1
ウラド言うところの「あばら屋」に、オレたちは帰ってきた。
「お風呂沸いてるから、お先にどうぞ」
建物は古いが風呂は最新のエコキュートを導入している。帰る前にスマホのアプリを使い、沸かしておいたのだ。
「うむ。では遠慮無く」
と、ミナは浴室へと向かった。
茶の間にはオレとジョージの二人が残された。
「イッチ、お前、姫のことを」
脱衣所のドアを閉める音がした後、ジョージが言った。
「うん……」
オレはミナが好きだ。もうそのことは隠しておけない。
「厨二が思い描く姫騎士そのもので巨乳。それにあの萌えボイスだからな」
「うん、そう──って、そういうことじゃない!」
肯定しかけて、慌てて訂正する。
たしかに、バスタオル姿やシャツと下着だけの姿を見た時とか、腕を組んだ拍子に胸のふくらみが当たった時とか、いけない事考えたのは一度や二度じゃないけどさ。
それだけじゃないんだよ。
「身分違いの恋か」
マジな顔になってジョージが言う。
「定番すぎて笑うよな」
自分で言って落ち込んでしまった。
オレは容姿、家柄、能力どれをとっても平均かそれ以下だ。
宝くじで一〇億当てたけど、ウラドみたいに警察幹部をアゴで使えるようなヤツとくらべたら庶民と変わらない。
そんなオレが、ミナとつりあうはずがない。
ミナは女の子としての魅力はもちろん、皇女で、帝国の剣聖なのだ。
「定番というなら、低スペ男子が姫騎士をモノにするのはお約束だがな」
「現実は二次元とは違うよ。あと、ミナでそういうネタを言うな」
ジョージの軽口に反論する。
その後、しばらく無言の時間が流れた。
「ミナはいつか元の世界に
「そうだな……」
二度目の沈黙。
今度はジョージもしんみりとしてしまった。
ミナは元いた世界に還る。それは確定していたことだ。
だから、それまでの間を大事にしよう、そう心に決めた。
でも、いきなりウラドが現れ、ミナが還る時が間近になって、そんな決意は揺らいでしまった。
自分のヘタレさに情けなくなる。でも──
──どうしようもないんだ。この気持ちは。
「良い湯であったぞ」
そこに、ミナが風呂から出て来た。
「それでは、自分はこれで」
吹っ切るように言ってジョージは立ち上がった。
「今日は助かったぞ。ジョージ」
「お褒めにあずかり、恐悦至極」
軽いノリでジョージが頭を下げる。
「そうだ。おばばが姫に会いたがっています。都合の付く時にお越しいただければ幸いです」
「うむ。もうお尋ね者ではなくなった。気兼ねなく会いに行けるな」
と、ミナはオレに笑顔を向けた。
でもオレは
「うん」
と、気のない返事をすることしかできなかった。
× × ×
──翌朝。
いつものように魔法修行がはじまった。
「どうしたハジメ? ひどい顔だぞ」
「なんか寝不足で」
風呂から上がったあと、急に疲労が襲ってきて、おれは早々に布団に入った。
でも、眠れなかった。
ウラドの登場。ミナが還ること。
それらが頭の中でぐるぐるして、眠れなかったのだ。
ベアードとの戦いで身体はヘロヘロになのに、眠ることができなかった。
「ミナはよく眠れた?」
「うむ。やはりハジメの家は落ち着くな」
と、笑って言った。
いつも通りのミナだ。
もうすぐ──それがどのくらいすぐなのかわからないけれど、ミナはこの家を出て、元の世界に還る。
そのことに、何の感情もないのだろうか。
オレは、ミナがいなくなることを考えただけで、胸が苦しくなるのに。
──ミナは、オレのことを何とも思っていないのだろうか。
2
「昨日の今日だからな、今日は激しい修行はやめておこう」
オレの胸の内も知らず、ミナはそう宣言した。
「どんな修行?」
「かくれんぼ、だ」
…………。
あまりのことに
「かくれんぼって…あの、かくれんぼ?」
ミナとかくれんぼするのか? いや、楽しそうだけどさ。
なんてことを考えていると、
「この家のどこかにクマちゃんが隠れている。それを見つけるのだ」
と、言った。
なんだ相手はクマちゃんか。
ちょっと上向いた気分が急速降下してしまう。
「ただし、ハジメはここを動いてはならぬ」
「へ? どゆこと?」
探しに行かずに、どうやって見つけるんだ?
