1
「アイタタタ……」
ランチが終わり、片付けようとしたところで、ばーさんズの一人が腰を押さえて顔をしかめた。
「加藤のおばば、いかがした?」
ミナがそばに行く。
あのばーさん、加藤さんっていうんだ。ミナほんとおばばたちと仲良くなったな。
「腰がね。しばらくは大丈夫だったんだけど…アイタタタ!」
と、顔をしかめる加藤のおばば。
「痛いのは腰だな?」
ミナが左の手の平を、加藤のおばばの腰にかざした。治癒魔法を使うのだ。
もうお尋ね者ではないから、魔法も使えるというわけだ。
「なぁに? おまじない」
痛みに顔をしかめながら笑った加藤のおばば。その顔が、すぐにきょとん、となった。
「……うそ。治っちゃった!」
「うむ。良かったな」
驚く加藤のおばばに、ミナが笑って応えた。
「ホントに?」
「マジでぇ?」
驚きの声を上げる他のばーさんズ。
「ミナちゃんって、気功でも使えるの?」
「まあ、そんなものです」
目を剥いた赤坂のおばばにオレは答えた。
治癒魔法より気功だと言うほうが納得するだろう。
「あたしの肩もいい?」
「あたしは膝が」
他のばーさんズが手を上げる。
みんなどこかが痛いのか。まあ家に例えたら築六〇年以上だし、痛んでいるのは当たり前か。
「ハジメ、そなたもやってみろ」
ミナはちょっと考えてから、オレに向かって言った。
「オレが?」
「修行も兼ねて、日頃世話になっているおばば殿たちにお礼をしよう」
「ハジメくんも出来るの?」
赤坂のおばばと、他のおばばたちが驚きの声を上げる。
「はい! じゃああたしはハジメくんで」
「あたしはミナちゃんに」
と、佐藤、田代のおばばたちが手を上げた。なんだこのノリ。
しかし……
「オレにできるかな」
魔力による治癒…桜の木にやった時は、うっかり花を咲かせてしまったからな。あの後は空き缶で切った自分の指を治しただけだ。
オレの前に、肩が痛いという佐藤のおばばが座った。
「自分の中にある力の流れを感じろ。それを佐藤のおばばに注ぐようイメージするんだ」
魔力で霊体を活性化させ、それで肉体を治癒するんだ。ベアードとの戦いで結界石に魔力をチャージしたのと同じだ。
オレは目を閉じ、呼吸を整えた。
自分の内にある力を意識する……カチリ、と何かがハマる感覚。
目を開くと、佐藤のおばばの後ろ姿が、ぼんやりと二重写しになって見えた。ぼんやりしているのが霊体だ。
オレは霊体の肩に右手の平をかざし、魔力を注いだ。
うっかり注ぎすぎないように、ゆっくり、少しずつ注いでゆく。
「あったかいわねぇ…ぽかぽかしていい気持ち」
佐藤のおばばが、うっとりとつぶやく。
「ふぅ……」
三十秒ほど続けて、オレは息をついた。
「軽くなった! うそみたい!」
佐藤のおばばが、肩をぐるんぐるん回して歓声を上げた。
「良かったです…ね」
一方、オレは消耗していた。
オレの元気というか生命力を、ごっそり失った感じだ。
やはり治癒魔法ではなく、魔力で強引に治すからだろうか。そんなことを思っていると、
「かなり消耗しておるな。効率が悪いようだ」
と、オレの心のつぶやきが聞こえたみたいにミナが言った。
「では、次は効率よく力を注ぐことを意識してやってみよう」
まだやるの? わりとフラフラなんですけど……。
2
「ハジメは霊体の力のみを使っている。だから効率が悪いのだ」
「えっと…内なる力ってそういうことじゃないの?」
オレの問いに、ミナは腕組みし、首をかしげた。
「内にある力とは、霊体と魂のつながりによる…だから……」
ミナはしばらく悩んでいたが、
「すまぬ。うまく言葉にできぬ。第二の霊鎖が解ければ、その感覚は分かるはずなのだが」
と、肩を落とした。
そうだな。霊体を見たり感じたりする感覚は、第一の霊鎖を解いた今だからわかるんだよな。
霊鎖を一つ解くごとに、力量は一〇倍違うって言うし、解いたことで身につく新たな感覚があるんだろう。
リンゴを食べたことのない人間に、その味を、言葉だけで説明はできない。それと同じで、第二の霊鎖が解けないオレには説明できないというわけか。
「ハジメくん」
赤坂のおばばから呼ばれた。
「はい。次はおばばですか。どこが痛いの?」
「そうじゃなくて、あれ」
おはばが、空を指差した。その指差す先にあったものを見て、オレは息を呑んだ。
空中に、炎のような赤い光がゆらめいている。
──スプライト。
〈ゲート〉による空間の歪みが発生した時に現れる発光現象を、オレたちはそう呼んでいる。
スプライトの位置は、オレたちから見て北東の方角、距離は二キロか三キロ…西武拝島線の車両庫か、イトーヨーカドーの上くらいか?
