1
高級車から降り立ったウラドは、今日も長いコートをまとっていた。
「なんというお姿! それは貧民が着る服ですぞ!」
ジャージ姿のミナを見て、ウラドが叫んだ。
ドラッグストアで買ったジャージだけどさ。貧民はないだろ。庶民と言えよ。
でも、姫騎士のミナには、スポーツ用品メーカーのものを買うべきだったかもしれないな。
「動きやすいでな。不都合はない」
まったく気にしてない感じでミナが答えた。
「すぐに姫にふさわしいお召し物を手配いたします」
「よい。私は剣に生きる者。公式の場に出るでなし、服などこれでよい」
「左様でございますか」
ミナに断られ、ウラドは取り出したスマホをしまった。
「何かあったのか?」
緊張した様子でミナが言う。
こいつが来たということは〈ゲート〉になんらかの動きがあったのかもしれない。オレも緊張したのだが──
「姫に贈り物をお持ちしました」
プレゼント持って来ただけかい。おどかしやがって。
ウラドの後ろから、やはりスーツ姿の男が進み出た。秘書か何かだろうか。手にジュラルミンのアタッシュケースを持っている。
「役に立つ魔法具をいくつかと。その材料です」
ウラドが言い終わる前に、秘書がアタッシュケースを開いて見せた。
アタッシュケースの中身は、複雑な模様を描く金属線が入っている水晶のかたまりが二つ。それと何も入っていない水晶のかたまり、アルミや金の小さなインゴットがいくつかあった。
「これは〈ゲート〉の感知器か。見事な出来だがお主が作ったのか?」
「はい。お褒めいただき恐悦に存じます」
ウラドが頭を下げた。
そういやこいつ、マナウェルの魔法技師だって名乗ったな。
「これは、小型のマナウェルではないか」
ミナが螺旋状の金と銀の線が入った水晶を手にして言った。
「マナウェルって、ヤバいものじゃないのか?」
マナウェルは魔力が湧き出す井戸みたいなもの。暴走すると異なる世界をつなぐ〈ゲート〉になるってシロモノだ。
「マナウェルには二種類あるんだ。世界に穴を開ける大がかりなもの、そして周辺の魔力を集約する小型のものだ。これは後者だ。湧出する魔力の量は少ないが安全だ」
「マナウェルにも色んなタイプがあるんだ」
例えるなら〈ゲート〉になるヤツは大規模な発電所で、こいつは家庭用のソーラーパネルみたいな感じかな。
「この者の第二の霊鎖を解くまで姫は還れぬとのこと。マナウェルから魔力を浴びれば、早く霊鎖を解けるでしょう」
ウラドが言う。
「オレの霊鎖を解くために?
コイツが来た理由はこれか。オレの霊鎖をさっさと解いて、ミナを連れて行こうっていう魂胆か?
「でも、霊鎖を強引に解くのはヤバいんだよね」
オレは第一の霊鎖を解く時、それをやって死にかけた。いやミナに言わせると「身体が崩壊する」ところだったのだ。
「出力をしぼり、時間をかければ問題ない。私も第三の霊鎖を解く際にこの手を用いた」
と、ウラドが言う。
「ほんとに?」
オレはミナを見た。
「ウラドの申すことは本当だ。第一の霊鎖を解く前と第六の霊鎖を解いた後では危険だが、今のハジメには有効だろう」
「では、早速使いましょうか」
ウラドがずいっと前に出た。
今からマナウェルを使い、第二の霊鎖を解くのか?
