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#42.一ツ目の恐怖



     1




 感情のない作業員たちの群れにオレは囲まれていた。その数、二〇人以上。


 ゾンビの群れに囲まれ逃げ道がない…みたいな状況だ。手に武器はなく、茶トラの猫を抱えているだけ。


 ピンチだ。これ以上無いくらい絶体絶命だ。


 ゾンビ化作業員がじりじりと迫って来る。


 これがアニメとかで、オレがヒロインなら、主人公が助けに来てくれるかもしれない。いや最近はそういうの批判されるから、ないかも……。


「イテテテ」


 猫の爪が食い込んで、現実逃避していたオレは我に返った。


 ふと…妙なものが見えた。

 作業員たちの首の後ろ、そこに細い糸みたいなものがつながっている…?


 作業員たちが、いっせいにつかみかかってきた。


 イチかバチか!


 オレは足に力を溜め、ジャンプした。

 三メートル以上の高さにまで飛んで、ゾンビもどきたちの頭上を飛び越える。


 着地。足──くるぶしが痛い!

 でもそんな痛みにかまってられない。別の作業員たちがわらわら押し寄せて来るのだ。


「何だよ! 何なんだよぉおお!」


 この人たちはどうしてしまったんだ? どうしてオレを襲う?


 五〇メートルくらい先に、東の封鎖線が見えた。

 いつの間にか、封鎖地区の端──竜巻が消えた場所近くに来ていたんだ。


 向こうに抜ければ逃げ切れる!


 右に左にと飛んで、時々垂直にジャンプして、ゾンビもどきたちをかわす。


 ダメだ!


 かわしてもかわしても、その先に別のヤツらがいる。それをかわすうち、どんどん封鎖線から離れていってしまった。


 どこか、どこか逃げ道は──


 身体能力が上がっていても、さすがに息が切れてきた。

 襲ってくるヤツらをかわしながら、オレは必死に逃げ道を探した。


 近くのビルの一つが目に入った。

 一階のシャッターが降りている。でも二階のガラス壁がいくつか割れている。


「あれだ!」


 オレはそのビルに駆け寄ると、足に力を溜め、ジャンプ。割れてガラスのなくなった二階に飛び込んだ。

 着地…成功! 腕の中の猫も無事だ。


 下から、シャッターをばんばん叩く音が聞こえる。


 ふふん。作業員たちはシャッターにはばまれて上がってこれない。


「にゃあ」


 まだ抱いたままだった猫が、オレを見上げた。


「一時しのぎだって言うのか? いやいや考えがあるんだよ」


 テンションの上がったオレは、猫に笑って言った。


「屋上づだいに逃げるんだよ。第一の霊鎖を解いたこの身体能力なら、できるはずだ」


 どうだミナ。オレだってやるもんだろう!


 と、ここにいないミナにドヤるオレ。


「イタタタ」


 猫がまたオレに爪を立てた。


「何だよ。ミナの代わりにツッコミか? いや、ドヤってる場合じゃないよな。とっとと屋上に上がらないと」


 オレは飛び込んだフロアの中を見回した。


 ここはオフィスらしく、いわゆる事務デスクがずらりと並んでいる。天井は高めで、四メートル近くあった。開放感のあるいいオフィスだ。


「階段は奥だろうな」


 と、奥に二、三歩歩いたところで、


 ──ぞくっと来た。


 誰か…いや、何ものかがいる? その気配がする。


 場所は前じゃない。後ろ…?


 こわごわオレは振り向いた。

 ……誰もいない。


 でも、誰かに見られている気がしてならない。

 また猫か? それともステルス状態のミナがいるのか?


 薄闇に沈むオフィスを見回すと、窓の近く、天井付近に妙なものがあった。


 直径二メートルほどの球体が、天井に張り付くようにしてあったのだ。


 風船?


 オレは目を凝らした。すると、球体に巨大な眼が開いた!



     2



 直径約二メートルの巨大な目に見つめられ、オレは怖気が走った。


 黒い球体の身体、そのほとんどが目玉である。それだけでもおっかないのに、そいつには細い、いくつもの足があった。その足で天井にはり付いているのだ。

 目玉にクモの足が生えているといえばいいのだろうか。


 魔物だ。


 こんなヤツ、こっちの世界には妖怪図鑑とかの中にしかいない。そういやバッグベアードってこんな感じだっけ……。


 恐怖にしびれた頭で、そんなことを考えた。


 音も無く、目玉の魔物は床に降り立った。


 もしかして、オレはこいつのいる場所に追い込まれていた?


