1
しばらくは平穏な日々が続いた。
朝はいつも通り魔法修行。
第二の霊鎖を解くべく、小型マナウェルが発生する魔力を浴びる。
マナウェルが起動すると、地面に直径一メートル弱の小さな魔法陣が現れた。
その中に立つと、下からじんわりと温かいものが上がってくるのを感じる。
「足湯か半身浴してるみたいだ。あったかくて気持ちいい」
わき上がる魔力の中、オレは肩幅に足を開いて立ち、目を閉じ、呼吸を整える。そして自分の内面にある力の流れを意識する。
魔力を浴びている効果か、すぐにあの、何かがカチリとはまる感覚が来た。
でも、それだけだ。
第二の霊鎖が解ける気配はない。
「魔力を浴びたら、すぐにパチンっと霊鎖が解けると思ったけど、そんなことはないんだな」
「霊鎖が解ける寸前であれば、そうなったかもしれぬな」
ミナが苦笑する。
マナウェルを使った修行は、ゲームで経験値が多く獲得できるアイテムみたいなものか。レベルを一気に上げるのではなく、レベルUpにかかる時間を短縮するって感じだ。
「強力な──〈ゲート〉に変化するほどのマナウェルの中であれば、簡単に解けるであろうが、その場合、肉体も崩壊する」
「何事もほどほどに、だね」
「その通りだ」
すぐに霊鎖が解けないとわかって、オレは少し安心した。
「どれ、私も入るか」
「ええっ?」
ミナがマナウェルの魔法陣の中に入って来る。その気配に、オレは目を開いた。
マナウェルの範囲は直径一メートル弱。二人の人間が入ると、それはもう身体が触れるか触れないかという距離感になるわけで……。
「どうした? 集中が乱れているぞ」
オレのすぐ近く、目を閉じたミナが言う。
無理言うな。ミナがほぼゼロ距離にいて、動揺しない男なんかいないだろう。
「ハジメの欠点はこれだ。集中が簡単に乱れる」
ほとんどパニックなオレに対し、ミナは平然としている。
「そなたに眠っている力は、大きく素晴らしいものだ。だが集中力が足りぬ故、うまく使えない」
「力か……」
ゲームで言う所のユニークスキルみたいなものだ。
ミナが言うには、早ければ第二の霊鎖を解いた時に発現するらしい。
「どんな力だろう?」
ミナのそれは武器に素早く、大量の魔力を乗せるエンチャント的なものだったよな。
オレのスキルはどんなタイプだろうか?
今のところ、オレはミナが使う魔法に魔力をチャージしたことしかない。いや、ヘリのエンジンを止めたこともあったか。
あれを考えると、防御型のタンク的なポジションのスキルだろうか? 男子的には、ミナみたいな攻撃型であってほしいのだけど。
「それはまだ分からぬ」
「なのに、素晴らしいってわかるの?」
ミナは目を開け、微笑んだ。
「分かるとも。力はその者の本質を現すと言われている。ハジメの力なら、素晴らしいに決まっている」
青い瞳が、オレをまっすぐ見ている。
確信し、信頼している。
「よし、集中だな」
オレは目を閉じ、自分の内に流れる力へと意識を向ける。
オレを見つめたミナの瞳。あの瞳に応えたい。オレはそう思った。
すう……はぁ……すぅ……はぁ……。
目を閉じると、ミナの呼吸音がはっきりと聞こえる。
生々しいというか艶めかしいというか……。
「ハジメ、また集中が乱れているぞ」
オレのスキル開眼…ムリかもしれない。
2
こちらの世界で、ミナに好きなものが二つできた。
一つは、その日の昼食に作ったオムライス。
「大きなオムレツだな。コメやパンはないのか?」
ちゃぶ台に乗せたオムライスを見て、ミナがかわいく首を傾げた。
「ふふふ、まあ食べてみてよ」
「うむ、いただきます」
と、手を合わせてからミナはスプーン手に取り、オムライスへと。
「これは、中に赤いコメが入っているのか。しかしなんという卵だ。ふわふわトロトロで……」
と、そのかわいらしい口にスプーンを運んだ。
…………沈黙。
「あれ? 口に合わなかった?」
一口食べたまま、ミナが固まっていた。
塩か油が多すぎた? そういやオムライス作ったのは久しぶりだし、何かマズったか? と、思っていたら──
「なんという美味! 嚥下するのが惜しいほどだ…!」
と、スプーンを握りしめてミナが叫んだ。
なんだ、気に入ってくれたのか。
「飲み込んだら、次を食べればいいんだよ」
「うむ、そうだな」
と、また一口食べたミナは、