スプライトは、空間の歪みによる異変の前兆だ。
前に出現した時は、陸自のヘリが時空の歪みに捕らえられ、数百メートル離れた国営公園の上空に転移させるファフロツキーズ現象を起こした。
まさか、また異変が起きるのか?
「ミナっ!」
「歪みが増大している! あり得ない早さだ!」
ミナの言葉が終わらない内、スプライトの周囲に真っ黒い雲がわき出てきた。まるでスプライトが黒雲を吐き出しているみたいだ。
一天にわかにかき曇り…という言葉があるが、まさにそれだった。あっと言う間に空は黒雲に覆いつくされてしまった。
夜みたいに真っ暗になった中に光が生まれた。ミナが装備召喚の魔法を使ったのだ。
「ミナちゃん!?」
目の前で姫騎士に
ミナが左手の人差し指と中指を揃えて立て、おばばたちに向けると、その足下に光る魔法陣が現れた。
「防御の結界だ。その中から出ないでくれ」
呆気にとられているおばばたちにミナが言った直後、雷鳴が轟き、黒雲から稲妻が走った。
なんだこの稲妻!? 赤いぞ!!
毒々しいほどに赤い、いや赤黒いというか、そんな色をしている。そんな稲妻が次々と降り注ぐ。
一際大きな轟音! 近くにある畑に落ちたのだ。おばばたちが頭を抱えて悲鳴を上げる。
「──なっ!?」
オレはあやうく悲鳴を上げるところだった。
赤黒い稲妻が落ちたその周辺にあった野菜が、みるみる粉みたいになって消滅してゆく!
それは、とんでもなくおそろしい光景だった。
「ミナ! この稲妻は…!」
「世界と世界の間──ヴォイドから漏れ出た純粋魔力だ。生命体に当たれば霊鎖がすべて破壊され、その身体は消滅する」
さっき落雷した畑を見ると、落雷した場所、直径三メートルくらいの範囲にあったすべての野菜が跡形もなく消滅していた。
ただの稲妻じゃないと思ったけど、そんなおそろしいものだったのか…!
ミナは遠く、渦を巻く黒雲の中心をにらみ、
「力を貸せハジメ。歪みを処理するぞ」
力強く言った。
3
渦を巻く真っ黒い雲。その渦の中心に、スプライトの赤い炎が、オーロラみたいにゆらめいている。
「空間の歪みを、ここから中和できるの?」
「中和するにはもっと接近する必要がある。だが、その時間がない」
剣を握りしめミナが言う。
「ありったけの魔力をぶつけて破壊するんだ」
話している間にも、雷鳴が轟き、赤黒い稲妻があちこちに降り注いでいる。当たれば生命体を塵に変え、完全消滅させる、おそろしい稲妻が。
「でも、スプライトまで二,三キロはあるよ。届くの?」
「ハジメが力を貸してくれればな」
オレを見つめ、ミナが微笑む。
確信と信頼の眼がオレを見ていた。
この眼に答えたい。痛切に、そう思った。
「何をすればいい?」
「ヘリの時と同じだ。私の肩に手を置き、魔力を注げ」
「わかった」
オレはミナの後ろに立ち、両手を彼女の肩に置いた。
手のひらに硬く冷たい鎧の感触…だが、目を閉じ集中すると、すぐに温かいものに触れた。
ミナの霊体だ。
今、オレとミナは霊体で触れあっている。
目を閉じていても、おばばたちが息を呑んでオレたちを見つめていることがわかる。そして、ミナが、左手をスプライト──空間の歪みに向けたことも、目で見ているようにわかった。
ミナは魔力を投射して狙いをつけているんだ。レーザーサイトみたいなものだ。そしてこのレーザーは、照準と同時に歪みの大きさや構造を探ってもいた。
「かなりの魔力が要るぞ、ハジメ」
ミナの霊体から、彼女の意思が伝わって来る。
オレとミナで、こんな量の魔力を生み出せるのか?