 目玉の下、魔物の口が開いた。キバというか三角の歯が円形に並んでいる。まるでウニの口みたいだ。


 それに気を取られて、オレは気がつかなかった。

 オレのすぐ足下に、そいつの小さな分身が迫っていたことに。


 直径1センチもない球体に細い足がついたクモみたいなものが、オレの足に這い上がっていた。


「わっ?」


 気づいてはたき落とそうとしたが遅かった。子グモの牙がオレの太ももにつき立てられたのだ。


 その途端、オレの身体は動けなくなっていた。

 自分の身体なのに、自分のものじゃないみたいだ。感覚はあるのに動かせない。


 小さな目玉グモがいる辺りから、イヤなものが身体に入ってくるのを感じた。


 霊体をハッキングされている!


 直感的にわかった。


 そして気づいた。あのゾンビみたいな作業員たち。

 彼らの首の後ろに細い糸みたいなものがつながっていた。あれはこの子グモだ。

 巨大な目玉グモは、この小さな分身をとりつかせて、作業員たちを操っていたんだ。

 オレの足に噛みついてる子グモ。こいつもの細い糸で目玉グモとつながっている。


 オレも操られてしまうのか?


 身動きできないまま、オレは目玉の化け物を見ているしかなかった。


 目玉グモが、ぐりっと身体を傾けた。首を傾げているみたいだ。ヤツは何か戸惑っていた。


 今の内だ。今の内になんとかしないと……。


 オレの太もも辺りに食いついている、小さな目玉グモ。こいつさえ外せればなんとかなりそうだ。


 でも、オレの身体は動かない。


 片手だけでも動かせれば、こんな虫なんか簡単にはたき落とせるのに…!


 ……虫?


 ふと、公園で虫にたかられた時のことを思い出した。


 あの時、ミナはオレと自分の霊体を反発させて衝撃波みたいなものを発生させて、虫の群れを吹き飛ばした。


 あれだ!


 オレはまだ腕に抱いたままの茶トラの猫に意識を集中した。

 オレと猫、それぞれの霊体を反発するように重ねる……


 ぽむっ。


 と、小さな、情けない音が上がった。


 しかし1センチの目玉グモを吹き飛ばすには十分だった。

 オレは身体の自由を取り戻した。


 目玉の親玉も驚いたようだ。


 ──いまだ!


