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琴のひびき
松尾月乃
現実世界現代ドラマ
2024年08月19日
公開日
93,165文字
連載中
働く女性は大変! 仕事、家事そして・・・・・・。
会社員の早乙女琴は現在妊娠中の普通の会社員。

マタハラ、モラハラ、何ハラ・・・?
現代社会を切り裂くコミカルでシュールな琴の人生を一緒に歩んでみませんか?

女性向け、共感ポイント多し!

☆第一章 早乙女(さおとめ) 琴(こと)と申します。


 二酸化炭素指数8ぱーせんと。酸素は2ぱーせんと。イコール死のすんぜん。

 そんな謎な方程式が頭の中で完成する。


満員のバスは今日もぎゅうぎゅう詰めだ。近頃は物価が上がって市販のお菓子とか、気づいたら量が減っていて、箱の大きさに対して中身がスカスカってことがよくあるけど、いま乗っているバスのように、お菓子はぎゅうぎゅう詰めを希望する。

バスの方がスカスカだと感激なのだが、世の中はうまくいかない。


それはともかく、優先座席は何のためにあるのか。

いま座っているのは大学生と思しき二人と年配の男女二人。もちろん大学生だからといって必ず健康というわけではなくて、二人とも病気や怪我を負っているのかもしれない。

だが、通勤途中に一度も席を譲ってもらったことがなかった。いつも持っているカバンには「赤ちゃんがいます」と記されたピンクのかわいいキーホルダーをつけているが、そのカバンも残念ながら、人の圧力でもみくちゃにされている。


あと一週間だから仕方ない。大学前のバス停でたくさん人が降りて、優先座席が空いた。ああ、やっと座れると思ったが、隣には明らかに腰の曲がったおばあさんがいた。

「座りますか?」

 わたしがそう尋ねると、「ああ、ありがとう」とおばあさんはゆっくり腰をおろした。その間にもう一つの席はサラリーマン風のおじさんに獲得されていた。

 これも運動だ。妊婦だってしっかり運動しなければ。そう思い、足を踏ん張る。


 わたしは早乙女琴、三十二歳。

陰キャか陽キャかどっちか選べと言われたら、前者寄り。

心の声は結構激しい。

言いたいことが言えないことがしばしば。


『前のおっさん、加齢臭半端ねぇ!』

『おい若者、スマホばっかり見てないでまわり見ろ!』

『運転手、何か運転荒くない? 教習所で教わらなかったのか三段ブレーキを』

『女子校生の諸君、恋バナ楽しそうね。でも声ウルサイ』


そんな私はお人好しってステッカーを背中に常時貼っていてもいいんじゃないかと思うくらい多分、お人好し。

え? 偽善者だって? そんなわけないよ。本当にいい人なんだから。

心の声がキツイ? いいじゃん別に誰にも聞こえないからさぁ。


『あーあ、座りてぇ。わたしゃ妊婦だよそこどきな』


そんなわたしの心の拠り所は、野々村カイトというV(ブイ) tuber(チューバー)とカラオケである。

V tuberは可愛い女の子がキホン。なんてことはない。イケメン男子で美声の彼の歌声にドハマリしているが、チャンネル登録者数なんと百二人である。

世の中の女子たちはリア充に溢れているのか、カイトの魅力にまだ気づいていないようだ。

え、自分も妊婦だしリア充じゃん! と言われたらそうでもないのよこれが。



 会社前のバス停で降車したら、寒風が頬を叩く。

バスの中の暖房と汗と体臭とその他何かの匂いが混ざりあった、もわっと空間に比べたら、まだ寒風の方がマシである。

 街路樹のイチョウが最期の葉をハラハラと落とす。


 始業は九時からと至って普通。大学卒業後に新卒で入社した食品会社に勤めて今年十一年目。一週間前に三十二歳の誕生日を迎えたわたしは、去年、主任に昇進していた。

 えっ? 誰いまババアって言ったの? 三十路は確かに過ぎたけどさ。肌はピチピチよ。ストッキングの踵の部分が時々やぶれるけど。


入社する前からなんとなーく知っていた社名ではあるが、実際入ってみて分かったのは、パック詰めのお惣菜に、思っていた以上に添加物がたくさん使われていること。


裏を見れば何が入っているのか分かるけれど、原材料名のところに『アミノ酸等』と記されている。入社する前は、アミノ酸ってなんだろう程度にしか思わなかったけれど、実は化学調味料もアミノ酸等に含まれていると知った時は、等って漢字は恐ろしいと感じた。


はじめのころは添加物をたくさん使用している会社なんて大丈夫かなと不安になったけれど、スーパーで他社商品を念入りにチェックしてみると、みんな使っている。

赤信号、みんなで渡れば怖くない的な? 