「はふぅ…ハジメは天才だ。このような美味な料理を作れるとは」
と、うっとりつぶやいた。
スーパーで買った卵とケチャップなんだけど。それも特別に高いものとかじゃなく。
なのに、こんなに喜んでくれるなんて。作った甲斐があるってものだ。
「私もこのような料理を作ってみたいな」
「それはダメっ!」
× × ×
もう一つのミナが好きなもの。それは時代劇だった。
ある日、TVで『魔界転生(昭和版)』を放映すると知り、ミナに見せたら、かぶりつきで見ていた。
まあ予想通り、期待通りである。
この映画は、大学時代にジョージに勧められてオレも見たことがある。殺陣もすごいし、キャストも豪華である。
この頃の若い真田広之や沢田研二の天草四郎は男が見ても色気がある。二人のキスシーンとかあるし。
そして千葉真一の柳生十兵衛である。あのカッコ良さは異次元だよ、ほんと。
でも、ミナの最推しはそのどれでもなかった。
「村正どのぉおおおっ!」
ミナの最推しは老いた刀鍛冶だった。
劇中、命を削って刀を鍛え上げ、力尽きて死ぬシーンで、ミナは絶叫、号泣していた。
演じていたのは…丹波哲郎か。昭和版の『日本沈没』やモノクロの時代劇によく出ていた人のようだ。
他にも何本かサブスクで時代劇の映画を見せたけど、最推しはじじいキャラが多かった。
ためしに『ゴジラ』第一作を見せたら、
「博士ぇええ~っ!!」
平田昭彦演ずる芹沢博士が最推しだった。
じじぃキャラではなく、ミナは技術屋、科学者がタイプらしい。
いちいち予想を裏切ってくれるお姫さまである。
だが、それがいい。そこが好きなんだオレは。
3
その日、オレとミナは、赤坂のおばばの手伝いに、国営公園へと出かけた。
「自由の身というのは良いものだな」
タンクトップの上にジャケットを羽織り、ジーンズをはいたミナが言う。
梅雨入り前の初夏の日差しに、ツインテにしたブロンドの髪がキラキラしている。
ミナを見つけた以上、警察はもう彼女を追うこともない。変装のため髪を染める必要もないというわけだ。
暴力団をボコしたけど、相手が訴えない以上、傷害事件とはならなかった。
銃刀法違反とか、自販機を壊したこととかもあったけど、それらは超法規的に処理されておとがめナシになった。
碇屋さんたちの様子からすると、魔法だ魔物だのに日本の警察も法律も対応していないからうやむやにしたい…というのが本音じゃないかと思う。
剣を持ち歩かないことだけ約束させられたけど、ミナには問題ではない。装備召喚の魔法でいつでも変身…もとい、取り寄せることができるのだから。
そんなわけで、オレはミナとのびのびお出かけできるようになったのである。
──国営公園北側ゲート前。
「あら、ミナちゃんの髪!」
おばばとその仲間たちが、ミナの髪を見て目を丸くした。
「事情があって染めていた。これが本来の髪なのだ」
「キレイねぇ」
「うんうん、こっちのほうが断然いいわよ!」
と、ばーさんズがミナの髪に、きゃいきゃいと老けた黄色い声を上げる。
その後、オレたちは、昭和時代の農家を模したという『こもれびの里』へと向かった。
ここには農家の建物だけでなく、田んぼや麦畑、野菜畑、梅園などがあり、昭和の暮らしを見るだけでなく、農業を体感できる施設となっている。
オレとミナは、その野菜畑の手伝いに呼ばれたのだった。
畑とその周辺の雑草を抜いたり、水をやったり。
ミナは土に触れることも虫にも抵抗がない。黙々と、そして楽しそうにミナはおばばたちを手伝った。
あっと言う間に昼になり、みんなでランチとなった。
「あの池みたいなのはなんだ?」
「あれは田んぼ。お米を作る場所よ」
「なんと! コメは水の中に生えるのか!」
素直に驚くミナを、ばーさんズが微笑ましく見つめた。
「しばらくしたら田植えのイベントがあるのよ。ミナちゃん、ハジメくんも一緒にどう?」
「そうだな」
ミナがオレを見た。
まだオレの第二の霊鎖が解ける気配はない。解けたとしても、〈ゲート〉への対応がいつになるかわからない。
「田植えは来週か再来週くらいだろう。まだ、大丈夫だと思うよ」
胸の奥が苦しくなるのを感じながら、オレはなんとか笑った。
そう、ミナとの別れは、そんなすぐにやって来ない。
オレは、そう信じていたんだ。
でも──