 その隙に、オレは窓から外に飛び出した。


 ズンっ、と足と膝に着地の衝撃が来た。

 くるぶしと膝が痛い。


 転がって衝撃を逃がせばよかったけど、オレは猫を抱いたままだ。猫がつぶれてしまうんじゃないかというためらいが、強引な着地となってしまった。


「ヤバ……」


 痛みに呻いている間に、オレは目玉グモに操られた作業員たちに囲まれてしまった。



     3



 ゾンビみたいな顔の作業員たちが、オレに手を伸ばす。

 と、そのひとりの背中が、ぱあんっ!と鳴った。


 作業員が膝からくずおれるように倒れた。その後ろにいたのは──


「ミナっ!」


 作業着にヘルメット姿のミナがそこにいた。


 霊体の反発で、目玉グモの手下を弾き跳ばしたのだ。


「これって大丈夫なの?」


 倒れた作業員は、白目を剥いて気絶していた。


「霊鎖が解けていない故、衝撃が大きかっただけだ。一〇分もすれば気がつく」


 オレを囲んでいた作業員たちが、オレとミナ、両方に襲いかかって来た。


「それよりハジメ、どうして来た?」

「えっと…猫を助けに?」


 襲い来る作業員たちをかわして答える。

 ミナはかわすついでに作業員の身体に触れ、霊体反発でまた一人、解放した。


「フン、余裕だな」

「一人で待ってるなんてイヤなんだよ」

「危険だと言ったはずだ」


 ミナは二人のゾンビ化作業員の間をすり抜け、二人同時にぱぁん! 二人まとめて解放した。


 オレも霊体反発で解放してみたが、鳴ったのは、ぽむっというショボい音だ。でも、相手は白目剥いて倒れたから、解放しているのは間違いない。


「私は、私の大切な人が傷つくのはいやなんだ」

「おばばのことか。おばばのケガは自分のせいだと思っているのか」


 ばぁん! とミナの小気味良い反発音。

 ぽむ…と、間の抜けたオレの反発音。


 迫って来るゾンビもどきたちを、次々に解放してゆく。


「ミナは大事なことを忘れてるよ」


 ぽむ、と、また一人、解放。


「この世界はオレの世界だ。おばばはオレにとっても大事な人だ。それを魔物に傷つけられたんだ。ミナだけに任せておくなんてできないよ」

「ハジメ…」


 次々とゾンビもどきたちが解放され、倒れて行く。それにシビレを切らしたのか、あの目玉の魔物が、ビルから飛び降りてきた。


「オレは戦士じゃないし、まだまだ未熟だ。だけど、この魔物を倒したい」


 ぱぁん! と、また一人が解放された。


「……どうやら私は、ハジメを見くびっていたようだな」


 ミナに笑みが浮かんだ。


「良かろう! 共に戦おうか!」

「うん」


 ぱぁん! ぽむっ…最後の作業員を解放した。


「必要とあらば見捨てるがよいな?」

「お、おう!」

「そこは即答してほしいところだぞ」


 苦笑したミナの足下に、光る魔法陣が現れた。変身──武器と甲冑を取り寄せる魔法だ。


「だが、ハジメらしくて良い。そんなハジメが私は好きだぞ」


 ええっ? それって──


「──来るぞ!」


 光の中、一瞬、ミナの裸身が浮かび上がったと思うと姫騎士の姿になった。


 目玉グモが足の二つをすりあわせる。と、電光みたいなものが飛んできた。

 ミナはサイドステップで電光をかわすと距離を詰め、斬りかかった。


 目玉グモが、にゅうんと足を伸ばした。伸ばした足の長さは本体の目玉の三倍はある。その足で目玉グモはバックジャンプしてミナの剣をかわした。


 空中から、目玉グモが連続して電光を放つ。ミナの大きな剣が踊るように振り回され、すべての電光を弾きとばす。


「すげぇ…!」


 まるでジェダイだ。肉眼で捉えることすらできない電光を、ミナは剣でことごとく防いで距離を詰める。

 しかし目玉グモはまた大きく跳躍して距離を取る。


 オレも何か……。


 何となく周りを見回すと、足下に気を失って倒れている作業員たちが目に入った。


 そうだ!


 オレは茶トラの猫を地面に下ろし、作業員たちのベルトからドライバーやペンチなどを手に取った。

 両方の手それぞれに二、三本の工具を握ったまま、揃えた人差し指と中指を目玉グモに向ける。手の中に魔力をためるようイメージする。

 グリムリとの戦いで、ミナは缶コーヒーをレールガンのように打ち出した。そのマネである。


「いけ! ツインレールガン!」


 オレの両手から、五、六本の工具が砲弾のように放たれた。狙い通り、目玉グモの白眼の辺りに命中する。


 ペンチは弾かれたが、ドライバーが二つ、目玉に突き刺さった。目玉なのにカタっ!


 ダメージはそれほどでもない。でも目玉グモの跳躍が一瞬遅れた。その隙に、ミナの剣はその間合いに入っていた。


「はぁっ!」


 気合いと共に大剣が一閃した。

 目玉グモは後ずさって逃れようとしたが間に合わず、足が二本切り落とされる。


 バランスを失った目玉グモは後ろに転がった。そのままごろごろと転がってミナから距離を取った。


 ミナがさらに踏み込もうとした時、目玉クモの周囲に大気が渦を巻いた。

 渦は強風となり、竜巻となってゆく。


 ごうごうと竜巻がうなりを上げる。

 オレの足下にいた茶トラ猫が、毛を逆立てたかと思うと、猛ダッシュで逃げていった。


 次の瞬間、目玉グモは竜巻に吸い上げられるようにして空へと舞い上がった。あっと言う間にその姿は雲を突き抜け、そして見えなくなった。


「逃したか」


 静かになった暗い通りに、ミナの無念の声が響いた。


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