1
その姿を現した〈ゲート〉は、虹色に光る渦のようだった。
大きさと距離ははっきりしない。
直径は数メートルくらいにも見えるし、何十メートルもあるようにも思える。地上からの高さも、すぐ近くにあるようでいて、何百メートルも先にあるようにも感じられる。
光の渦は無数の細い線からなっていて、それは刻々と色を変えながら回転し、中心に吸い込まれて真っ黒い穴になっている。
それは美しいと同時に、ひどく禍々しい
「イッチ!」
ジョージの声でオレは我に返った。
庭の入り口にジョージと碇屋さんがいた。
「こいつが〈ゲート〉ってやつかよ……」
碇屋さんが呆然とつぶやいた。
「終わりだよ。この世界は滅びる……」
「どういうことだ?」
「イッチ?」
オレのつぶやきに、碇屋さんとジョージがこっちを向いた。
「ウラドが〈ゲート〉の魔力の流れを調整して、固定化してしまったんだ。この〈ゲート〉は破壊不能の完全体になってしまった!」
「マジかよ!」
オレ、ジョージ、碇屋さんは空に渦巻く〈ゲート〉を見上げた。
「もう終わりだ……」
むこうの世界から流れ込む魔力で、地震、竜巻、暴風、すべてを塵に変える魔力の嵐…あらゆる天変地異がオレたちの世界を襲う。
それは科学でも、ミナの帝国の魔法でも止めることはできない。
そしてウラドの計算では、五〇年ほどでオレたちの世界は消滅する。
「いいや、まだ終わりではないぞ。ハジメ」
隣で力強いミナの声。そして彼女の手が、オレの肩に置かれた。
その瞬間、オレとミナの霊体がふれあい、重なった。
ミナの霊体は、前に見た時以上に美しく輝いている。
第五の霊鎖を解いたからだ。その光は神々しいくらいなのに、やわらかく、温かだった。
「よく見ろハジメ。〈ゲート〉はまだ完全体ではない」
「ほんとだ!」
霊体の接触による感覚共有で、ミナが見ている世界がオレにも見えた。
無限の暗闇を貫く光の糸──世界と世界の間にあるヴォイドの闇を貫いて、光のトンネルが二つの世界をつないでいる。これが〈ゲート〉か。
よく見ると、二つの世界、双方から伸びている光の糸は、ギリギリのところでつながっていなかった。
トンネルはまだ開通してない。〈ゲート〉はまだ完全体じゃないんだ!
「一か八か、私があの中に飛び込み、〈ゲート〉がつながる前に破壊する」
そんなことして、ミナは大丈夫なのか?
オレはそう言おうとした。けど、言えなかった。
ミナが、オレをまっすぐ見ていた。
強い決意…覚悟の眼差しだった。
「また力を貸してくれ、ハジメ」
「ああ、わかったよ」
ミナの覚悟に応える。そのためにオレも覚悟を決めた。
「碇屋さん」
「オレ?」
「これからどんな大災害が起きるかわかりません。住民の避難をお願いします」
「お、おう!」
碇屋さんはスマホを取り出すと、鎚田さんに連絡を入れた。
「ジョージも。できるだけ遠くに離れろ」
「ここまで来てそれはないだろ、イッチ」
そう言うとジョージはタブレットを取り出した。
「さっき鎚田署長のアドレス聞いといた。実況中継して避難の参考にしてもらう」
どすん、と地べたに座り、ジョージはタブレットのカメラをオレたちに向けた。
「ジョージって、クソ度胸あるよな」
思わず、苦笑してしまう。
「ジョージには世話になりっぱなしだったな」
「なんの、ウチのおばばに付き合っていただいたお礼です」
ジョージにミナはうなずき、オレを見た。
「行くぞ!」
ミナは剣を手に空高く舞い上がり、〈ゲート〉へと飛び込んだ。
2
「私の剣に、ハジメの魔力を集めるんだ!」
ミナの声が、オレの霊体に届く。
彼女の姿は〈ゲート〉に飲み込まれて見えないけど、第五の霊鎖を解いたミナと第二の霊鎖を解いたオレ、二人の間でなら苦も無く霊体テレパシーが可能なのだ。
それは声だけでなく、ミナが霊体で見ているものまでも、オレに伝えていた。
ミナを飲み込んだ〈ゲート〉を見上げ、オレは意識を自分の内に流れる力に集中した。
──E=mc2。
自分の一部──質量を魔力に変換するオレのスキルだ。とりあえず髪の毛を一本、魔力に換えてミナへと送る。
ミナは光の渦の中を、どこまでも落下してゆく。
時空間を越えた存在である〈ゲート〉の中には上下も前後もないのだから、正確には落下ではない。
でも、光の渦の中、どこまでも突き進んで行く感覚は、「落下」というのが一番近いのだ。
「来たぞ。〈ゲート〉の結節点だ」
ついにその場所にミナが到達した。
双方から延びたトンネルの先が、一つにつながろうとしている場所だ。
二本の縄が一つにつながろうとしている…そんな姿に見えた。縄の繊維一本一本が魔力の流れだ。
ミナは、そのつながろうとする先端を破壊しようというのだ。
「はぁあああッ!」
気合いと共にミナが剣を結節点に突き立て、切っ先から魔力を放った。
太いワイヤーみたいな魔力の流れに、ミナとオレとの魔力が叩きつけられ、火花のようなものが散る。
バツンッ! という衝撃が走り、太いワイヤーみたいな光の糸が弾け飛んだ。
「やった!」
「いや、まだだ!」
オレの叫びが終わらないうちにミナが言う。
別の魔力の流れがつながり、新たな結節点となっている。
オレが魔力を生み出し、ミナの剣に集める。
「せいっ!」
ミナがその剣を振るい、結節点を破壊する。
二つ目の結節点を破壊するには、一つ目より多くの魔力が必要だった。そして破壊した直後に、三つ目の結節点が生まれていた。
キリがない!
