1
封鎖地区の東側の端は東橋交差点。何本もの道が合流しているごちゃついた交差点である。
そこから封鎖地区を出たオレとミナは交差点を左に折れ、進んだ。
ミナは姫騎士の姿になっているので、オレたちは手をつなぎ、隠形の魔法でステルス状態にあった。
街灯のLEDの光に、ミナのツインテの髪が金色に輝いている。まるで本物の金みたいにきらきらしている。
「なんだ?」
「キレイだな…って思って」
元々美少女なんだけど、今のミナは息するのを忘れるくらいキレイで、オレは見とれていたのだ。
ミナの青い瞳がオレを見ている。
この前水晶を買った店で見たサファイアみたいだ。いや、もっとずっとキレイで……。
「……あ」
そこでオレは声に出して言っていたと気がついた。
ヤバイ…猛烈に恥ずかしい!
「そうか」
でも、ミナのリアクションはそれだけだった。
キレイなのはその通りだし、言われ慣れているんだろうな。それにこんな時に言う言葉でもない。マヌケってのはオレのことだ。
さらに恥ずかしくなって、オレは手を離そうとした。
「手を離すな。隠形が解けてしまうぞ」
離そうとしたオレの手を、ミナが握り返した。
「そ、そうだね」
……気まずい。でも離すことは出来ない。
オレはミナと手をつないだまま歩いて行く。
前から人が歩いて来たが、ステルス状態のオレたちには気づかない。
この通りは歩道はあるが、片側一車線の狭い通りだ。オレはミナと手をつないだまま、車道に出てやりすごした。
救急車のサイレンがいくつも聞こえて来る。消防車、そして警官も集まって来ているようだ。
でも、誰もオレたちには気づかない。
まるでこの世界には、オレとミナのふたりしか存在していないみたいに思えた。
「ハジメ」
「な、何?」
いきなり名前を呼ばれ、ドキっとしてしまう。
「ジョージの車だ」
ミナが顔だけ後ろに向けて言った。
見ればオレたちの後ろからジョージのクリッパーバンがやって来ていた。
「ここまでだな」
近くにオレたちを見ている人がいないのを確認して、オレたちは手を離した。
「もう少し、こうしていたかったな」
「え?」
手を離す直前、ミナが小さな声で言った。でも手を離したオレにはもうミナの姿が見えなくなっていた。
今のは空耳? それとも聞き間違い?
立ちすくむオレに、
「どうしたイッチ?」
近くで停止したミニバンの窓からジョージが言う。
「なんでもない」
答えてミニバンの後席のドアを開ける。すぐにステルスを解いたミナが剣を先に入れ、素早く乗り込む。
その耳が、少し赤いように見えたけど、気のせいだったかも知れない。
「お疲れ様です。まずは腹ごしらえをどうぞ」
ジョージからミナとオレに、コンビニのレジ袋が渡される。中にはオニギリが二つとペットボトルのお茶、あときんつばが入っていた。
「助かる」
「ありがとうジョージ」
そういや夕食を食うひまもなく、現地入りしてたんだっけ。甘味のきんつばまで入れてくれるところがジョージらしい。
静かにジョージが車を出し、オレとミナは早速オニギリを食べた。
「ふむ…これがコンビニオニギリとやらか」
「お口に合いませんでした?」
後席のミナのつぶやきに、ハンドルを握るジョージが聞いた。
「いや、美味だぞ。ただ、ハジメが作るもののほうが好きだな、と思ったのだ」
あ、なんか嬉しい。めっちゃ嬉しい。そして、
──そんなハジメが私は好きだぞ。
さっきミナに言われたことを思い出した。
嬉しい…けど、それはlikeの好きか? それともloveの好きなんだろうか……。
分をわきまえろ、と自分に言い聞かせているけど、オレはミナのことを好きなんだ。
likeではなくloveの好きだ。それはもう否定できない。
ミナの「好き」はどっちなのか。
確かめたい。けど、確かめるのがこわい。
スペックの差、身分の違い、何よりミナはいつかは元の世界に還るんだ。
彼女の気持ちを確かめてどうする。
今のままでいい。それがいいんだ。
