☆第六章 ベビーベットにテディベアは必要ですか?
正月に学の実家に行くと、本当に名前の候補が山のようにあがっていた。
「恵もいいけれど、他にもかわいい名前たくさんあるわよね!」
幸いなのが、その名前がキラキラネームじゃなかったことだ。これで名前は
「
「なんでおふくろが名前決めるんだよ」
そう、それ言ってほしかったやつ。学が初めて言ってほしいことを言ってくれた。
「名前なんて何だっていいだろ」
ズッコケそうになるというかまたショックな一言。
名前なんて何でもいいんだ。何でもいいの? 本当に何でも?
「なんでもよくないでしょう!」
「こらこら、怒るなよ」
「親父もおふくろもうるさいなぁ」
「なんだと?」
正月早々けんかはお辞めください……。わたしは完全アウェイで、重箱の中の黒豆を食べた。
「琴さん、ほらしっかり食べるのよ! 二人分!」
「ありがとうございます……」
いまの時代は、妊婦はあまり太ってはいけない。わたしは身長が百六十センチ、体重は妊娠前が四十八キロと普通体型で、どれだけ太っても十キロまでです。と産婦人科の先生に言われていた。そして現在五十七キロになっている。
いまたくさん食べたら十キロオーバーしてしまう可能性も大だが、そんなことはお構いなしにわたしの皿に次々と料理を盛る姑さん。悪い人ではないんだ。でも……。
わたしはそうっと振り返った。驚くことにベビーベットがそこにある。
「これ、昔ねぇ、学が使っていたのよ。保管しておいてよかったわぁ!」
このベビーベッドをどうやって持って帰ろうか。ベッドがあるのは嬉しいけれど解体するのは誰だろう。
「こんなの車に乗らないよ」
学がそう言う。
「解体したらいいじゃない」
「面倒くさいよ」
息子、面倒くさくても頑張れよ。
さらに何を思ったのか、ベビーベッドの上には巨大なテディベアのぬいぐるみ。
「なんでぬいぐるみなんか買ったんだ?」
「かわいいでしょ?」
嬉しいような微妙なような、とにかく全部なんとかして持って帰らなければならない。
産休に入ってから、オムツやベビー服を購入して、リサイクルショップでベビーバスも購入した。
車の運転はできるが、シートベルトがかなりお腹に食い込むようになっていた。学は協力なんてしてくれないから全部一人で。
そして、産休に入ったのに、会社からメールが何度も届いていた。
『早乙女さん、Aの資料のこの数字ってどういう意味ですか?』
『早乙女先輩、部長が無茶な要求をしてくるので力を貸してください!』
力を貸して下さいとのメールを送ってきたのは、わたしのクッキーをゴミ箱に捨てたウサギだった。毎日はさすがにこないが、三日に一度は必ずメールがやってくる。
それでも返信する。自分はお人好しなのだろうか。
小学五年生の時に初めて女子の集団で電車に乗ってショッピングに出かけた。ど田舎から町への移動は半分旅行である。お昼ご飯を食べるためにドーナツ店に入って、一人の子が、財布を忘れたと泣きそうな顔になっていたので、その子の分のドーナツを買ってあげた。
まだ五年生なので、財布の中には親からもらった千円札と五百円玉しかなかった。
電車はわたしもその子もICカードだったので、乗ることができたが、結局ドーナツ代だけで殆ど使ってしまったので、その後行ったファンシーショップで絶対買おうと思っていたものが買えなかった。
また、中学生の時はクラス委員を決める時に立候補者がいなくて、帰りのホームルームが長引いていたので、帰りたそうにうずうずしているクラスメイトを見ていたら、なんだか手を挙げてしまった。
高校の時には詐欺に合った。
高校のクラスメイトと一度だけ、街に出たことがある。ゲームセンターに行ったら、大学生グループが一緒に遊ぼうと誘ってきた。女四人組に男四人、まるで合コンのようだ、とドギマギしていると隣の男が声をかけてきた。
「琴ちゃんはどのゲームが好き?」
「あ、わたしは……そもそもゲームセンターが初めてで……」
「そっか」
あとから思えば、田舎っぺ丸出しだったのであろう。
男が耳元で「トイレに行くって言って二人でバックレよう」と誘ってきた。
戸惑う……。こういう時どうしたら相手を不快にさせずに断ることができるのか。結局その方法が思いつかず、男の言うとおりにバックレてしまった。
「琴ちゃん最高!」
男は繁華街でわたしの腰に手をまわしてくる。ヤメロ。
「オレさ、ちょっと悩みがあって聞いてほしいんだよね」
着いた先は喫茶店だった。ホテルに連れ込まれたらどうしようとか思っていたのでほっとした。
男は某有名大学に通っている四年生だという。しかし両親が突然交通事故で入院してしまって、学費が払えなくなり、もう四年なのにこのまま卒業できないかもしれないとのことであった。
胸が痛くなったが、自分にできることなんて何もない。
ただ話を聞くことしかできない。と答えたら、投資の話を持ち出された。
投資なんて全く興味がなかったから、わけがわからなかったし、そもそもこんな女子高生がお金なんて持っているわけないし、どうして自分自身でやらないのかと尋ねると、すでにやっているが、ちょっとしたミスで大損をしてしまった。と話す。
知らんわ。と言って帰ろうかと思った。
でもわたしの中のお人好し成分が帰るのをヤメロと訴えてきた。
とにかくわたしは困り果てた。相談する相手を間違っていると言いたかったが、男は幼いころから随分と苦労をしてきたみたいで、いま入院している親は本当の親ではなくて、自分を引き取ってくれた親だと話す。
大学を卒業して、弁護士になって恩返しがしたい。
そんな話されたらさ、協力しちゃうじゃん。
わたしは財布を取り出した。三千円と二百八十円。大丈夫、千円からでも始められるからということで、二千円を渡した。
「連絡先を教えてくれ」と言うのでスマホ……いや当時はガラホの番号を教えた。すると、連日彼から電話がかかってきた。
『ありがとう、助かる。琴ちゃん大好き!』
正直彼はイケメンだった。整った顔でスタイルもよかった。
ほんの少し彼に惹かれてしまっていたのは嘘ではない。実際、付き合っているわけでもないのに、彼と遊園地に行ったこともある。
クリスマスにはまた例の喫茶店に誘われて行くと、素敵なネックレスをプレゼントしてくれた。
お正月を過ぎたころ、彼からの連絡で、大学を卒業できることになったと聞いて、嬉しくなった。しかし、お年玉をもらっていないか? 前にした投資がいい感じだからもうちょっと出したら、大きくなるよ。と言われた。
後から考えたら、どんな投資なのかもっと具体的に聞いておくべきだった。
お年玉は二万円貰っていたのだが、その二万円をそっくり渡した。彼は、ありがとうと言って、帰り道にわたしのほっぺにキスをした。
舞い上がってしまったわたしは年上の彼氏ができたと一人で勝手に浮かれていた。
ある日からメールが来なくなった。不安になって電話すると『おかけになった電話番号は現在使われておりません』のアナウンスだった。
彼を探していた。電車に乗って一時間半。街のどこかにいるんじゃないかと思ってあちこち探したが、やっとそこで騙されたことに気づいた。
彼から貰ったネックレスは、クラスメイトに見せたらこれ三百均に売ってたやつだ。と言われた。