ここで時間は少し遡る。
ハジメとミナが赤坂のおばばを見舞いに病院を訪れていた頃。太刀川署の鎚田署長に、警視庁副総監から電話が入った。
「
唐突すぎる情報であり、命令だった。
「どこからの情報ですか?」
「答える必要はない」
鎚田の問いに、副総監は短く言った。返答ではなく拒絶だった。
「彼女の情報があるなら、もっとこっちに上げてもらえませんか」
「君たちに渡せる情報は以上だ」
食い下がる鎚田を無視して副総監は電話を切った。
腹は立つし、色々不可解だが命令は命令だ。鎚田はすぐに碇屋刑事を署長室に呼んだ。
「──てなことなんだよ、チョーさん」
「ロクな情報もよこさずに、手配しろもねぇもんだ」
碇屋は不機嫌に鼻を鳴らした。
「ありゃ副総監もよく知らないとみたな」
碇屋が来るまでの間、鎚田署長の頭は冷えていた。その冷えた頭で分析したのだ。
「それなら所轄じゃなく公安を使えばいいだろう。いや、とっくに動いているのか?」
「おそらくな」
公安の捜査官が所轄の縄張りにいたことが分かるのは、たいてい事後である。でなければ公安と所轄でトラブった時だ。
「副総監も詳しいことを知らされない案件か。ヤバい気配がするぜ」
碇屋がつぶやいた。
警察上層部どころではない、もっと上──政治がらみの案件だろうか。
「しくじれば左遷。成功してもいいことはなさそうだ」
「イヤなヤマに関わっちまったなぁ」
碇屋はボヤきながら、竜巻の被害で封鎖された地区へと向かった。
× × ×
碇屋と部下たちが封鎖地区に来た頃、すでに日は沈んでいた。
碇屋は作業服を着て、ガレキの片付けやライフライン復旧を行う作業員たちに紛れていた。封鎖地区の外側には制服警官たちを配置、待機させている。
「碇屋だ。今配置に着いた」
「こちら岡下。全員、配置完了です」
スマホで部下の岡下刑事に連絡を取った。
碇屋がいるのは封鎖された通りの西の端、竜巻が発生した場所の近くだ。岡下は反対側、竜巻が消滅した東の端にある交差点付近にいる。
ついでに岡下はデシタル嫌いの碇屋に代わり、グループメッセージで連絡、報告をする役割を担っていた。
〈姫騎士〉が現れたら、岡下が連絡を入れ、封地区の外に待機させている警官たちが入り身柄を確保する。そういう段取りだ。
「今回も、怪事件あるところ〈姫騎士〉あり、ですね」
スマホからの岡下の声に、碇屋はため息をついた。
ここで起きた竜巻もまた不可解な竜巻だった。今回は、鑑識や科捜研だけでなく気象学者も頭を抱えているようだ。
「アニメ好きな連中の間では噂になってますよ。〈姫騎士〉が怪事件を起こしているんじゃないかって」
「くだらねぇこと考えてねぇで、もっと重要なことがあるだろうが」
「なんです?」
アニメ好きな連中ってのはコイツもだろう、と碇屋は思った。
「〈姫騎士〉の目撃者が少なすぎる件だ。情報のほとんどはカメラの映像。あんな目立つナリしてるのに、目撃者が極端に少ない。お前らは疑問に思わねぇのか?」
そうなのだ。〈姫騎士〉を捉えた防犯カメラの映像はそこそこある。なのに、その周辺で聞き込みしても目撃者がほとんどいないのだ。
あの銀の甲冑姿は言うまでもなく、変装していても〈姫騎士〉は目立つ。
あの美貌、あのプロポーション、それにあの立ち振る舞いだ。わずかな接触であっても記憶に強く残るはずだ。なのに、カメラの映像に比して目撃者の数はあまりに少ない。
「車に乗って逃げたって情報がありましたよね。そのせいでしょ?」
不可解な壊され方をした自販機。近くの駐車場のカメラが、一瞬だけ〈姫騎士〉の姿を捉えていた。
あれは珍しく目撃者が何人もいた現場だった。
「あれもおかしな現場だよな。目撃者たちは揃って銀色の甲冑姿だったって証言した。だが、オレが見た映像じゃジャケットにホットパンツ姿だった。駐車場で甲冑に着替えたのか?」
「コスプレして撮影会してたとか?」
「おい、ふざけんなよ」
碇屋が言いかけた時だった。突然、周囲の灯りという灯りが消えた。
いや、消えたのは封鎖地区の灯りだけだった。碇屋の後ろ、そして数百メートル先、封鎖地区の東側の向こうも、灯りは点っている。
「くそっ!」
なぜか岡下の通話が切れていた。
碇屋刑事は、念のため持って来た懐中電灯で足下を照らして、現状を確認しようと、封鎖地区の奥へと向かった。
しばらくして──
「なんだ?」
行く手に、多くのライトが点ったかと思うと、激しく揺れ動いている。
多分ヘルメットのヘッドランプだろう。
まるで乱闘でもしているように、ライトの群れは上下左右に激しく動いている。
様子がおかしい。
碇屋は足を早めた。
距離にして一〇〇メートルほど近くに来た時だ。
一瞬、地面が光った。わずかな時間だったが、その光の中、大きな剣を手にした人影が見えた。
「──〈姫騎士〉!」
碇屋はうめいた。
本当に、〈姫騎士〉が現れやがった!