オレとミナが破壊しても、次から次に結節点が生まれてくる。しかも三つ目より四つ目、四つ目より五つ目と、発生する時間が早くなり、破壊に必要な魔力が増えている。
しかも、問題はそれだけじゃなかった。
「ぐっ…!」
ミナが苦鳴を上げた。
「ミナっ! 霊鎖が…!」
霊体リンクしている今、それがわかった。
ミナの第六の霊鎖が解けようとしている!
「あちらの世界から流れてくる魔力を浴びているからな…このままでは、ウラドの二の舞だな」
霊体の損傷と霊鎖が強引に解かれる苦痛の中、ミナが苦笑する。
〈ゲート〉が開かれる時、魔力の流入が起きる。
ミナはその魔力の流れにいるんだ。短時間なら霊体を活性化させ、霊鎖への影響をカットできるけど、結節点の破壊に全力を注いでいるミナにその余裕はない。
このままじゃ、ミナがウラドみたいに消滅してしまう!
そして〈ゲート〉は、今まさに完全体になろうとしていた。
3
「でやぁあああ!」
身体が崩壊する苦痛の中、ミナは剣を振るい、〈ゲート〉の完成を食い止めていた。
オレはミナを助けるため、魔力を生み出し、彼女に注ぐ。
でも、オレたちの力はあまりに小さかった。二つの世界をつなぐ魔力の流れには逆らえない。
それでもミナはあきらめない。
流れこむ魔力で霊鎖が引きちぎられ、身体が崩壊する激痛の中でも戦うのをやめない。
……流れ?
ミナと霊体がリンクしているオレには、彼女の身体にぶつかる魔力の流れがわかる。
その流れは一つだけだ。魔力の流れは、あちらの世界からだけで、オレたちのいるほうからはない。
──そうだ!
「ミナ! ストップ!」
ひらめいたことがあって、オレは叫んだ。
「オレたちの力では〈ゲート〉を破壊するのは無理だ」
「しかし──」
「聞いてくれ!」
ミナが何か言おうとするのを遮ってオレは叫んだ。
「だったら、もう一つ、こちらから〈ゲート〉を開くのはどうだ?」
オレはジョージを振り返った。
「ジョージ! 二つの世界で開いた〈ゲート〉を一つに結び、互いに魔力が流れるようにするんだ。うまく行くと思わないか?」
「魔力を流体と考え、一本のパイプの中を流すというわけか? たしかに流体ならパイプ内で均等に流れ、圧力の差とかは発生しない…はずだ」
「つまり、オレたちの世界が押し負けて、こっちにだけ魔力が流れこむことはないってことだよな?」
「魔力が、水とか流体と同じ振る舞いをすると仮定してだぞ?」
ジョージが念押しする。
「ミナはどう? この考えは」
「………やはりそなたは知恵者だな、ハジメ。それしか方法はない」
少しの沈黙のあと、ミナが言った。
霊体をリンクしているオレには、彼女が微笑んでいるのがわかった。
「魔力を注ぎ続けろ! 私がもう一つの〈ゲート〉を開く」
ミナは結節点から離れ、〈ゲート〉の出口──オレたちの世界のほうへと戻った。
「私の存在を感じているか?」
「うん」
「私の技量では〈ゲート〉を作ることはできない。故に、この内側から〈ゲート〉を逆転複写する方法をとる」
つまり、〈ゲート〉のトンネルの中で、〈ゲート〉を反転コピーするって感じだろうか。
「はじめるぞ!」
ミナが叫んだ次の瞬間、空に浮かぶ虹色の渦に魔法陣が現れた。まるで〈ゲート〉にフタしたみたいに見える。
あれを目標に魔力を送ればいいんだな。
「集中するからな。霊体のリンクは声のみにするぞ」
「わかった!」
オレは呼吸を整え、上空の魔法陣に集中した。
オレたちの頭上にある〈ゲート〉は、いうなれば一方通行の出口専用ドアだ。こちらからもう一つの〈ゲート〉を開くことで双方向のドアにするのだ。
魔力を注ぐと、魔法陣がゆっくりと回転しはじめた。よく見ると、〈ゲート〉の渦と逆方向、時計回りに回っている。
「うわっ!」
魔法陣、いや〈ゲート〉から稲妻が放たれた。
上空に、そして地面に、いくつもの稲妻が放たれる。
「これは!」
「〈ゲート〉を開く際、空間の歪みで様々な現象が起きる。注意しろ!」
ミナからの声が届く。その直後、地面が揺れはじめた。
「地震だ!」
震度は四かそれ以上はある。さすがにこわい。
「イッチ!」
ジョージが叫んで空を指差した。
〈ゲート〉が変化していた。
虹色の光が明滅しながら、逆方向に、ミナが生み出した魔法陣と同じ方向に回転していた。
うまくいってる!
