1
スナック『あかり』は、立川駅南口の繁華街にある小さな飲み屋だ。
内装と雰囲気は「昭和っぽい」と言われているが、オープンしたのは平成11年、一九九九年である。
表通りから少し外れていることもあり、満員になることはあまりなく、客の多くは常連だ。
その夜、やって来た年配の男二人も常連であった。
「あら、お久しぶり」
「ご無沙汰だね」
ママに迎えられた二人は、いつものように隅のボックス席に腰を落ち着けた。
この二人は一〇年以上前からの常連だ。ただし来るのは二、三ヶ月に一度くらい。一人で来ることはなく、いつも二人でやって来ていた。
「ツチさんはハイボール、チョーさんはビールだっけ?」
「今日は強いのがいい」
「ボトルと氷と水持って来てくれ」
「あら、珍しいわね」
この二人が警察官だと知っているのはママだけだ。彼女は「仕事で何かあったかな」と思ったが、口には出さなかった。
「ごゆっくり」
鎚田がキープしている
「「お疲れ」」
グラスをカチンと合わせ乾杯する。鎚田署長は濃いめの水割り、碇屋刑事はロックである。
署長とヒラ刑事という立場上、二人はプライベートで飲みに行くことは控えていた。
それでも今回のように、酒でも飲まないと話せないことはある。そんな時、二人はこのスナックに来るのである。
この店で二人の警察官は立場も階級も忘れ、幼なじみに、四〇年来の親友に戻る。ここは鎚田と碇屋にとって隠れ家のような場所なのだ。
「なんか気が抜けちまったなあ。チョーさん」
対象が見つかったことで、〈姫騎士〉捜索は終了した。
ほっとした一方、脱力感も感じていた。
「異世界だ魔法だ姫騎士だなんて、頭がおかしくなりそうだ」
ストレートを一気に飲み干し、碇屋がため息をついた。空のグラスに鎚田がウイスキーを注ぐ。
「浦戸啓介…ヤツは何者だ?」
グラスに口をつけかけ、碇屋が尋ねた。
「表向きは実業家だ」
鎚田が言う。
以前、鎚田は碇屋と共に捜査支援分析センター(SSBC)を訪ねた際、副総監と浦戸を見かけていた。
副総監の媚びへつらう態度から、鎚田は〈姫騎士〉捜索の命令は浦戸から出ているのでは…と考え、調査していたのである。
「警備会社、セキュリティシステムの開発、あとデータセンターや投資会社も持っている。もっともデータセンターや投資会社は海外だが」
「いかにもな天下り先だな」
碇屋が鼻を鳴らす。
定年退職後、警察官の再就職先は様々だが、キャリアなどの幹部クラスは、警備会社やセキュリティ関連の企業が多い。
表向きは知識、ノウハウを買われてのこととされているが、要は天下りである。
「ヤツが警察の記録に登場するのは三〇年くらい前だ」
「オレらが新米の頃か」
阪神の震災、銀行の破綻、メジャーリーグで日本人投手が活躍、オウム真理教……碇屋の頭に、その頃の記憶が蘇った。
「ウラドは指定暴力団にいたようだ」
2
ウラドが裏社会に関わっていた。しかし碇屋は驚かなかった。
「密入国だからな。おまけに国交もない。知り合いどころか同郷の者すらいない。裏社会と関わるのは、まあ当然か」
「どのくらいの期間、組にいたかは不明だが、ヤツは相当儲けさせていたらしい。あと未確認だが、競合する外国人ヤクザをつぶしたとの噂もある」
碇屋は、公園に現れた巨大な目玉の化け物ベアードを思い出した。
どうやってあんな化け物を生み出したのか知らないが、あんなもの操れるなら、組の一つや二つ、簡単につぶせるだろう。
「魔法使いがヤクザのシノギに関わり、用心棒かい。そんなヤツがよく警察に取り入ったな」
碇屋はウイスキーを一口飲んだ。
アルコールが回る感覚はあるが酔う感じがしない。
「いや、組から警察に乗り換えたのか?」
「さすがチョーさん。警察に協力して組を壊滅させたんだ。その時に知り合ったのが──」
「副総監だな」
「違う。今の警視総監だ」
「……マジか」
そういや現総監は、ヤクザキラーの異名を持ち、異例の速さで出世したと評判だった。
出世の影に魔法使いがいたのか。
「だが待てよ…その事件ならオレも覚えているが、魔法使いが捕まったって話しは聞かねぇぞ? ウラドはどうなった?」
「ウラドが犯罪に関与したことを立証できなかったんだ」
鎚田もグラスをあおり、苦笑した。
「チョーさん、あんたウラドを取り調べたとして、魔法だ異世界だと調書に書けるか?」
