☆第九章 お願い、神様。
「おい、大変だ!」
息を切らして走ってきたのは自治会長の寺田さんだった。
「てらちゃん、どうしたんだー?」
それは年末の日曜日の昼下がりだった。
わたしは自治会主催の餅つき大会に出席していた。
夕莉も一緒に行こうと誘ったが、「その日は家族で出かけるねん」と断られてクラスメイトたちと一緒に参加した餅つきで、出来上がったきなこ餅を頬張っていたら、寺田さんがいままで見たことがないくらい汗をかいて会場に現れた。
「長田さん家の車が土砂崩れに巻き込まれた!」
「何だって!?」
二日前、冬だというのに豪雨が降った。雷鳴が轟き、みぞれ混じりの冷たい雨が長時間降っていた。しかし、次の日の明け方には
小ぶりになっていたので、あまり誰も気にしていなかった。
わたしが住んでいる集落から街の方に出るには、古い県道の山道をくねくね進む必要がある。
土砂崩れが発生しないように、コンクリートブロックで固められた県道の一部で工事が行われていた。狭い県道では、対向車同士がすれ違うのにいちいち苦労する。一番狭い区間の道幅拡張工事がなされていたのだが、森林を伐採して弱くなった地盤が流れ落ちたらしい。
「119番は⁉️」
「もちろんした!」
「消防団を呼べ!」
この小さな町には消防署はない。そのかわり、日頃から消防団が活躍をしている。
赤いサイレンを鳴らして現場へと急ぐ小型消防車。
最寄りの消防署からでも、救急車がたどり着くのに約三十分かかる。
レスキュー隊もいつやってくるかわからない。
餅どころじゃない。わたしは全力で走り出した。
「琴ちゃん!」
現場まではおよそ八キロほどある。無我夢中で県道に出て走るが
途中で、叔父の乗る車が追いついた。
「琴ちゃん。気持ちはわかるけど、いま君がいっても危ないだけだ!」
結局叔父に止められた。小学生の力では敵わない。
信じられなかった。虚しく過ぎる時間、ただ両手を合わせて祈ることしかできなかった。
テレビで現場の状況が生中継されていて、町の人たちは釘付けになっていた。
速報で十一歳の少女はまだ息があるとの情報が流れた。
ICUの前で祈り続けた。お願い、神様。夕莉を連れて行かないで!
しかし、祈りが届かず1ヶ月後、彼女は天国へと旅立った。両親は発見された時点ですでに亡くなっていた。
いまも部屋の壁にはマッターホルンのポストカードを飾り続けている。
夕莉、わたし……お母さんになったよ。
霞んだ空を見上げて、彼女に伝えた。