1
ミナが復活したと同時に、オレたちの頭上にあったスプライトは消滅していた。
禍々しい冷たい風が消え、初夏の風が戻って来た。気のせいか、日差しも明るくなったように思える。
「おのれ、今一歩のところで!」
ウラドが歯ぎしりする。
「貴様がすべての元凶だったとはな」
ミナの右手に、彼女の大剣が出現した。魔法で召喚したんだ。
「〈ゲート〉を始末する前に、成敗してくれる!」
ミナが剣を手に、ウラドにゆっくりと近づく。
ウラドが下がる…と、その目が「なんだ?」というふうに細められた。
「覚悟!」
ミナが踏み込んだその時、ウラドは後ろに大きく飛び退いた。
「ええっ!?」
オレは思わず声を上げた。ウラドの身体が屋上の柵を越え、その向こうに落下したのだ。
飛び降り自殺? とオレが思ったのも束の間、ウラドのコートが黒い大きな翼に変化した。ヤツはそれを羽ばたかせ、飛び去って行く。
「ミナには敵わないって逃げたか」
「いや、違う!」
つぶやいたミナが、がしっとオレの肩に手を回した。
「えっ?」
「追うぞ、ハジメ!」
「ちょ…!」
何か言う前に、オレの身体はミナと共に空高く飛び出していた。
「ひょえええええ!」
地上一三〇メートル以上の高さを飛ぶ。目もくらむ高さとはこのことだ。恐怖でミナにしがみついてしまう。
残念というか幸いにもと言うべきか…今のミナは甲冑を着ているため、密着しても困った場所を触ることはない。ていうか甲冑が痛い。
「何があった? イッチ」
イヤホンからジョージの声。
ウラドとの戦いでも、奇跡的にイヤホンは外れていなかったんだ。
「ウラドが逃げた。ヤツは──」
駅はオレたちのうしろにあるから、
「ヤツは北のほうに飛行中だ」
「飛行って…! イッチは?」
「ミナと…あとクマちゃんと一緒に追っている」
気がつくとクマちゃんがオレの足にしがみついてた。
「お前たちも飛んでいるのか!? いいなぁ」
ジョージが叫ぶ。
そんないいものじゃないぞ。生身で、むき出してで空を飛ぶのは。寒いし、あとすげぇこわい。
「碇屋さんに連絡を頼む」
「了解だ!」
碇屋さんに連絡するため、ジョージの通話が切れた。
「ウラドはどこに向かっているんだ?」
飛行速度は時速六〇キロくらいか。強い風の中にいるみたいで、オレは大声で尋ねた。
「あれだ」
ミナがウラドの進行方向を指差した。
遠くに、ゆらめく赤い光が見えた。
「スプライトがもう一つ!?」
「〈ゲート〉が現れようとしている。私とウラドをこちらの世界に飛ばした〈ゲート〉が!」
さっきタクロスビルの上に現れたスプライトは、ミナを〈ゲート〉に変える魔法、その前兆として現れたものだ。
その前、赤い稲妻の魔力嵐の時に現れたスプライトと空間の歪みは、ウラドがオレたちの危機感を煽るために生み出したものだった。
それとは別の、最初の〈ゲート〉ともいうべきものが現れようとしているのか。
場所は駅からみて北のほう、いやもう少し西よりで……。
……あれ?
「こっちにあるものって…まさか!」
「そうだ。〈ゲート〉は、ハジメの家に現れようとしている」
な、なんだってぇ?
2
オレは頭の中で地図をイメージした。
ミナがこっちの世界に現れた場所は、駅の南東にある繁華街。その北西に、異世界の青い花と陸自ヘリが墜落した国営公園がある。その二つを結ぶ直線をさらに伸ばしてゆくと、オレの家があった。
たしかに、〈ゲート〉はオレの家を目指して移動しているみたいに思える。
「でも、なんでオレの家に? そんな偶然ってある!?」
いや不運だ。災難だよ。
なんで買ったばかりの新居に、世界を滅ぼす歪みがやって来るんだ!
「偶然ではない。〈ゲート〉はマナウェルが変化したもの。マナウェル同士は引き合い、一つになろうとする性質があるんだ」
「オレの家にマナウェルがあるっていうの? あっ、修行に使ってる携帯型のマナウェル!」
あれか? あれに引き寄せられているのか!