彩り、日持ちを重視するのは日本では、添加物はなくてはならない存在だとわかってきた。


まぁ、分からなくはない。さつまいもの甘露煮が黄金色に輝いていたら美味しそうに見えるし、黒豆は羨ましいくらい輝いている。

シワという言葉は許されないくらいツルツルの豆がおせち料理に入っていたらやはり美しいものだ。


なんだかんだで、田舎から都会に出て独り暮らしをしているわたしは、一時期の不安など忘れてカップ麺を週一で食べていた。


 会社でいつものデスクにたどり着き、カバンを置いてパソコンの電源を入れた。

軽くメールチェックをしているとあっという間に時計は八時五十五分。

始業前の挨拶は部署ごとに分かれて行われるが、毎日社員が順番に挨拶をするのが恒例行事となっている。

これは上の立場の人間から新入社員まで全員まわるので、いままで何度挨拶をしたかわからない。正直ウザい。


単純に「おはようございます!」だけではダメで、何か面白いエピソードやいま、自分がハマっていること、時事ネタなど何か話さなくてはならない。

 無理じゃね? わたしら皆、芸人でもコメンテーターでもない。


 商品開発部はぜんぶで十八人。部長、課長、係長、主任、平社員たちが一斉に起立する。


「おはようございます。今日は一冊の本を紹介しようと思って持ってきました」

 一冊の本を両手で持つ。

『はじめまして赤ちゃん』というエッセイ本です。著者の方は五回、流産を経験した後六回目の妊娠でようやく赤ちゃんを出産することができました。しかし、産まれてきた子はダウン症でした。このエッセイでは、妊娠から出産まで、そして出産後の親子の関わりが繊細に描かれています。おすすめなのでよかったら読んでみてください。それでは今日も一日、頑張りましょう!」


挨拶を終えると、十八名は一気に動き始める。

たぶん、いまの本に興味を持ってくれた人はいない。そう悟った。


社員数は九十九名。あと一人採用したらピッタリ百になるが、来年度の新卒は八名入社予定らしいので、百七名となる。


「別にピッタリ百にしたら何かいいことがあるわけじゃないけどね」


 同期入社で人事部に所属する鞠子まりこはそんなことを言っていた。


「それよりも八人じゃ少ない気がするんだよね~。だってさ、新入社員のうち半数は一年以内に辞めるじゃん」


そうなのだ。ブラック企業ってわけでもないとは思うのだが、経理部や営業部ではパワハラが問題になっていると聞いた。


 パワハラ、モラハラ、セクハラ、マタハラ、世の中はハラスメント地獄である。そんなものまでハラスメント? と言いたくなるものもある。

スメハラ(スメルハラスメント)なんて本人の意思とはあまり関係ない気がするのだが、テレビでワキガの人がスメハラ扱いをされていて、単純にかわいそうだと感じた。

ワキガを治せるほどの金持ちならいいけど、治せない人がハラスメント扱いされても困ったものである。


そんなこと言って自分がスメハラ犯人だったらどうしよう。

トイレで自分のワキの匂いを嗅ぐ。

フローラルな匂い。

 早乙女琴のワキからは美しい花々が咲き乱れたような香りが……ちがうちがう。単純にフローラルな香りのする汗止めを使っているからだ。

 スモハラ、テクハラ、ああハラヘッタ。


 いまのところ商品開発部は大丈夫だが、鞠子と同じく同期入社した朱音あかねはマタハラが原因で会社を辞めた。


朱音もわたしと同じ商品開発部だったのだが、当時のハゲアガリ部長頭がハゲていて、名前が安賀里(あがり)さんという名だったので皆こっそりそう呼んでたが女性の妊娠に全く理解のない人で、入社二年目の二十四歳で妊娠した朱音に対して、


「会社を舐めているのか?」

「何のために会社に入ったんだ?」

「つわりなんて気の問題だろう」


と彼女を追い詰めて、退職に追い込んだ。


そんなに妊娠してほしくないなら、会社の規約に『入社後、最低でも五年は妊娠を禁ずる』とでも書いていた方がいい。

 法律でも会社の規則でも、妊娠してはならない。なんて文字はどこにもない。何歳で結婚しようが妊娠しようが自由ではないか。


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