☆第十章 そう、わたしは授乳ロボット。
毎日のローテーションは以下のようである。
本当にただ毎日授乳、おむつ替え、ウトウトする。赤ん坊が泣く、授乳、おむつ替え、家事……以下省略。
睡眠ってなんだっけ? と思うくらいまとまって眠ることはできない。
杏は夜中、寝かしつけてからだいたい三時間したら必ず泣く。まるでアラームが設定されているかのように。
小さな手、小さな爪、小さな鼻、小さな目。可愛い。可愛い以外に何もない。
だけど、眠りたい。寝たい。眠い。
フラフラしながら洗濯物を干していると、また玄関のドアが閉まる音がした。
いってきます くらい言ってくれないのかな。
学は杏に対して興味がないようだ。いてもいなくても特に変化はない。
本当に同居人になってしまったのだろうか。
生後一ヶ月を過ぎたころからベビーベッドにおろすと泣くようになったので、ずっと抱っこ。抱っこしながらテレビを見たり、抱っこしながら……家事をしようとしたけれど無理だった。泣こうが仕方ないので置く。野菜を切る。気になるからやっぱり抱っこ。でも両手が塞がって何もできないから仕方なく置く。野菜を煮る。泣いている。やっぱり抱っこ……キリがない。
背中スイッチという言葉は本当だ。背中にスイッチがあって布団に置くとスイッチがONになるシステムが内蔵されている。わたしが抱っこしているとスヤスヤ眠っているのにベッドに置くと、スイッチONで泣き始める。
あれ、なんか焦げ臭い……もしかして火事かな。早く消防車を呼ばなくちゃ。何番だっけ?
「おい」
誰、わたしを呼ぶのは?
「おいってば!」
目が覚めた。やはり焦げ臭い。
「お前、危ないなあ。オレが消したからいいけど、鍋が真っ黒焦げだぞ」
その一言ではっと思い出した。しまった! ブロッコリーを茹でている途中で眠ってしまっていた。近くの床で杏が泣いている。
慌てて鍋を見ると得体のしれない黒い何かがそこにあった。
IHでも鍋は焦げる。
「もー、しっかりしてくれよ」
ため息をつかないで。娘の泣き声にも気づかないくらい眠たかったんだよ……。
「んで、ご飯は?」
ご飯? 黒くなったブロッコリーならありますが。
「お前、家にいるだけなんだからちゃんとやれよ。仕事休んでいるんだろ?」
信じられないセリフだった。急に涙が出てきた。
「そんな……、疲れていたから……」
「泣くなよ大げさだなぁ」
焦げた鍋を投げたかったがぐっと堪えた。
学は「首のすわっていない赤ん坊を抱っこするのは怖い」
と言って、杏を抱っこしてくれない。
まだ小さいが、それでも三、七キロの赤ちゃんを抱っこしていると
手首が痛くなる。
お宮まいりはまだ行っていなかった。冬で寒いから春になったら行こうとの
ことで、三月下旬に行く予定になっている。
宮ノ下さんが言っていた言葉を思い出す。泣き声なんてBGMよ、って。
もしかしたらここに子どもが五人いてわちゃわちゃ動き回っていると赤ん坊の泣き声もBGMになるのかもしれないが一人だとすっごく気になる。放っておけないからやっぱり抱っこする。
毎日同じことの繰り返しで、だんだん自分はロボットなんじゃないかと思うようになってきた。授乳ロボット。
パソコンのメール着信音をオフにしていた。なんせ一日に三回は鳴るから
その音が煩わしいと感じるようになって、もう放置していた。
いまは育児が大変だから仕事のことは一旦考えない。と思っていたけれど、あまり放置するといざ復職した時に何言われるかと思って、二週間ぶりに恐る恐るメールを開く。
受信メール 二十七件。 何用だ。
そのうち十三件、ウサギ。黒ウサギ。あいつは黒ウサギだ。
白い毛並みはダミーで皮膚は黒い。頼むウサギ、月に帰って餅でもついていてほしい。
そして地球にはもう帰ってこないでくれ。
メールを読む気にならなかった。
この頃からわたしはだんだん調子が悪くなってきていることを実感していた。
でも一時的なものだろうと思っていた。
カラオケに行って叫んだら元気が出るかもしれないと思ったが、そんな気力もなかった。