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#56.千載一遇のチャンス



     1



 ミナがこの家を出てもう戻らないと知ったクマちゃんは、オレの代わりに見送ろうと考えたようだ。


 黒スーツの女がミナの服を取りに来たのを見て、千載一遇のチャンスだと紙袋の一つに潜り込んだのだった。


 そして紙袋に潜んでいると、とんでもない会話が聞こえてきたのだ。


「長い…本当に長い道のりでした」


 ウラドが大きく息をついて言った。


「お主は三〇年ほどもこちらの世界にいたのだったな。親しき者たちと別れはすませたのか?」

「親しき者? そんな者はいませんよ」


 ウラドの声には、ミナを小馬鹿にしたような雰囲気があった。しかしこの時のミナは気がつかなかった。


「こちらの人間は、第一の霊鎖も解けぬ下等な存在ですよ。サルと同じです。サル!」


 ウラドは大げさにため息をついた。


「サル共の中に三〇年あまり…我ながら、よく正気を保っていられたと思いますよ。だがそれも今日で終わり。ようやく還ることが出来る。──貴女のおかげでね」

「それはどういう──」


 いきなりミナの声が途切れた。


 おい! どうなっているんだ?


 オレが心の中で叫ぶと同時に、視界が明るくなった。クマちゃんが紙袋から頭を出したのだ。


 ミナが魔法陣に拘束されている!


 リムジンの後席に座るミナ。その座席の背もたれに、光る魔法陣が現れていた。その模様は、前にベアードを拘束する際にミナが出したものと同じだった。


「何の…まね…だ?」


 絞り出すようなミナの声。


「おやおや。この封印の陣に捕らわれて口がきけるとは、さすが帝国の皇女。剣聖の称号を持つだけのことはある。期待通り…いえ期待以上です」


 ミナの向かいの席で嘲笑うウラド。


「私はね、最高の魔法使いになりたかったのです。そのためにマナウェルを開き、その魔力で霊鎖を解こうとした。だが当時の私は未熟でマナウェルが暴走、〈ゲート〉となってしまった」


 それって…!


「こちらの世界に飛ばされて三〇年あまり。サル共の中で、私はこちら側から〈ゲート〉を開く方法を模索していた。そこに貴女が現れたのです!」

「一連…の異変も…!」

「左様。すべて私が仕組んだこと」


 ウラドは邪悪な笑みを浮かべた。


「すべては私が帝国に帰還するため。貴女なら〈ゲート〉の素体にふさわしい」


 前にミナが言っていた。古代の禁忌魔法に、人間を用いて〈ゲート〉を開くものがあると。その〈ゲート〉に変えられた人間は消滅する、と。いわば〈ゲート〉の生贄だ。


 ウラドはミナを生贄にして〈ゲート〉を開こうとしているんだ!


 そんなことさせるか!


 オレが思うのと同時に、クマちゃんが紙袋から飛び出した。


 やれ! ウラドのその邪悪な顔面に一撃を──


 ええっ?


 オレは目を疑った。いや自分の目じゃないんだけど。


 クマちゃん必殺のパンチがウラドに炸裂する直前、ヤツの顔の前に小さな光る魔法陣が現れたかと思ったら、次の瞬間、クマちゃんはリムジンの外に放り出されていた。


 テレポートさせられた?


 驚きで受け身もとれず、クマちゃんは落下。道路で二度、三度とバウンドしながら転がった。


 早く! 早く立ち上がってくれ!


 痛みはないけど、衝撃でクマちゃんは目を回していた。


 回復したクマちゃんが立ち上がった時、ウラドのリムジンは遠くに走り去り、見えなくなっていた。



     2



「ミナが危ない!」


 クマちゃんとのリンクを切り、オレは叫んだ。


「姫さんが危ないって、どういうことだ?」


 碇屋さんが戸惑った声を上げる。


「ウラドがミナをさらったんです。これまでの異変──公園のヘリ墜落、さっきの赤い稲妻、全部ウラドが仕組んだことだったんですよ」


 そこまで話して、碇屋さんが刑事だということを思い出した。


「警察でミナを捜してください。ウラドはミナを〈ゲート〉に変えて、元の世界に還るつもりなんです」

「ちょっと待ってくれよ。今の話し、証拠はあるのかい?」

「オレがクマちゃんの感覚を通して──あ、クマちゃんというのはあの動くヌイグルミです。それで車の中でウラドが話しているのを聞いて……」


 碇屋さんの顔がしかめられた。信じてくれてない。


「世界の危機なんです! ウラドはオレたちこっちの世界の人間をサルだと見下している。ヤツが〈ゲート〉を開けたら、この世界は滅びるかもしれないんです」


 言ってから、マズったと思った。

 碇屋さんの顔が「疑わしい」から「何言ってんだこいつ?」に変化したからだ。


 オレの正気を疑われている? いや、オレだって、いきなり世界の終わりとか言い出すヤツがいたら、「あたおか」だって思うだろう。


 ああ、こうしている間にもミナが…!