「精神をクマちゃんとリンクし、感覚を共有するんだ。感覚の共有が出来れば、クマちゃんが見聞きしているものから彼がどこにいるか分かるだろう」
「ハトの時みたいに? でも、オレもクマちゃんも水晶とかつけてないけど?」
あの時は、オレとハト、両方の頭に、存在がつながった水晶をつけていた。親石と子石だったか、それでリンクできていた。
「忘れたのか? クマちゃんはハジメの霊体をコピーしてあるのだぞ。魔法具の親石と子石の関係と同じだ。ハジメが集中すればリンクは可能だ」
強制マリオネット、操られ人形…クマちゃんに身体を操られて、格闘技の型稽古をさせられた。昨夜はケガで動けない状態で、アクロバットをさせられた。
あれは一方的なものだと思っていたけど、双方向で、五感の共有もできるのか。
「わかった。やってみるよ」
オレは目を閉じて、意識を広げた。この家のどこかにいるであろうクマちゃんの存在を探す。
感覚を広げると、ミナの存在をより強く感じられた。
ミナの息づかい、ミナの体温、そして、彼女の霊体から放たれるオーラのようなものが感じられる。
……キレイだ。
ミナの霊体が放つオーラ、これが彼女の魔力なんだろう。
色にたとえるなら金色だけど、その輝きの端には青や赤、緑の色が現れては消える。
──王者の輝き。
そんな言葉が頭に浮かんだ。
ミナの魔力の輝きは美しく、強い。でも強いだけでなく、あたたかさも感じられて……。
「……探す相手が違うのではないか?」
「はッ」
ミナのちょっとカタい声に、オレは思わず目を開いた。
「もしかして、わかっていた?」
「私の霊体にハジメが触れるのを感じたからな」
困ったような笑顔でミナが言う。
「ご、ごめん」
「謝罪より修行だ。クマちゃんを探せ」
「う、うん」
オレは再び目を閉じ、意識を広げた。
ミナの存在を感じたみたいに、クマちゃんの存在を探す。
……なんとなく、ぼんやりとだけど存在を感じた気がした。
少しして、オレの身体の内で、何かがカチッとつながった感覚があった。
……見えて来た。
光が見えてきた。
クマちゃん、あのヌイグルミのプラスチックの眼と、オレは視覚を共有しているのだ。
はじめはぼんやりとした光しか見えなかった。それがだんだんと見えてくる。思い切りボケたカメラのピントが、少しずつ合ってゆく感じに似ている。
もうすぐ、ヤツが見ている景色が見えそうだ。
やればできるじゃないか自分。このぶんじゃ第二の霊鎖を解くのも時間の問題だろう。
──ハジメの魔法修行が完遂せぬうちは還ることはできない。
──この契約は、ハジメの修行が完遂するか、どちらかの命が尽きるまで有効である。天が落ち、地が裂けようとも違えることなし。
ミナはオレが魔法を使えるようになるまで…第二の霊鎖を解くことができるまで、還れないと言った。
つまり、第二の霊鎖が解けないうちは、ミナは還らないんだ。
じゃあ霊鎖を解かなければ、彼女はずっと……。
「ハジメ」
「はッ!」
ミナに名前を呼ばれ、オレはぎょっとなって目を開けた。
なんてこと考えていたんだオレは?
我ながらヘタレに過ぎる。
いや、もしミナに、今のオレの感情を知られていたとしたら…!
恥ずかしさのあと、恐怖が押し寄せて来た。
そんなことになったら、いたたまれない。
「ハジメ」
またミナに名前を呼ばれた。
でもオレは、こわくて彼女のほうを見ることができずにいた。
「ウラドが来たぞ」
「ええっ!?」
思わず顔を上げた。
いつ来たのか、庭の手前に黒い高級車が停まっていた。
ドアが開き、コートを翻したウラドが降り立った。
あいつ…何しに来たんだ?