「そうではない」
ミナは苦笑し、
「そなたがマナウェルなのだ」
と、とんでもないことを言った。
「オレが…マナウェル? 魔力の井戸?」
「そなたは膨大な魔力を生み出す才がある。そなた自身がマナウェルなのだ。〈ゲート〉はそれに引き寄せられているのだろう」
声も出ないオレに、ミナは微笑んだ。
「思えば、私がハジメの家にやってきたのも偶然ではない。ハジメに眠る強い力に、無意識に引かれていたのだろう」
移動する〈ゲート〉。そしてミナがオレの新居にやって来たこと。すべては一つにつながっていたのか。
ウラドが降下をはじめた。もうオレの家はすぐ近くだ。
「どうするの?」
「ウラドを成敗する。その後、〈ゲート〉を破壊する」
ミナがウラドを追って降下する。
ミナのいた世界でマナウェルが〈ゲート〉になった。だから破壊するには、ミナが向こうにゆく必要がある。そして〈ゲート〉が破壊されれば、ミナとはお別れだ。
ミナもオレもそこには触れなかった。
言葉にしたら、またつらくなるから。
「来たか!」
庭に降り立ったウラドが、憎々しげに叫んだ。
その前に、オレとミナが降り立った。
「貴様のような輩を、帝国に還すわけには行かぬ」
静かに、でも断固とした決意を込めてミナは言い、剣を構えた。
邪魔にならないよう、オレとクマちゃんは二人から少し距離を取った。
「止められますかな?」
ウラドが言うのと同時に、ミナが踏み込んだ。
ウラドが左手の人差し指と中指を揃えて立て、それをミナに向けた。
ヤツのコートが大きくはためいたかと思うと、ウラドの身体から離れ、巨大な黒い鳥に変化した。
あのコートは魔物だったのか!
翼長四メートルはある巨大な化鳥がミナに襲いかかる。
しかしミナは止まらなかった。踏み込んだ勢いのまま、上段から剣を振り下す。
「ギョェエエッ!」
ミナの剣に一刀両断された魔物が断末魔の叫びを上げる。ミナは両断した化鳥の間を通り抜け、
「ハァッ!」
ウラドに剣を叩きつけた。しかし──
ギィンッ! と鋭い音が上がり、ミナの剣がはじき返された。
「バカな…!」
オレは目を疑った。
ミナの渾身の剣を、ウラドは揃えた二本の指ではじき返したのだ。それも、軽々と。
「どうなっているんだ?」
思わず叫んだオレに、ウラドが冷たい笑みを浮かべた。
オレは背筋が寒くなった。ヤツから目に見えない、圧力のようなものが押し寄せて来る。
見た目は変わっていないが、以前、クマちゃんに殴られ、頬を押さえていたヤツとは別人だった。
「貴様、やはり力を隠していたな」
ミナがウラドをにらむ。
「賢者は力をひけらかさないものです」
ミナがウラドに斬りかかる。それをウラドは二本の指で軽々といなす。
「くっ」
連続してミナが剣を振るう。空気を切り裂き、大きな剣の連続技がウラドに襲いかかる。
しかしそれをウラドは片手一本で、そして一歩も動かず、ことごとく防いだ。
「ふんっ」
ミナの攻撃が止まった瞬間、ウラドの手が軽く横に払われた。剣で受け止めたミナだが、衝撃で何メートルも後ろに吹っ飛ばされた。
「ミナっ!」
転倒こそ免れたが、ミナは片膝をついていた。
あのミナが、まるで歯が立たない!
オレは自分の目が信じられなかった。
「私はこの地で無為に過ごしていたわけではない。〈ゲート〉を開く研究の傍ら、マナウェルから魔力を浴び続け、力を高めてきたのだ」
「まさか──」
「そうだ」
蒼白になったオレたちに、ウラドは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「私は第六の霊鎖を解いている。人が到達できうる最高の高みにいるのだ!」
覚醒の第六段階! ミナでさえ第四段階だっていうのに…!
オレは、絶望で目の前が真っ暗になるのを感じた。
こんなヤツ、どうやったって勝てないじゃないか!