「とにかく、ミナが危険なんです!」

「あんたの言葉だけでそれを信じろっていうのかい?」

「それは…!」


 そうだった。

 誘拐事件が起きた時、犯人の脅迫メッセージとかがないと警察は動かない。いや動けない。

 ましてウラドは警察上層部をアゴで使うようなヤツだ。


 碇屋さんに信じてもらうにはどうすればいい? 信じてくれたとしても、協力してくれないんじゃ……。


 オレが頭の中でぐるぐるしていると、後ろでクラクションが鳴った。


「ジョージ…!」


 ジョージがミニバンでやって来たのだ。


「おばばから聞いた。いきなり姫が還るって──」

「ミナがウラドにさらわれた!」


 ジョージを遮ってオレは叫んだ。


「なんだと!?」

「ヤツはミナを生贄にして〈ゲート〉を開くつもりだ。最初からそれがねらいだったんだ!」

「乗れ、イッチ! 姫の気配をたどるんだ」


 そうか。ミナの霊体、その気配をたどるという手があったんだ。


 オレとミナは何度も霊体を触れあわせている。彼女の気配をたどれば、どこに連れて行かれたのか、わかるかもしれない。


「よし!」

「ちょっと待ちな」


 オレがミニバンのドアに手を掛けたところで、碇屋さんが声を上げた。

 止める気か? いくら警察でもそんな権利はないぞ。


「姫さんはスマホを持っていたか?」

「え? ええ」


 姫騎士にした後も、スマホはストラップでミナの首から提げられていた。


 碇屋さんは自分のスマホを取り出すと、


「ツチさん、オレだ。姫さんがさらわれたらしい。スマホの位置情報で探してくれ」


 なんと鎚田署長に連絡して探してくれた。


「碇屋さん!」

「ありがとうございます」


 礼を言うオレたちに、碇屋さんは


「オレはファンタジィは嫌いだが、時代劇は好きなんだよ」


 と、よくわからないこと言って笑った。



     3



 オレと碇屋さんが乗り込むやジョージがミニバンを出した。


 取りあえず、ウラドのベンツが去った方角に進むと、しばらくしてクマちゃんを見つけた。

 クマちゃんが乗り込むのと前後して、碇屋さんのスマホに連絡が来た。


「姫さんの現在地が割れた。駅北口、タクロスだ」

「この辺りで一番デカいビルじゃないですか」


 ジョージがうめく。


 タクロスはランドマーク的な高層ビルだ。地上三二階、高さは一二〇メートル以上。一階は様々な店舗と市の施設。二階は駐輪場。三~七階は家電量販店が入っていて、九階から上は分譲マンションになっている。


「三人…クマちゃん入れても四人だけで探すのはキツいぞ、イッチ」

「ウラドは屋上にいるはずだ」


 オレには確信があった。


「ヤツの目的は〈ゲート〉を開くことだ。きっと屋上にいる」

「そういやあのビル、屋上にヘリポートがあったはずだ」


 ジョージが言う。ウラドはきっとそこにいる。


 ほどなく、ジョージの車はタクロスの近くに着いた。


「何があるかわからない。ジョージはここで待機していてくれ」

「気をつけてな、イッチ」


 オレはイヤホンを付け、スマホをハンズフリー通話にしてミニバンを降りた。


「公園の時みてぇな化け物がいたりしねぇよな?」


 碇屋さんが不安そうにタクロスビルを見上げた。

 つられて見上げたオレの目に、それが見えた。


「あれは──」


 ビルの上のほう、空にゆらめく光がある。

 それは微かで、ほとんど目に見えないくらいうっすらとしたものだったけど、第二の霊鎖を解いたオレには見えた。


 ──スプライト。


 空間の歪みが起きる時に現れる発光現象。


 間違いない。ウラドとミナは屋上にいる。

 そしてミナを〈ゲート〉にする儀式だか魔法だかは、もうはじまっている。


「ミナっ!」


 オレは脇目も振らず駆け出した。



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