「どうしたイッチ?」
オニギリを持ったままのオレに、ジョージが心配したのかそう訊いた。
「なんでもないよ」
オレはオニギリにかぶりつき、モヤモヤするあれやこれやの感情とともに咀嚼し、飲み込んだ。
2
「それで、首尾はいかがでした?」
オレたちが食べ終わるのを待ってジョージが尋ねた。
カーラジオからは、さっき封鎖地区でまた竜巻が起きたとのニュースが流れている。
「竜巻は魔物の仕業だったよ。二メートルくらいの目玉に、クモの足が生えているみたいなヤツだった」
オレはジョージに、ヤツの姿そして能力を話した。
「あれは私も知らない魔物だ」
ミナが言う。
「魔物と戦うには、その能力と弱点を知悉しておく必要がある。故に帝国の騎士は魔物学を修めているのだが……」
「そのミナが知らないってことは新種の魔物?」
「こちらの世界の魔物ではないな?」
「いないいない! あんなのゲームか妖怪図鑑の中にしかいないよ」
オレはあわてて否定した。
こちらの世界では魔物はすべてフィクションだ。リアルにはいない。
……いや、まてよ。
グリムリやあの青い花があるじゃないか。
過去にも〈ゲート〉が開いたことがあって、それを通って異世界の存在がこっちに来た可能性はある。
実在したロドス島の騎士団長ド・ゴゾンは、騎士時代、ドラゴンを退治したという記録がある。
伝説じゃない。正式な記録だ。
これ以外にも正史に記録されたドラゴンや妖怪は世界中にたくさんあるという。
ミナが切り落とした足は、ヤツが逃げてすぐ、空気に溶けるみたいにして消滅した。
ミナによると、半ば霊体である魔物は死ぬと消滅するのだという。
実在した証拠が残らないから、フィクションだとされたんじゃないか。
もしかしたら、伝説や昔話に出て来る悪魔、ドラゴン、妖怪、魔法使い…その中には、実在したものがいたのかもしれない。
「新種の可能性はあるな。倫理観のない魔法使いが、新たな魔物を生み出した事例はあるからな」
「人工の魔物!?」
ジョージが叫ぶ。
喜ぶなよ。厨二心をくすぐられる設定だけどさ。
「作られた魔物だとすれば、どうしてこちらの世界にいるのかが気に掛かるな。人造の魔物は稀な存在だからな」
「現象として稀な〈ゲート〉に、稀な魔物が巻き込まれた…というのはあり得ないほど低い確率というわけですな。気になりますな」
ジョージが唸る。
「気になると言えば、もう一つ」
オレは、ふと思い出した。
「オレを最初に襲った作業員が、おかしなこと言っていたんだ」
オレはその時のことを二人に話した。
──お前…誰だ?
──お前か? お前なのか?
「あれが魔物の声だとすると、どういう意味だろう?」
「そのセリフからするとベアードのヤツは誰かを探していて、イッチをそれだと思った…てなところかな」
「ベアード?」
「新たな魔物の名です。ビホルダーでは版権的にマズそうなのでベアードとしました。いかがですかな姫?」
「よく分からんが、それで良いだろう」
と、ジョージとミナのやりとりであの魔物は「ベアード」と呼ぶことになった。
「そのベアードの子グモに霊体をハッキングされた時、ヤツは、あれ? みたいな仕草をしていたんだ」
オレは話を戻した。
「イッチを捕まえたら、あれ、こいつじゃなかった──みたいな感じか?」
オレには、そんな感じに見えた。
「ヤツは誰かを探していた? だとすれば──」
「私、だろうな」
重々しい声でミナが言った。
「思えば、ハジメとジョージがグリムリに襲われた件も不可解だった。何故このタチカワから離れたジョージの店で二人は襲われたのか」
そういえばそうだ。あの時は、気にする余裕がなかったけど、なんでだ?
「猟犬が獲物のにおいを追うように、ハジメに残された私の気配──魔力の残渣を追って、あの店に現れたと考えると筋が通る」
「と、いうことは──」
オレとジョージが息を呑んだ。
「グリムリもベアードも、目的は私だったのだ」