歪みを破壊するために必要な魔力量の大きさに、オレはひるんだ。
いいや、弱気になるな! やるしかないんだ。
オレは自分の内にある力に意識を集中した。
カチリ、と何かがハマる感覚。オレはミナに魔力を注入した。
轟音! すぐ近くに落雷したのだ。おばばたちが悲鳴を上げる。
「集中を乱すな」
思わずひるんだオレを、ミナが叱咤する。
そうだ。ビビってる場合じゃない。
オレは意識を内なる力に集中した。
ぐんぐんと魔力がミナに、そして彼女が持つ剣にチャージされてゆく。
「いいぞ。その調子だ」
ヘリを受け止めた時より、オレは格段に成長していた。あの時より、はるかに多くの魔力を生み出すことができる。
必要な魔力量まで注入するんだ。
エネルギー充填二〇パーセント…三〇パーセント……。
ふっ…と意識が遠のいてゆく。
「がんばれ! ハジメ!」
はっ!
力を一気に使いすぎて、気が遠くなりかけていた。意識を失わないよう、小出しに、でも止める事なく魔力を生み出さないと。
エネルギー充填率は…三五パーセントくらいか?
──ハジメは霊体の力のみを使っている。だから効率が悪いのだ。
さっきのミナの言葉が思い出された。
ミナが生み出す魔力はオレよりもはるかに大きい。それは彼女の霊体が、魂と深くリンクし、魂を入り口として高次元の力を降ろしているからだ。
ミナと霊体を触れあわせていることでそれがわかった。
もっと深く、霊体と魂がリンクできれば…!
轟音が二度、三度と炸裂する。近くに何発も落雷している。おばばたちの悲鳴が轟音にかき消されている。
……ダメだ!
今以上に深くリンクできない。
また意識が遠くなって来た。ここがオレの限界なのか…!
エネルギー充填率は…三五パーセントのままだ。
このままじゃ、おばばたちが、たくさんの人が…!
でも、オレの中にはこれ以上の力は──
──待てよ。
内側が無理なら、外側はどうだ? 肉体から魔力を得られないだろうか?
オレの身体の一部を魔力に変換すれば──
その瞬間、目の前が真っ白になるのと同時に、身体の中で何かが弾けるのを感じた。
第二の霊鎖が解けたのだ。
「見事だ、ハジメ」
ミナが力強い笑みを浮かべ、両手に持った剣を振り上げた。
エネルギーの充填率は三〇〇パーセントを越えていた。
溜められた魔力が、剣先から青白い魔力の刃となって伸び、その先端が頭上を覆う黒雲を突き抜けた。
「はぁッ!」
気合いと共にミナが剣を振り下ろす。
長大な──三キロを越える青い魔力の刃が、黒雲を断ち割り、彼方にあるスプライトに叩きつけられた。
ミナの刃は、スプライトを何の抵抗もなくすり抜けた…と思われた次の瞬間、赤い炎がまたたくようにその光量を変化させた。
それは切れかかった蛍光灯みたいだった。そして数秒後、スイッチが切れたみたいに、スプライトはふっと消えた。
「ふぅ……」
剣を振り下ろした姿勢のまま、ミナがかわいい吐息を漏らした。
頭上を覆っていた黒雲がみるみる消えてゆく。一分と立たず、黒雲は消え去り、青空と陽の光が戻ってきた。
異変は去った。
そしてオレは第二の霊鎖を解き、ついでにユニークスキルに開眼した。
それは肉体の一部──質量を魔力に変換するというものだった。
今回、オレは髪の毛を魔力に変換した。
髪の毛一本であっても、質量をまるごとエネギーに変換すれば、それは膨大なものとなる。
こんなスキルが発現したのは、ミナとの誓いでアインシュタインに誓ったからだろうか。
とにかく、オレはこのスキルを、
E=mc2
と、名付けることにした。