2
「待ってくれ」
ミナが手を上げ、ウラドを制した。
「ハジメと誓いを交わしたのは私だ。修行をどう進めるかは私が決める」
「左様でございますか……」
ウラドは引き下がった。すごく不本意、という顔をしている。
「それでは、修行に役立ててくれたまえ」
ウラドは秘書からアタッシュケースを受け取ると、オレに差し出した。
反射的にオレが受け取ると、
「皇女相手に夢をみるな」
と、小さな声で言った。
ムカっときて、思わず、ウラドをにらみ返すと、ヤツは冷たい眼でオレを見下ろしていた。そこに──
「おぶっ!?」
ウラドの顔に、クマちゃんのキックが炸裂した。
「な、ななにをする?」
蹴飛ばされた頬を手で押さえ、ウラドが叫ぶ。
なんか弱々しい。強キャラかと思ってたけど、そうでもないのか。
「これっ」
ミナがクマちゃんの首の後ろをつかみ、第二撃を阻止した。猫みたいにぶら下げられたクマちゃんがジタバタする。
「修行用に作ったもので気が荒いのだ。許せ」
「で、では私はこれにて……」
頬を押さえながらウラドは早足で車に乗り込み、去って行った。
「覚醒は第三段階といったところか」
ウラドを見送りながらミナがつぶやいた。
「ていうと、第三の霊鎖を解いた段階。ウラドの実力はミナの一つ下って感じか」
前にミナは第四の霊鎖を解いたところだって言ってたからな。
「覚醒の段階は一つ違えば大違いだぞ。一つ段階を上がると十倍は強くなる」
「そんなに!」
「例えば、私は覚醒の第四段階だ。父上そして近衛騎士の中には第五の霊鎖を解いた者たちがいるが、私など子ども扱いだ」
悔しそうにミナが言う。
グリムリやベアードと戦うミナは、無敵、無双という感じだった。そのミナが子ども扱いだなんて信じられない。レベルが一つ違うとそんなに違うのか。
「相手が魔法使い──剣とか武術の素人でも?」
「ふむ、宮廷付きの賢者にも第五段階に覚醒した者がいたな。試したことはないが、なんとか互角というところだろうな」
ちょっと懐かしそうにミナが言う。
「ミナが苦戦する姿なんてイメージできないよ」
「私など、帝国ではやっと上級者の入り口に立った程度だ。目標は最高ランクである覚醒第六段階だが、まだまだ遠いな」
自嘲気味に言ってミナは小さなため息をついた。
「最高は第六の霊鎖を解くことのなの? 霊鎖は七つあるけど」
ふと疑問に思った。
「前に言ったはずだぞ。霊鎖がすべて解かれるとその生命は失われるのだ」
あ、そうだった。霊鎖は肉体、霊体、魂を繋ぎ止めているんだった。
霊鎖は肉体を安定して存在させるためにあるが、この状態では肉体のみの力しか発揮できない。
霊鎖を解放してゆくことで肉体に霊体の力を加え、高次元の力を使うことが出来るようになる。──これが魔法だ。
「第七の霊鎖を解くと、肉体、霊体、魂の結びつきが壊れて世界に拡散、消滅するんだっけ」
「そうだ。肉体──物質を生命たらしめているのは魂の存在だ。魂と肉体をつなぐのが霊鎖だ。その霊鎖がすべて解かれれば、肉体も霊体もその存在を維持できず崩壊し拡散、消滅する。賢者たちはこれを世界に溶ける、という言い方をしている」
さっきのマナウェルの使用で、「第一の霊鎖を解く前、第六の霊鎖を解いた後では危険だ」というのはそういうことだったのか。
「ごく稀に、霊体と魂を融合させ、完全な霊的存在──高次元の知性体になるものがいるがな」
「ひょっとして、それが神?」
「その通りだ。もっとも、そのような存在はごく稀だ。ここ五千年は現れていないな」
ミナはそう言うと、
「ハジメは第一の霊鎖を解いた。今ならマナウェルからの魔力を浴びても害は無い。早速、使ってみるか」
小型のマナウェルを掲げて見せた。
「ミナはオレの修行が早く終わったほうがいいのか?」
意識する前に、オレの口から言葉が漏れていた。
「誓いだからな」
当然だと、即答するミナ。
ミナとオレとは、魔法を教えるだけのつながりなのか。
「どうした? 望んだのはハジメではないか」
──皇女相手に夢を見るな。
ウラドの言葉がよみがえった。
わかっている。それはわかっているんだ。
「第二の霊鎖が解けたらミナは還ってしまう。オレは、ミナと離れたくない」
ぐちゃぐちゃの感情が言葉になってあふれ出てしまう。
「それは──」
「ミナのことが好きだから…!」
言ってから、自分が何を言ったのか気づいた。
一世一代の告白をこんな形で言うなんて…!
すごく後悔した。でももう止まらなかった。
「ミナはオレのこと、どう思っているんだ?」