☆第八十九章 あき婆のスペシャルレストラン。
残暑が厳しい。最高気温はいつまでたっても35℃以上の日が続いている。エアコン代もバカにならないそんな九月の土曜日、食卓に麗奈と星弥くん、あき婆、環名ちゃん、藪内さんも揃っていた。
突然、あき婆がレストランを開くというのだ。
「え? 何? 開業するの?」
「違う、一日限りのレストランだよ」
いきさつはこうだ。あき婆が昔、仕えていた七瀬家の例のご主人のお孫さんが結婚するのだと。その結婚披露宴の料理をあき婆に作ってほしいという依頼がきたのだそうだ。
「ちょっと待って! いきさつはわかったけれどあき婆一人でいったい何人前作るの?」
「だから……悪いんだけど助っ人をお願いしたいんだよ」
「えっ⁉️」
披露宴の参加人数は、新郎新婦合わせて三十二人とそこまで多くはない。町にある小洒落たレストランを貸し切ってそこで披露宴をするらしい。
「レストランを貸し切るなら普通そこのシェフに頼むでしょう?」
「ああ、そこのシェフにも頼んでいるそうで。だからわたしとシェフで相談してメニューを決めることになる」
七瀬家のご主人のお孫さんとは、年賀状のやり取りをしているだけだというが、なぜあき婆に?
「おじいちゃんの日記を見つけたそうで、そこにわたしのことが書いてあったんだそうで。それで気になって連絡してきたんだそうだ」
「それだけで? よっぽどすごいことが書いてあったのかしら」
麗奈は随分とお腹が大きくなっていた。
「ええと、そこのシェフとあき婆が中心になって料理を作って、手伝うって何をどう手伝ったらいいのかしら?」
「まぁ、盛り付けとか最後の仕上げとか」
「えっ、そんな大役できないです!」
環名ちゃんが思い切り首を振った。
「料理なんてさっぱり」
「わたしも自信ないな」
そんな小洒落たレストランでオシャレな盛り付けができる技術はない。
「そこのレストランはシェフが一人で切り盛りしているの?」
「いや、もちろん従業員は他にたくさんいるよ」
「でしょ。だったら私達が介入しない方がいいと思うんだけど……」
「ああ、本当は頼むつもりはなかったんだけれど、シェフの右腕の料理人が、交通事故で腕を負傷したそうで」
「え、そんな右腕の人の代わりをするの??」
「まぁ難しいことは頼まないようにするよ」
「と、いうことは一人だけ?」
「一人でも二人でも。ああ、二人でいいかな。麗奈はもうお腹大きいからね」
「わたしと環名ちゃん?」
「え、わたし、そういうの大の苦手ですよ」
環名ちゃんが再び首を思い切り振る。
「じゃあそこの二人」
まさかの、わたしと藪内さん。
「えっ、わたしたち⁉️」
「よろしく頼むよ」
☆★☆★☆★
緑あふれるお庭に邸宅……。ヨーロピアンスタイルの建物で、屋根には風見鶏がついている。ここが披露宴の会場か……オシャレな建物にドギマギする。
シェフが優しそうな人でよかったけれどあき婆と一緒に考案したメニューは目を見張るものだった。
前菜 ― 秋の和栗を使ったなんか創作料理
スープ ― かぼちゃのポタージュ
主菜 ― カジキとボルチーニのグリル
パン ― ふんわり米粉となんかいろいろ木の実が入ったパン
デザート ― ぶどうの……なんだっけw
もちろん本当のメニュー名はこんなんじゃない。わたしの脳ではこのくらいしか理解できない。わたしがこのメニュー名を言うと藪内さんが爆笑していた。
「栗のテリーヌ、洋梨と葡萄のコンポート、ああ、でも僕も忘れましたw なんかオシャレなメニュー名って長くて覚えられないですね」
「洸稀さんはあまり緊張しない人?」
「いや、ある程度は緊張してますよ」
わたしから見ると全然いつもと変わらないように見えている。
披露宴は十一時からスタートだ。三十分前に、ある程度下ごしらえした前菜の準備が始まる。
白い大きなお皿。そう、だいたいホテルのメニューとかなんか高級フレンチとかって
お皿がやたら大きいんだよな。実際の料理は真ん中にちょんと乗っているだけ。
わたしはお皿を調理台の上に並べていく。盛り付けはあき婆とシェフが行う。
ソースを煮詰める役を藪内さんがやっている。交代、ソースを上からかける。今回のメニューは、栗とか葡萄とか秋らしい食材がたくさんだが、実際のところの気温は三十三度、九月はもはや、秋ではなくて夏である。
続いて、ポタージュを入れるスープカップを調理台に並べる。割らないように慎重に。
かぼちゃの甘い匂いと、何が入っているのだろうか食欲をそそる香りが広がる。
わたしはお皿を並べるくらいしかできない。主菜に至っては、もう芸術品といった具合の盛り付けである。手出しできない。
ずっと裏の調理場にいるので、新郎新婦の姿などは見えないが音楽は聞こえる。ふと、学と結婚式をあげた時のことを思い出した。
真っ白なウエディングドレスとお色直しは確か、青いドレスを着たっけな。懐かしい。会社の人をたくさん招待していたので、すごく緊張した。
ひたすら、皿を並べて、調理台を拭くことしかできなかった。でもそれだけでもすごい達成感を覚えた。
そして、あき婆はシェフと共にウエディングケーキも作っていた。高さはないけれど、切り分けやすいように長方形のケーキで真ん中に新郎新婦の似顔絵が描かれている。こんなケーキをいったいどうやって作るのか。もうすぐあき婆は八十歳だ。こんな八十歳見たことがない。今までも尊敬してやまない存在だったけれど、今日、またあき婆を尊敬するしかなかった。言葉が出ないほどに。
宴もたけなわ。そろそろ披露宴が終わるというころに司会者の方から突然あき婆のスピーチをお願いしますって声が聞こえた。本人も聞いていないサプライズのようで、逃げようとするあき婆は数人のウエイターたちに連れていかれてしまった。
舞台裏でもマイク越しの声が聞こえる。あき婆のスピーチは力強く、優しさに満ちていた。
生前、お世話になった七瀬家のご主人が自分のレストランを開業させてくれた話、そのレストランを経営している中であった色んなエピソード、そして、今日ここで料理を創らせてもらった喜び。
サプライズとは思えないほど立派なスピーチだった。
「たった一杯の味噌汁が……人を温めます。たった一杯のジュースが、乾いた喉を潤します。たった一杯のスープが、心を満たします。わたしは作る側だけれど、疲れた時に誰かが作ってくれた料理を食べるのは格別です。それはただの料理ではなくて、その人の人生をも変えるほどの魅力を持っている。だからわたしは料理が好きです」
大きな拍手が湧き上がっている。ああ、わたしはあき婆と出会えて幸せだ。