! 特にそこで煙草吸ってるリディア!」

 その言葉で、皆アリスの方を見た。

「お! 君、来てくれたんだね! 覚えてる? 招待状渡したの、私なんだ。リディアって言うの。ここに来たってことは、魔女になろうか考え中か決心したってことかな?」

 リディアは煙草を携帯灰皿に押し付けて火を消した。

「あの、魔女って、なったらどうなるんですか。何も、わからなくて。施設にも居場所ないし……」

「んー、そういうことについては私よりマーシャに聞いた方が早いよ。あ、マーシャってわからないか。このスーツのお姉さんだよ」

「……リディア、あなた、また説明もなしに誘ったの? ま、良いけど。さて、アリス。私達は全員魔女なの」

 アリスがぐるりと周りを見渡すと、皆頷き、成り行きを見守っている。

「魔女だから悪魔崇拝しなくちゃいけないとか、そういうのはないわ。ただ、そうね。呪ったり薬を作ったり、そういうことをして生計を立てるわ。あと、仲間がいるから困ったら助けもあるわね」

「マーシャの言う通り。住む場所もあるから、施設よりずっと良い暮らしが出来ることは保証する。私は、怖いママ様から解放されて、自分らしく生きていける今がとても好きだよ」

 確かに、顔に暗い色を落としている人は、ここにはいない。アリスは魔女になろうかと、心が揺れ動くのを感じた。

「ほら、これ見える?」

 リディアは左手の甲をアリスに見せた。そこには赤い薔薇の入れ墨が入っていた。

「これね、特殊な入れ墨なの。魔女にしか見えない、よく言えば聖印。悪く言えば呪印だよ。死ぬまで魔女でいるって、決めた証拠なの」

――死ぬまで、ずっと魔女。

 そうか。そうなのか。ここに居る人たちは、皆一生魔女でいると決めた人達なんだ。

 アリスは恐る恐る言葉を紡いだ。

「生き方、教えてくれますか。呪いや薬の作り方、知りたいです。居場所が……欲しい……」

 マーシャがアリスを抱き締める。

「よしよし。良い子だ。ここの魔女達はね、定期的にここで集会するんだけれど、ここのことをホームって呼ぶんだ。ここの魔女達は皆家族。きっと、あなたの居場所になれるわ」

「アリスちゃん。私達はあなたを歓迎するよ。最初は魔女見習いとして、いろいろ覚えてもらうから大変だろうけど、施設よりはずっと楽なはずだ」

 皆がアリスを温かく迎えた。

 アリスは決意する。魔女になることを。

「私、魔女になります。施設には、もう戻りたくない!」

 すると歓声が沸き、拍手がアリスに送られた。

「それじゃあ、鏡アリス。皆を紹介するわね」

 順番に魔女達を紹介され、アリスは必死に名前を覚えようとする。

「ま、今覚えられなくても、その内覚えていくさ」

 リディアはそう言って一枚の紙を持って来た。

「アリスは、どこに入れ墨入れたい?」

「えっと、お腹?」

「ちょっとごめんねー、服上げるよ」

 そしてリディアは手に持っていた紙をぺたりとアリスの腹部に貼った。そして紙を剥がすと、そこには赤い薔薇の入れ墨が入っていた。

「痛くないでしょ。これであなたは立派な魔女。どうする? 今日から施設出ちゃう?」

「私、魔女になったんだ……。施設は、もう戻らない。どうせ私の物なんて何もないから」

「そっか。あの施設って本当に、全く子供達のことを見ないのよね。私もあそこの出身だからよくわかるわ。じゃあ、後で家に連れて行くからね。私の家で良いでしょ? 私が招待したから、私の下に就いてもらうから。ね、マーシャ」

「そうね。リディア。……それじゃあ、改めて。ようこそ。鏡アリス。魔女のホームへ。家族として、これからよろしくね」

「……よろしくお願いします!」

 そうして夜が明けるまで、宴は続いた。


 アリスが目を覚ますと、そこは見知らぬ天井が見えた。

 昨晩、確かホットミルクを飲んで、いつの間にか眠ってしまったのだと思い出す。

「おはよう。アリス」

「おはようございます。リディアさん」

「そんな他人行儀じゃなくていいよ。姉さんとでも呼んでよ。あ、そっか。服、いつまでも施設のものじゃ嫌だよね。ごめんね、気が付かなくて」

 リディアはそう言って部屋のクローゼットを開ける。するとこそこにはたくさんの服がハンガーに掛かって、綺麗に並べられていた。

「うーん、これかなあ。それともこっち? ねえ、アリス。どっちが良い?」

「えっと、こっち、かな」

 アリスが選んだのはセーラー服に近い形をした服だった。スカートはふわふわした二段になっているもので、フリルが可愛い。

「うんうん。可愛いね。ほら、着替えて着替えて」

「……あの、見られるの、抵抗あるんですけど」

「あ、ごめん。後ろ向いてるね」

 リディアは後ろを向いた。

 アリスは服を脱ぐ。そこには青黒い痣が、服に隠れる部分にたくさんあった。

 それは全て、施設のママがやったものである。

 こんな醜いもの、見せられない。アリスはそれがあって見られることに抵抗があると言ったのだ。

「アリス、ごめん」

 リディアは振り向きアリスを抱き締めた。

「こんなになる前に、招待状渡しておけばよかった。あのママ様だもの。あなたみたいに、大人しい子を苛めるのはわかってたのに……。本当に、ごめん」

 震える手で、リディアはアリスの頭を撫でた。

「リディア姉さん……」

 アリスは嬉しかった。こんなにも人に優しくされたことなどなかった。だから、同時に恐ろしくもあった。また、捨てられたらどうしよう、と。


 服を着替えると、リディアがアリスの髪を軽く結った。

「二つのお下げ、可愛いよ」

 鏡で見ると、確かに可愛かった。アリスは褒められて嬉しくて、毎日この髪型にしようと心に決めた。

「さて、アリス。薬の作り方から覚えようか」

 そうして、修行の日々が始まった。

 最初は上手く薬を作ることも出来ず、爆発させたり、発火させたりと、危うく家を失いそうにもなった。

 さらに、呪いの勉強もしたが、実践しても効果はほとんど出ず、才能がないことがわかった。

 そのことからリディアはアリスに薬を中心に覚えられるようにと、たくさんの書物を与え、一緒に薬草の採取に行き、根気強く薬作りを教えた。

 結果、アリスは呪いに関しては全く出来ないが、薬、特に癒しに関しては一流と呼べる程までに成長した。

 今では顧客を獲得するまでになり、リディアも安心して薬作りを任せることが出来た。

 その裏で、リディアはアリスの出来ない呪いの仕事を引き受けていた。

 可愛い妹分だ。全く苦ではなかった。


 そして久しぶりのホームでの集会で、アリスは他の魔女から少し嫌味を言われることもあった。

 綺麗なことしかしないから、ということらしい。

 だが、それはリディアは勿論、このホームの頂点とも言えるマーシャ達が「出来ることをやればいい」と、認めるものだから、他の魔女達は何も言えなくなった。


 こうして時間は過ぎ去っていき、アリスは二十歳になった。


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