そう思いながら、オレは不安を感じた。
何か、大事なことを忘れている…そんな気がしてならない。
4
「集中を切らすな、ハジメ!」
「うん!」
ミナの声に我に返り、オレは魔法陣に注ぐ魔力に集中した。
「これがうまくいったら、姫の世界と行き来できるな、イッチ!」
地震の地鳴り、ふりそそぐ稲妻の轟音の中、ジョージが言った。
「そうか! 〈ゲート〉が双方向になったら、ミナと別れなくてすむんだ!」
「……その通り、だな」
ミナの声に笑みが混じる。
「碇屋さんが、お土産に団子を持って来てくれたんだ。ミナ、団子は食べたことないだろ? これが終わったら食べよう」
「ああ…楽しみだな」
稲妻が走り、風が巻き起こる。大地が揺れ、それにあわせて家がガタガタと音を立てる。
でも、霊体での会話には問題ない。
「ハジメと、もっと多くの場所に行ってみたいな」
「いっぱい行こうよ」
ミナと一緒にいられる! その前には、荒れ狂う嵐も地震も、オレは気にならなかった。
どこがいいだろう。……そうだ!
「映画はどうかな? 爆音上映っていうすごいのがあるんだ」
「それは…興味深いな」
……うん?
ミナの声に違和感を感じた。
「……他には、どこに連れて行ってくれるのだ?」
「う、うん」
なんだ、この違和感は?
ミナから霊体リンクで届く声…反応が少し遅くないか? それに、気のせいか声に力がないような……。
「IKEA…家具の大きな店なんだけど。そこ、ソフトクリームとか軽食も売っていて楽しいんだ」
「ソフトクリーム…とはなんだ?」
「うん、牛乳から作るアイスクリームの一種で──」
その時、オレは重大なことを見落としていたことに気づいた。
「ミナっ! もしかして霊鎖が!」
こちらから〈ゲート〉を開くということは、あっちの世界から流れこむ魔力に加え、こちらの世界からの魔力にもさらされるということだ。
二つの世界から流れこむ魔力で、ミナの霊鎖は解けてしまっているんじゃ!
「どう…した? アイスクリームと…は、どんなもの…だ?」
ミナの声は静かだった。
それで気づいた。
もう、手遅れなんだということが。
ミナは第六の霊鎖だけでなく、もう第七の霊鎖まで解けようとしているんだ。
「ミナっ! ゴメン! オレ気がつかなくて!」
「なん…のこと、だ?」
ミナはとぼけている。
オレを悲しませないために。オレが罪悪感を抱かないようにするために。
オレが二つの世界を〈ゲート〉でつなげる作戦を話した時、ミナはもう覚悟を決めていたんだ。
二つの世界からの魔力で、自分という存在が消滅する覚悟を。
「あ、アイスクリームって言うのは、牛乳を甘くして、冷やしてお菓子にしたものだよ」
「なんと! 氷菓…なのか。私の世界では、製法が途絶えて…いるんだ。これが終わったら、必ず…連れて行くんだ…ぞ?」
「絶対、連れて行くよ!」
涙が止まらなかった。
でも、泣いちゃダメだ。ミナの最後の思い出は、楽しいものでなきゃ!
「スカイツリーや遊園地、映画村…他にも、いっぱい…連れて行きたいとこがあるんだ」
「全部、行こう…な」
オレは涙を拭いた。でも、後から後から、涙があふれてくる。
「そうだ…
「ミナぁ…!」
「集中を…切らすな。そなたは…すぐ動揺する……」
「こんな時に冗談を言うからだよ」
いきなり、辺りが静かになった。
空を見上げると、青空の中、虹色に光る渦が浮かんでいた。
ミナが開いた〈ゲート〉だ。
それはとてもキレイで、禍々しい存在ではなかった。
「成功したのか、イッチ?」
タブレットを抱えたジョージが言った。
「ああ」
「姫は? 〈ゲート〉から出てこないぞ?」
虹色の〈ゲート〉が、ぐにゃりと歪んだ。また涙が……。
「ミナは、もういない」
第二の霊鎖を解いた今だからわかる。こちらの世界にも、〈ゲート〉の中にも、ミナの気配は消えていた。
ミナは、いなくなってしまったんだ…!