足下を懐中電灯で照らしながら、碇屋刑事は〈姫騎士〉がいたと思える辺りを目指した。
「何が起きているんだ?」
先程まで狂ったように暴れていたヘッドランプの群れが止まっていた。
ライトはすべて地面近くにあり、バラバラの方向を照らしている。
ヘッドランプを着けた作業員たちが全員、地面に倒れているのか。
まさか〈姫騎士〉に斬り殺されたんじゃ……。
碇屋の背中に、嫌な汗がつたう。
ヘッドランプのいくつかがこっちを向いていてまぶしい。おかげで〈姫騎士〉のいる辺りの陰影がキツすぎる。暗い場所は見通せぬほど暗い。
突然、闇の中に電光が奔った。しばらく間を置いて、立て続けに電光が奔る。
横に飛ぶ雷みたいだ。
放電? 電気漏れ? 作業員たちはあれにやられたのか? まさか岡下も? そう考えた時だ。
「なんだあれは?」
光と闇の中を移動する、巨大な何かが見えた。トラックとかではなさそうだが──
碇屋が目を凝らしたその時、風が押し寄せて来た。
「また竜巻か?」
思わず身構えたが、風はすぐに止んだ。
そうだ、〈姫騎士〉!
我に返った碇屋は走った。
封鎖地区の東の端はすぐそこだ。封鎖線の向こうからの灯りに、地面に何十人もの作業員たちが倒れているのが見えた。
流血などはなく、斬られたわけではなさそうだ。
その一人に手を触れると、それは作業員に扮した岡下刑事だった。
「生きてるか」
岡下が小さく呻いたのを聞いて、碇屋はほっと安堵のため息をついた。
「〈姫騎士〉は……」
……いた。
封鎖線の向こうの灯りに、〈姫騎士〉と作業服の男の姿が見えた。
男は協力者か。その顔は……逆光でよく見えない。
碇屋が目を凝らしている間に、二人は封鎖線を越えて交差点を左に折れた。
「くそっ!」
碇屋はあわてて駆け出した。
見てないで全力で駆け寄るべきだった。
碇屋が封鎖線を越えて交差点に出た時、二人の姿はもうなかった。
「またしくじったか!」
と、荒い息をついて碇屋がうめいた。しかし──
「え?」
碇屋の視線の先に、停止したミニバンがあった。
その後席に乗り込む〈姫騎士〉の姿が見えた。
さっきまで姿は見えなかった。いや、今はそんなことはどうでもいい。
碇屋はスマホで鎚田署長を呼び出した。
「どうしたんだチョーさん」
「少なくとももう一人、〈姫騎士〉に協力者がいる」
走り去るミニバンを見送りながら署長に告げた。
「彼女は今、ミニバンに乗り、東橋交差点を北へ向かった。ミニバンの色は白ないしシルバー。ナンバーは遠くて確認できない」
「上出来だよチョーさん」
スマホの向こう、鎚田の声には喜びがあった。
時間と場所が分かっていれば、近くにある防犯カメラを総当たりして目当ての車を特定するのは不可能ではない。
「一歩、近づいたぜ」
そう言うと、碇屋は交差点にへたり込んだ。