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前田杏です。一歳です。可愛い女の子です。

☆第四十四章 前田杏です。一歳です。可愛い女の子です。


 一歳半になった杏は、それはもう可愛い、可愛い。

 小さな靴を履いて、一生懸命トコトコ歩く姿がたまらない。しかし、少しずつ自我というものが芽生えてきていた。当然のことなのだが、親はこの自我に一苦労することになる。


 杏はお気に入りの靴以外は履こうとしない。田舎に帰った時にプレゼントしてもらった十四センチの靴があり、せっかくだからそれも履かしてみようと試みるが、首をふる。


 いつも履いている黄色の靴がいいらしい。


 しかし、例えば急な雨などで靴が濡れてしまって乾燥が間に合っていない時に、保育園へ行くのに別の靴をはかそうとすると「んー んー」と首をふって断固履かない。


「じゃあ、長靴さんにする?」


 お花柄の長靴さんはお気に入りらしくて、履いてくれるのだが、雨だったのは昨日の話で今日は快晴なり。ピカピカと光る太陽の下、長靴にて登園。


 保育園で外遊びをするのに、長靴では遊べないので、仕方なくこっそり十四センチの靴をビニール袋に入れて、通園カバンに入れておく。


 あとは保育士さんに任せるしかない。


 杏はオシャレさんなのか、最近そういった『こだわり』が増えてきた。


 袖のところがレース調になっているピンク色のかわいいTシャツを毎日着たがる。当然汚れる→洗濯する→まだ乾いていない服を着ようとする。仕方なく大急ぎでドライヤーで乾かして着せてみたりする。


 通販で全くおなじTシャツがないか検索したが、売り切れ。頼むよ再入荷してよ。


 そして当然、毎日同じ服を着て、洗濯を繰り返すと服はボロボロになっていく。レースが破けて、首元が伸びてしまったTシャツさんにバイバイしようね。と説得してみるが、泣かれる。こっそり捨てたらどうなるだろうか。


 新しい服が必要だと思い、子ども服を売っている店へ杏を連れていった。


 赤、ピンク、黄色、ベージュ、茶色、黒、青、水色、緑……色んな服が並んでいるが、杏はお姫様みたいなフリフリのスカートが気になるようだ。しかし、保育園は動きやすい服装、ハーフパンツで登園ください。とのこと。スカートは保育園ニーズには合っていない。


 休日に着用するのはいいとして、とにかく保育園で着られる服がたくさん必要だ。本人のお気に入りはある程度無視して無難で安価な服を買う。


 まだ一歳半だ。これから二歳、三歳……ますます好みがはっきりして、お嬢様から本当にワガママお姫様になるのだろうか。


 最近の杏のマイブームはおままごとだ。とはいってもまだ一歳だし、手先がそこまで器用でない。なんとなく、保育園のお兄ちゃんお姉ちゃんのマネをしているようだが、木でできた包丁をふりまわしていて、乱暴なおままごとになっている。


 家のリビングにもおもちゃの数が増えてきた。星弥くんと杏は今のところ大きな喧嘩をしていないが、果たしてどうなのか。星弥くんはもうすぐ四歳になる。


 星弥くんがもっと乱暴で頑固な性格だったら、喧嘩が耐えないのかもしれないが、彼はそれなりにジェントルマンだ。えらい。


 そんなある日のことだった。日中に保育園からの電話。ああ、もしかして熱でも出したのかな? と思ったら


「杏ちゃんが投げたおもちゃがおともだちの頭に当たって大きなたんこぶになってしまいまして……」


 血の気がひく。それはとってもいけないやつだ。

「すみません」と謝る保育士さん。当然こちらも「申し訳ありません」と謝る。そして困ったことに相手の親がひどく怒っているらしい。


 大きなため息が出た。


 十七時に保育園に迎い、その怪我をした子の母親を待つ。


「※○▲✕✕□▲○※!!!」


 とにかく怒られた。ものすっごい怒られた。


「申し訳ありません」


 頭を下げて謝る他ない。


「慰謝料を払いなさい!」


 い、慰謝料‼️⁉️


「あの、病院の治療費は支払います……」

「当たり前でしょう! それとは別よ!」


 なんだって慰謝料⁉️ 弁護士さんを交えて、みたいなそんな大事(おおごと)になるのか⁉️


 まわりにいた保育士さんたちが必死で相手の親をなだめている。


 津久井つくいさんという名のその人と話が折り合わないまま帰宅。


「あー……それはまた……」


 麗奈も大きなため息をついた。


「悪いのはもちろんこちらだけど、慰謝料って払う必要あるのかな?」

「麗奈、顔が広いから、弁護士の友達とかいる⁉️」

「……離婚の時にお世話になった弁護士さんならいるけれど、友達ではないな」



 翌日、重い気持ちで杏を保育園へと連れていき、園長と話をする。


「こちらも、お子様の行動を止められなかったので、責任があります。前田さん一人が責任を感じなくて大丈夫です」


 園長は柔和な人で、歳はそれなりにいってそうだが、ふんわり、でもしっかりしたお婆さんといった感じの人だ。


「あの、怪我をされた子は……」

「今日は欠席されています」

「そうですか……」


 もしかして、たんこぶどころで済んでいないのか、脳に異常とかあったらどうしよう。


 その後、津久井さんは息子のMRIを撮ったそうで、もちろん代金はお支払いした。

 保育士さんたちも非常に悩んで、杏とその子(遊斗ゆうとくんという)を別クラスで保育するかなど考案されたが、ある日、遊斗くんが意外な行動にでる。


 わたしが見たわけではないが、園で遊斗くんがおままごとをしていると杏が近づいたので、保育士さんたちが警戒していると、杏が「どーぞ」と言って、遊斗くんにおもちゃのコップをわたした。「あーと(ありがとう)」とそのコップを受け取った遊斗くんと杏は楽しそうに一緒に遊んでいたそうだ。


 遊斗くんは杏にぶつけられたことなんて綺麗さっぱり忘れているようだった。幸いたんこぶもそのうち治って、怒っているのは親だけで子ども同士は仲良くしている。


 という話を聞いて、涙が出そうになった。


 まだ一歳だが、確実に成長しているではないか。杏も遊斗くんもコミュニケーションをしっかりとっている。


 一方の津久井さんは、気がおさまってきたのか、怪我をしてから三週間ほど経った時に唐突に謝られた。


「ごめんなさい」


 わたしは驚く。


「今日、園庭で遊斗がころんだらしいのですが、起き上がるために手を出してくれたのがあなたの娘さんだったそうです」

「え……」


「二人は仲良く手をつないでいたそうで……」


 杏、あなたは素敵な子。遊斗くんも素敵な子。家に帰って杏を思い切り抱きしめた。


「杏、えらいね。優しい子だね!」


 あたまをなでなでする。

 大人たちの知らないうちに子どもたちは子どもたちで人間関係を築き上げていく。


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