「無理だ。ていうか、そもそも信じねぇな」
碇屋は自分の目で魔物を目にし、銃弾を撃ち込んだ。
だが、少し時間が経つと、あの目玉の化け物は夢だったんじゃないかと思ってしまう。
ヤクザが「あの男は魔法でシノギに貢献し、外国人ヤクザを始末した」なんて言ったら、クスリをやってた、で片付けただろう。
ちなみに同じ理由で、ウラドがベアードに命じて起こしたと思われる竜巻の被害も有耶無耶にされている。
この国の司法も警察も魔法には無力だ。ファンタジーな事件を想定していないからだ。
「つまり、そういうことだ。ウラドは密入国者で、生きるため、組で仕方なく働いていた…そんなストーリーで決着した」
「警察幹部に貸しもあるしな」
碇屋はまた一口、ウイスキーを飲んだ。
「しかし別の世界の人間が、どうやって戸籍を手に入れたんだ?」
「意外にも、本人が言うとおり、法は犯していない。退官した警察庁のキャリア浦戸俊一の養子に入ったんだ」
「戸籍の上では
碇屋が驚きの声を上げた。
「ヤツが養子に入って三週間後、養父俊一は死んでいる」
「おい?」
まさかウラドが? と、碇屋は疑った。
「ヤツが養子に入った時、養父俊一は末期ガンだったらしい」
「寿命か…そんな状態で養子縁組したのかよ。よく家族がゆるしたな」
「その家族を聞いたら、驚くぞ」
鎚田がニヤリと笑った。
「ヤツが養子に入った浦戸家だがな、長男が総務省のキャリアだ」
「へぇ」
「長女の旦那は警察庁の次長」
「ぶっ!」
碇屋はウイスキーを吹いた。
3
むせる碇屋に、鎚田が水割り用のミネラルウォーターを差し出す。
警察庁次長は、警察庁長官に次ぐ、日本警察のナンバー2だ。そして次の長官になる者が就くポストでもある。
「ウラドは警視庁のツートップを従えているだけでなく、警察庁のナンバー2──いや次期長官にもつながりがあるのか」
ペットボトルの水を飲んで落ち着いた碇屋が言う。
「まだある。次女の旦那は与党本部の事務総長──政治家ではないが、与党の事務経理の最高責任者だ」
「与党の金庫番かよ」
党本部の事務総長は、選挙の際、誰にどのくらいの資金を出すかの決定権を握っているという。つまり与党の議員でこいつに逆らえる者はいない。ある意味、総理大臣以上の権力者だ。
碇屋は、酔うどころか背筋が寒くなって来た。
「長男、それと娘婿二人の出世スピードが上がったのは二〇年前。ウラドが養子入りして浦戸啓介となってからだ」
「長男も娘の婿たち二人も、魔法使いウラドによって出世していったのか」
「カネの力か、魔法の力かは分からんがね」
つまり、浦戸ファミリーは、ウラドの手下といっていい。
碇屋はベアードに操られ、ミナに発泡した警察官たちを思い出した。
二人の警官たちは発砲したことも、碇屋に殴り倒されたことも覚えていなかった。
手下でなくとも、ウラドは他人を操る能力を持っている。
そんなヤツが警察、総務省、与党の金庫番──治安と権力の中枢に食い込んでいるのだ。
ウラドがその気になれば、政治家を動かすことも、警察を手先に使うことも可能なのだ。
「妖怪…いや、魔王と言うべきか」
鎚田はつぶやくと水割りをあおった。
陰の権力者を妖怪と呼ぶことがあるが、ウラドは魔王という呼び名がふさわしいだろう。
ウラドは、日本の権力の中に君臨する魔王だ。
「オレたちは魔王の手下の手下で、姫をさらおうとしていたってわけか」
碇屋は自嘲気味に笑った。
「ウラドは、元の世界に還るため、姫の力が必要だって言ってたよな。ホントだと思うかい?」
真剣な顔に戻って碇屋が言う。
「他に目的があるってのかい?」
碇屋のグラスがからになっているのを見て、鎚田はウイスキーを注いだ。
「そんな気がする。ヤツの半生を聞いたせいかもしれねぇが」
「チョーさんのカンは当たるからなぁ」
ウイスキーを注いでいた鎚田の手が止まった。
「チョーさん、まさかウラドの身辺を探る気か?」
「そこまで無謀じゃねぇよ」
グラスを上げ、碇屋は注がれるウイスキーを止めた。そのためグラスに注がれたウイスキーはツーフィンガーを少し越えたくらいで止まった。
だが今の話し、姫さんに話しておいたほうがいいかもしれねぇな。
心の中でつぶやいて、碇屋刑事はグラスのウイスキーを一気にあおった。